第十一話 On Your Marks

 青く澄んだ空。綺麗に平された砂浜。そして、少し濁った海。まるで、今の俺の内面を映しているかのようだ。気づけば俺は、この海岸に立っていた。


 **


 どれくらいの時が経ったのだろう。恐らくは既に午後の部が始まった頃か。刻々とタイムリミットが迫る。。俺は結局、何も変わる事が出来なかった。自身の何もかもが嫌になる。。それなのに俺は、俺は-


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 刹那、微かに聞こえた荒い息遣い。思ったより冷静な自分に驚いた。いや、本当は分かっていた事なのかもしれない。


 振り返ると、そこには七崎白羽がいた。


 **


「……」


「……」


 時の流れは穏やかだったのかもしれない。けれど、二人には長い、長い沈黙だった。このままいけば全てが終わり、楽になれるかもしれない。でもそれは彼女への甘えでもあるし、何よりそんな自分が許せそうになかった。彼女は何も聞いてこない。これは罰だ。俺は罪を贖うべく、口を開くのだ。


「……俺さ、他人を信じる事が出来ないんだよ。人間不信ってやつ」


「……」


「中学でちょっとあってさ。だから俺、人を信じてこんなに傷つくくらいならもうどうでもいいやーって。自分の心に蓋をした」


「……」


「おかげでそれからの学生生活は平和なもんよ。みんな俺の事をほとんど意識しないし俺もする必要ないから楽でね。何より人間関係で悩まずに済む。陰キャ少年は傷つかない!俺はみんなの陰としてひっそり過ごし続ける。そうしてこれから、何事もなく過ぎていくんだと信じてた。でもダメだった。高二の春、あの日の事。俺は自ら光を浴びに行ってしまったんだ。幸い、変わった知り合いに巡り合えた。他の連中とは違う、。変われるかもしれないと思った。もう逃げずに済む、向き合えると思った。でもそれは、とんだ思い上がりだったんだ」

「……声がさ、声が、聞こえたんだ。まぁ、偶々耳に入った程度なんだけど。同学年っぽい男子連中が『あのイキり陰キャクソ雑魚じゃんw』『あーちゃんの足引っ張りやがってマジ許さねぇ!』って。俺と二井見の二人三脚だってすぐ分かった。こういうのは言われ慣れてるからさ。今回も大丈夫だと思ったんだ。でも気づいたらここにいた。、俺は。何にも変われやしなかった。結局俺は弱いまま、あの時のままってね。そーゆーワケだからさ。もう少し一人にしてくれ。……すぐに、戻るから」


 確かに届けた声。しかし彼女はその場から動こうとしなかった。


「おい、七崎?今の話、聞いてたよな?早く戻った方が」




 ふわりっ。




 突然包まれる温もり。その行為は不意打ちすぎて、何が起きたのか分からなかった。


「辛かったのね」


「……」


「苦しかったのね」


「……」


「ずっと一人、だったのね」


「……っ!!」


「大丈夫、大丈夫だから」


「……ら酷いんだ。俺とちょっと反りが合わなくなったからってみんなでさ。俺の事、無視しやがる」


「……うん」


「根も歯もないでっち上げの噂を立てられてさ。俺の築いてきた地位も名誉も全部、全部失った。残ったのは空っぽな自分。なんで俺が?なんで俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだよぉ!!!」





「「ねぇ、色葉。泣いても、いいのよ?」」





 彼女の声が母と重なる。頭と背中を撫でられ、耳元で囁かれた優しい言葉。このひと時を、俺は一生忘れない。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 叫びはどこに行くのだろう。涙はどこに消えるのだろう。その答えは誰も知らない。


 **


「すげー怖いんだよ、人を信じる事が。人からの信頼がさ」


「今でも?」


「あぁ、今でも」


「そう……」


「……あーこんな事、言うつもりじゃなかったのになぁ。しかもよりにもよって七崎に、か」


「それ、どういう意味?」


「あ、いやこれはその、悪い意味じゃなくてだな。……七崎だけには言ったらダメだって思ってたんだ。似た境遇のお前には」


「それって」


「七崎、みんなから無視されてるだろ?しかもクラス単位どころか学年飛んで学校全体でさ」


「それは……」


「いやまぁ俺は最近になるまでずっと気がつかなかったんだけどさ。いかんせん、他人との関わりを絶つと周囲の人間関係も見えなくなっちゃうんだよなぁ。まぁそれはそれとして。ビラ配ってただろ、新学期早々」


