第十話 その手を離さずに
一条色葉がいなくなった。私はその事実を飲み込むまでに酷く時間を要した。
何故?
疑問が尽きない。確かにこれまでの様子から彼が苦しんでいる事は分かった。けれど今朝、彼の顔を見た瞬間に確信した。彼はもう大丈夫だって。なのにどうして……。
「……ろ」
「シロってば!ねぇ、大丈夫?あんまり顔色良くないよ?」
「え……?えぇ、大丈夫よ」
「そう?ならいいけど……。それでさっきの話だけどさ。私たちこっち探すから、シロは向こうお願いね!」
「……ごめんなさい、考え事をしていて話を聞いていませんでした。何の話だったかしら?」
「シロ、本当に大丈夫?やっぱり心配だよ。最近根詰めすぎてたから疲れが溜まってるのかも。シロはとりあえずここにいて。私たちで手分けして校舎内見てくるから」
「でも……」
「私もその方がいいと思うな」
「二井見さん……」
「今のところ人数は足りてるし、七崎さんに倒れられたらみんな困っちゃうよ。体育祭の段取り、頭に入ってるのは七崎さんだけなんだからさっ☆」
「会長と実行委員長を除けば、ね。それでも私、何もしないで待っているだけなのは嫌なの」
「大丈夫。あなたにしか出来ない仕事、あるよ」
「え?」
そう言うと、二井見さんは一人の少女を連れて来た。
「彼女の不安、取り除いてあげて☆」
**
行ってしまった。結局私は居残り。今度こそはと思ったのに。また彼に恩返し出来なかった。不甲斐ない自分に嫌気がさす。だから、せめてもの罪滅ぼしにと少女の手をしっかり握る。けして離さぬように。
「……お兄ちゃん、部活をはじめたって言ったんです」
「え?」
「それが、久しぶりに交わした兄との会話でした。私たち
「……」
「でもこの春、お兄ちゃんから私に声かけてくれたんです。それからの兄は昔に戻ったかのようでした。表情はいつも通り仏頂面ですけど、私には分かります!お兄ちゃん、凄く楽しそうでした。私の事もめちゃくちゃ気にかけてくれて。……まぁ、口を聞いてくれなかった時期も、それが兄なりの気遣いだって分かってましたけどね」
「お兄さんの事が好きなのね」
「まぁ、ブラコンですからね!うちのおにぃは世界一の男ですから!……この話、兄には内緒にして下さいね?」
「フフッ、そうね。分かったわ」
「コホンッ。……それで、部活が関係してるんじゃないかって思ったんです。兄がここまで変わる事なんて、無い事ですから。でも、ちょっと違いました」
「えっ?」
「部活じゃなくて部員だったんですね。今日皆さんを見て確信しました。兄を変えてくれて、ううん、救ってくれてありがとうございます」
「そんな、私たちは何も……。それに、救われたのは私の方だから」
「そう……なんですか?」
「えぇ。いつだって私は彼に救われてる。だから、お礼を言いたいのは私たち。それと、一条花奏さん」
「はい」
「あなたのその想いは、きっと彼に届いていたと思う。これまで一条くんが壊れなかったのもあなたのおかげです。ありがとう」
「っ!!そんな、私は全然……。兄に迷惑ばかりかけて。それで」
「大丈夫よ。だってあなたからお兄さんを想う優しさが溢れ出ているもの。一条くんも感じていたはずよ」
「……はい。えっと、その……ありがとう、ございます」
「どういたしまして。元気になったみたいで良かったわ」
「え?私、そんなに酷い顔してました?」
「そうね、割と?」
「うわ〜全然気づかなかった。恥ずかしー//」
「ウフフッ。肩の力が抜けたようでよかったわ」
「はい、おかげさまで。……でも、だからこそお兄ちゃんがいなくなった事が信じられないです。確かにここ最近は何かあったみたいですけど、今日のおにぃを見たら大丈夫だって思ったんです。それなのにどうして……」
「お兄さんが行きそうな場所、心当たりある?」
「ごめんなさい。私、よく分からなくって。兄が頻繁に出かける事は知ってるんですけど、いつもどこに行っているのか分からないんですよね」
「頻繁に出かける……?」
「はい。なんかカメラ持って飛び出して行っちゃうんです」
「花奏さん。私、ちょっと用事思い出したから行ってくるわ」
「えっ?七崎さん!?」
「大丈夫。すぐに戻るわ。花奏さんはそこで待ってて」
「ちょっと、七崎さーん!!」
彼女の言葉を背に、私は走り出す。
**
これは偶然か、はたまた神の気まぐれか。ある日の休日、私は見覚えのある後ろ姿を視界に捉えた。気づかれないように近くと、彼は何かに夢中のようだった。手元をよく見ると、どうやらカメラを構えているようだ。真剣に取り組む彼の横顔を盗み見る。普段は見せないその表情に、私の胸が熱くなるのを感じた。それから何度かその場所へ行くようになった。そしてその度に彼はいた。写真を撮ったり、走ったり、ぼーっとしていたり。そんな、いつもとは違う彼を見られるこの空間が好きだった。この時間が愛おしかった。だからこの場所は、彼にとっては勿論の事、私にとっても特別なものだった。
私は走った。ただひたすらに、前へ前へと。彼がいる保証なんてどこにもなかった。私の行動は全くの検討違いで、無意味かもしれない。それでも。私には予感があった。彼があそこにいるという予感が。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
久しぶりの全力疾走が祟ったか、呼吸が大きく乱れる。それでも、何とか辿り着いた。休日の昼過ぎだというのに、何故かこの時は私たち以外に人気がなかった。
桜音学園から少し離れた西海岸。そこに佇む一条色葉の姿があった。
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