第十二話 いつかどこかの英雄譚(序)

 グラウンドへ戻った俺を、三上も二井見も責めなかった。それどころかただ俺の身の心配ばかりしてくれた。俺はほんの少し、そんな自分がカッコ悪いと思った。けれど胸を占める想いは、恩情の方が遥かに大きかった。


「本当によかったよ、イロが無事で!」


「二人とも悪い、心配かけて」


「本当にね。でもまぁ、大丈夫そうで安心したよ。……それで、七崎さんがご機嫌斜めなんだけど。色葉くん、何か心当たりあるんじゃない?」


「あー……。その話はまた今度という事で」


「えーなになに余計に気になるじゃん!私にも教えてよ〜」


「いやどっちにも喋るつもりはないから。まぁそのうち、な?別にそんな大した事じゃないし」


「……大した事じゃない、ですって!?信じられないわ!私を置き去りにしておいてよくそんな……」


 ……背後からの殺気の矛先が自分ではないと信じよう。うんそうしよう!……これでも俺、めちゃくちゃ反省してるんだけどなぁ。


「それより今の状況は?」


「あっ、そうだ大変!もう選抜リレーの準決勝始まっちゃう……」


「……くそ、遅かったか」


「いえ、まだよ。彼らを信じましょう。必ず勝ち上がるわ」


 桜音学園体育祭の選抜リレーはトーナメント形式で行われる。予選では各回五チームずつ走り、上位三チームが次のステージに進める。うちの学校は各学年五クラス、つまり計十五チームいるわけだ。よって準決勝に進めるのは計九チームということになる。そして準決勝では各回三チームずつ走り、トップの一チームのみ決勝に進む事が出来る。最後は三チームで頂点を競う事となるのだ。対戦相手は毎回ランダムに決まり、公平性を保っている。学年ごちゃ混ぜの勝負になるため当然、総合力は三年が上になる。しかし俺らのクラスも比較的走力が高いようで、予選は突破出来たらしい。問題は準決勝からだ。組み合わせ次第ではここで敗退も十分あり得る。そして肝心のオーダーは、既に補欠の子が俺の代わりにエントリーされている。メンバー変更は一度きり。つまり俺は、指をくわえて彼らの勝利を祈るしかない。


 そしてやるべき事がもう一つ。


「俺、いってくるわ」


「一条くん……」


「これは、俺の問題だからな。けじめ、つけてくる」


「分かった。イロ、いってらっしゃい!」


「あぁ、いってくる」


 **


 俺が向かったのは選抜リレーの選手控え所。


「あ、あのさ。今少しだけ、時間もらえる?」


 彼らは、二年三組の代表メンバーは俺を一瞥するなり顔を歪ませた。


「なに?」


 その声色には、明らかに敵意が含まれていた。


「いやその……どうしても謝りたくて、さ」


「謝る?何に?」


「だからその……」


「勝手に逃げたのはお前だろ。別に俺らは気にしてない。それはテメーの選択だからな。……謝る相手、ちげーだろうがよ」


「えっ?」


 言われて視線を移す。そこには一人で佇む少年の姿があった。そうだ、彼は確か-


「あ、あのさ。八重やえくんだよね?同じクラスの」


「え、あ……うん。君は一条くん、だよね?」


「あっ、あぁ。でさ、その……今日はごめん。リレー走ってもらって。ほんとは俺が走るべきなのにな……」


「そんなっ、いいんだよ全然!僕だって補欠とはいえメンバーの一員なんだからさ」


「でも直前に代わるってなったら嫌だよな。準備もろくに出来なかっただろうし。それも、俺が勝手にいなくなったばっかりに……」


「僕はね、一条くん。君を信じてたから」


「八重くん……」


「必ず戻ってくるって。そしたらほら、ね?……きっと、?いつも見えないところで闘ってる。それが一条くんだって知ってるから」


「八重くん、君はまさか……」


「だから、僕らに任せて!」


「おう。準決勝、信じてる」


「ありがと。それじゃあ、そろそろいくね?」


 決戦場へ向かう彼らの背中は輝きに満ちていた。


 **


「On Your Marks」


 無機質な声が場内に響き渡る。


「Set……」


 BAN!


 準決勝が始まった。


 出だしは悪くなかった。俺たちの振り分けられた組は比較的遅めのクラスが集まった。平均走力で言えば恐らくウチのクラスがトップ。実力を出し切れれば決勝に進めるはずだ。


「三組頑張れー!!!」


 自然と声が出ていた。俺たちの計画は頓挫した。なのに今の俺は、頑張る彼らを応援せずにはいられなかった。


 結果、大方の予想通り二年三組は一位でゴール。決勝へと駒を進めた。しかし問題が一つ。走り終えたアンカーでエース格の生徒が足を痛めたのだ。検診の末、決勝への参加は厳しいらしい。この場合、普通は正メンバーの代わりに補欠員を起用する事で対処出来る。しかし三組は既に補欠を使ってしまっている。


「不戦敗か……」


 教師たちの会話から、聞きたくない言葉が耳に入ってくる。不戦敗……。公平性を保つにはやはりそれが一番妥当なのだろう。けれど、受け入れる事を身体が拒絶していた。抗議しようと教師陣に歩み始めた瞬間だった。


「不戦敗って何よそれ!そんなの私が絶対許さないわ!!」


 十継先生だった。


「生徒たちが心待ちにしていた晴れ舞台なのよ?この日のために一生懸命励んできたのよ?それを漢字三文字で簡単に片付けないで」


「ですが十継先生。公平を期すにはこの方法が最善でして。その、周りの目もありますし……」


「はぁ!?何よそれ!!つまりあなたたちは教師という立場にありながら生徒より世間体の方が大事って言いたいわけ?信じられない!そもそも三組は最初から補欠員を起用してたじゃない。一条くんに関しては一度も走らずにここまで来てるのよ?なら条件は他のクラスと同じ。今回の件は特例措置で認めるべきでしょう?」


「ですが……」


「いいからさっさと準備するっ!!」


「「「は、はいっ!!!」」」


 教師陣が一斉に散らばる。どうやら話はまとまったようだ。俺は立ち去ろうとする背中を呼び止める。


「待ってください十継先生!」


「……何かしら?」


「あの……先程のやり取り、見てました。その、すみませんでした!俺のせいで先生にも迷惑かけて……」


「一教師として生徒を守る。私は当然の事をしただけよ。謝る必要はないわ。それと一条くん。あなたはまだ勘違いしているようね」


「えっ?」


「大事な人からかけられる迷惑って、案外悪くないものよ」


「っ!?う、くっ……」


「こらこら、男の子が泣くんじゃないの。涙はまだとっておきなさい。……舞台は整ったわ。あとはあなた次第。さぁ胸を張って、いってらっしゃい!」


「っ、はいっ!!いってきます!」


 六月最終日。少年は立ち上がる。あの日あの時の栄光を取り戻すために。最後の競技は間もなく始まる。



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