「え?えぇ、そうよ」


「あの時の違和感っていうかね。歴代屈指とも言われていた七崎白羽のビラを誰も受け取らない。それどころかまるで見えていないかのような無反応。嫌でも分かっちまう」


「だからあの時、私を助けてくれたの?」


「いや違う」


「えっ?」


「そんなヒーローみたいじゃない。最低だよ、俺は」


「それなら、どうしてなの?」


「あまりに似てたからだよ。あの日、あの時、あの瞬間の七崎白羽は、昔の俺だった。贖罪のつもりだったんだ。俺はお前を救う事で過去の俺自身を助けたかった。そうして自分の愚かさを償いたいって思ったんだ。自己満足のために七崎を利用した。……ごめんな」


「フフッ、ンフフフフフフッ」


「七崎……?」


「ンフフフフフッ、ご、ごめんなさい。ちょっと、可笑しくて」


「おかしなとこ、あったか?」


「えぇ。だってそんな小さな事、気にしてるんだもの」


「小さなってな、お前俺がどんだけ」


「あなたがどんな想いであろうと私は私。あなたはあなた。そうでしょう?私、ああいう時ってどうすればいいか分からなくなるの。それをあなたが導いてくれた。私、あなたに救われたの。だから、一条くんが救ったのは過去のあなたじゃなくて、七崎白羽なのよ」


「七崎……」


「人を信じられなくなる気持ちも、逃げ出したくなる気持ちも分かる。私もそうだから。だけど私は


「七崎はなんでそんなに強いんだ?俺はお前みたいに強くない。俺には無理だよ」


「私は強くなんかないわ。あなたの方がよっぽど強い。それでも私が前に進めるのはね、一条くんがいるからよ」


「え?」


「信じてるれる人がいるの」


「……」


「私、周囲には自分の敵しかいないって思ってた。でもあの時、立ち上がってくれた彼。私の事、しっかり見ていてくれた。手についた黒鉛のすすを指摘された事には流石に驚いたけれど。でも、気持ちは十分伝わっってきた。世界は広いというけれど、案外そうでもないのかも。だってこんな近くに私の良き理解者がいるんだもの。私はそんな彼に応えるために、いつだって前に進めるの。ありがとう、一条くん」


「七崎、俺は……」


「私は、あなたを信じてる」


「っ!!」


「普段は寡黙でポーカーフェイス。心の内を中々見せてはくれないけど。写真が趣味なのかしらね。よくこの西海岸で撮ってるもの」


「ちょっと待て。何故それを知ってる?」


「カメラを構えてる時の表情、写真を眺めてる時の顔は輝いていて素敵だったわ。それと、毎日この辺りを走っているみたいね。前々から足の筋肉が気になっていたのだけれど、解決したわ。それからどうやら歌も……」


「ち、ちょっと待て待て待って下さい七崎さん!」


「何かしら?」


「どこまで知ってるのですか?」


「趣味に関して、普段の様子に関してはほとんどかしら。喫茶『なないろ』って素敵なお店ね!」


「ハルにぃぜってー許さねぇ。……そうか、ようやく合点がいったよ。二井見にこの場所を教えたのも、会長に走り込みしてる事伝えたのも全部七崎だったのな」


「そんな事もあったかしらね」


「いやいやそんな事ってなぁ……」


「偶然通りかかった海岸線沿いにあなたの姿を見つけたの。それでほんの興味本位で一条くんの事、見てたわ。尾行した事もあるわ」


「今さらりととんでもない事言ったよな!?」


「まぁ私、あなたと同じで気配を消す事は得意だから問題ないわ」


「大アリだよ!てか一緒にするなよ。俺まで尾行してると勘違いされるだろうが」


「妹さんの後をつけてたくせに?」


「うっ……」


「そんなわけで、私は色んなあなたを知っている。普段は見せない、一条くんの本当の気持ち、真実の色を。あなたの心は虹色に輝いているわ。色々な事に興味があって、複雑な感情を持ってる。だから、あなたなら大丈夫。私はあなたを裏切らない……とは言い切れないわ」


「え?」


「だって嘘をつかない人間なんて存在しないもの。でも、私はいつだってあなたの味方。あなたを、一条色葉を信じています」


「七崎……。ありがとな、俺を信じてくれて。なんか、今なら飛べそうだ、俺」


「そんな、お礼を言うのは私の方。本当にありがとう、一条くん。あなたはどこへだって飛んでいけるわ」


「よしっ、七崎。ちょっとかけ声頼むわ。『On Your Marks. Set』ってな感じで」


「え?え、何?どういう事?」


「いいから頼む!『On Your Marks. Set』でその後手叩いてくれ」


「うー……分かったわよ。お、On Your Marks」


「お、流石。発音いいなぁ」


「……早く準備しなさい!」


「しかも意味まで理解してるとは感心感心……っと分かった、準備するって」


「……Set」


 BAN!!


 彼女の両手から押し出された空気が四方に散る。刹那、俺は走り出す。一人の少女を置き去りに、ただひたすら前だけを見据えて。目的地は勿論、のステージだ!……少女を置き去りに?あ、やべっ。









































「……、嘘つき」


ひぐらしがないた。

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