第十三話 いつかどこかの英雄譚(破)

「はぁ……」


 賑わいを見せる会場。その一角に俺は重い腰を下ろした。ついて出るのは溜息ばかり。仲間が、先生が、みんなが俺の背中を押してくれた。けれど正直、上手くやれるか不安だった。みんなの期待に応える自信がなかった。もうすぐ俺の人生が変わる。それがどっちなのかは分からなかった。

 その頃、会場中央では最終種目の二つ前の競技が始まろうとしていた。




 それから少し経って、近づいてくる人の気配を感じた。顔を上げると目の前に八重くんが立っていた。


「……くんが呼んでるよ」


 俺が口を開く前に彼はこう言った。最初の方はよく聞き取れなかったが、何故か彼が言わんとした事がすんなり理解出来た。


「分かった」


 俺はそう返すと、目的の人物の元へと向かった。


 **


 決戦の時間ときが迫る中、俺が赴いたのは学内にある保健室。


「失礼します」


 ドアを開けるとそこには横になっているが俺を待っていた。


「おう、やっと来たか。おせーよ。もうちょい早く来い」


「ごめん」


「まぁ別にいいけどな。それよか、調子はどうだ?」


「え?調子……?まぁその、悪くはない、かな?」


「何だよそれ。絶好調でなきゃ困るんだが」


「……絶好調、です」


「そうさ、そうでなきゃな。……八重と話したんだって?準決の時」


「あ、あぁ」


「……ありがとな」


「えっ?」


「予選の時からさ、元気なかったんだよあいつ」


「そんな風には見えなかったけど……」


「いや、絶対何か違った。俺には分かる。それがお前と話した後、すげー生き生きしてた。俺には出来なかった事だ。だからその礼だ」


「俺はそんな大した事してないと思うけど……」


「いーからそういうのは素直に受け取っとくんだよ!分かったら返事しろ返事!」


「は、はい!」


「分かりゃいいんだよ。……と、もうこんな時間か。おい、いつまでここにいるつもりだ?そろそろ決勝始まんぞ?とっとと行っちまえ」


「いや、俺呼び出されて来たんだけど……」


「あ?今何か言ったか?」


「あ、いや。何も!」


「じゃあ行け。さっさと行け。……しょうもない走りしたら許さねぇかんな」


「ん。それじゃあ、いってきます」


 遠ざかる二人の距離。


「さあさあ皆さまお待たせしました!いよいよ本日のメインディッシュ!最終種目の男子クラス対抗選抜リレー決勝ですっ‼️」


 場内に響き渡るアナウンスの声が彼の耳に届いたのは、それから程なくしての事だった。


 **


「いよいよだね」


「あぁ」


「緊張してる?」


「めちゃくちゃな」


「僕も。本番、楽しも。そして勝とう!」


「だな!!」


「それでは、選手入場です‼️」


 アナウンスが決戦の始まりを告げる。俺はもう逃げない。たとえどんな結果が待っていようとも。



 決勝戦に駒を進めたのは俺ら二年三組、三年三組、そして優勝候補の三年一組だ。この決勝ではアンカーのみトラックを一周する。つまり、他の子の二倍走る事になる。

 二クラスとも勝ち上がってきただけに、相当の走力があり、特に三年一組は陸上部のエース格が揃い踏み。はっきり言って、彼らに勝つのは相当厳しい。それでも俺たちは諦めるわけにはいかない。支えてくれた人たちのため、そして自分自身のために。


「時間だ。各選手、それぞれ所定の位置につくように」


 声がかかり、奇数番目と偶数番目で分かれて定められた場所へ移動する。


 そして-


「On Your Marks」


 俺たちの闘いが


「Set」


 遂に


 BAN!


 始まった。


 第一走者の実力は拮抗していた。白熱した展開。バトンはそのままほぼ同時に第二走者へと渡った。ここから徐々にだが差がつき始めた。体一つ分、三年一組が前へ出た。じわじわと置いて行かれる両三組。けれども会場を埋め尽くす熱気は、冷める気配を見せなかった。

 続く第三走者。八重の手には固く握られたバトン。広がる前との差。暑さで揺らめく大気。絶望的な状況で、もうすぐ自分の番が回ってくる。それなのに心の内は冷静だった。


「八重ラストー!!」


 六月とは思えない猛暑の中、バトンを待つ。何故だか今日は、負ける気がしなかった。


「頼んだよっ!」


「おうっ!!」


 最後のリレーは確かに繋がった。バトンをもらった時点で先頭との差は五〇メートル。俺は余計な思考を排除し、風と一体になる。ただひたすらに前へ。ピッチとストライドを緩める事なく加速を続ける。気がつくと、既に眼前に相手の背中が迫っていた。ここまで来ればもう、あとは簡単だった。腕を振り、ただ前だけを見つめて。


 遂に俺は先頭を捕らえた。しかし流石はエース。相手もそこから先を譲らない。ゴールまであと少し。ここで相手がラストスパート。僅かにリードされる。頭に浮かぶ敗北の文字。その刹那-


「諦めるないちじょういろはーっ!!!飛べー!!!」


 そして


「おにぃガンバーっ!!!」


 応えられなかった声。だけどもうそんな自分は嫌だ。最後の力を振り絞り前へ進む。


「ゴールっ!!大接戦を制し、優勝したのはなんと、二年三組だぁー!!」


 腹に感じたゴールテープの感触。耳を掠める勝利の放送。


 どうやらここでお別れのようだ。さようなら、昔の自分。よろしく、新しい自分。


 そこで俺の意識はプツリと途切れた。

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