第4話 終業式

 別れは突然に……なんてありきたりな言葉しか出てこなかった。

「あー俺、来年からこの仕事辞めるんだ。家業を継ぐから」

 

 何となく聞いただけだった。授業終わりに、騒がしい心臓を抑え、何とか接点を持とうとさりげなく廊下で聞いてみたのだ。「先生、来年はどの学年を担当されるんですか?」と。

 もし来年、先生がクラスの担任だったらどんなにいいだろうと思った。先生に少しでも近づきたくて、数学係になった。(なったはいいものの、ほとんど仕事はなかった)

 「教えられるわけないだろう」と笑いながら答えられるのを予想していた。教えてもらえなくても、先生と話せるのなら十分だと思っていた。

 目を見開き言葉を失う私に、彼は困ったような微笑みを浮かべていた。

「皆には内緒な。今年度末に伝える予定だから」

 それじゃあ、と言って先生は去ってしまった。「皆には内緒な」なんて特別みたいだと、混乱する頭の隅で考えた。


 1週間が過ぎ、2月になった。センター入試が終わっても大半の3年生は登校してきていたが、2月になってからは少しずつ人数が減ってしまっていた。

 私が所属する陸上部は、高校総体が終わってすぐに3年生は引退するが、引退後も少しだけ様子を見に来る先輩もいた。だがその先輩たちも最近は姿を見せず、何となく寂しい雰囲気が私の周りに漂っていた。

 その寂しさを杏や蓮と分かち合うことが、私たちの最近のブームになっていた。恋バナのブームは終わった。もしかしたら無意識に私が終わらせたのかもしれない。

 恋バナの頻度が減っても、先生に話しかける勇気が出なくても、私は鏡を見続けた。何かの呪いかっていうくらい、あのアナウンサーの言葉が頭から離れない。

 自分の顔が好きというわけではない。むしろ嫌いだ。杏みたいに綺麗な大きい二重の目でもないし、蓮のようにすっと通った鼻筋でもない、冴えない顔だ。

 それでも鏡を見続けるのは、先生に少しでも綺麗な姿を見てほしいから。青のりがついていない、白い歯を見てほしい。廊下ですれ違う度、授業中目が合う度、先生の目に私はどんな風に映っているのだろうと考えてしまう。


「ねえ、いい加減にしないともう終業式だよ? どうするの」

 体育館へ向かう途中、杏が何故か泣きそうな顔で私を見た。

 クラスマッチを終え、卒業式を終え、3月の前半が終わりそうになっていた。今日は終業式。同時に退任式も行われる。ぞろぞろとダルそうに歩く生徒たちに紛れ、私たちも歩いていた。

「ちょっ、杏、どうしたの? 何をどうすんの?」

 蓮が慌てたように言った。杏は人ごみを避けるように女子トイレに入った。私たちもそれに続く。

「ねえ、杏、体育館に行かないと。終業式に遅れちゃうよ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 杏の声が女子トイレの中に響く。普段穏やかな彼女の怒鳴り声を初めて聞いた。怒鳴り声、というより叫び声と言った方がいいかもしれない。悲痛な叫び声だった。

 蓮はすっかり驚いてしまったようで、目を丸くしたまま動かない。

「凛、先生と今日でお別れでしょ? 自分の気持ち伝えた? 伝えてないよね。先生のこと、好きじゃなくなったの?」

 私は黙って首を振った。

「だよね。凛、いっつも先生の授業の前にトイレ行くじゃん。鏡見て、リップ塗り直して……。誰だって分かるよ」

「え、ちょ、待って! 全然ついていけないんだけど! 凛が好きな人って、筧先生だったの?」

「気づいてなかったの!?」

 ピリピリとした雰囲気を壊すように、蓮が私と杏の間に入る。

「杏……気づいてたんだ……。そうだよ。私、筧先生が好き。でも告白なんてしたって意味ないよ。先生と生徒だもん。告白って何? 付き合うためだよね。仮に両想いだとしても付き合えないし、第一、先生は私のこと好きじゃない。もう分かるんだよ。先生の優しさは、皆に向けられていて、私に向けられたものじゃないって」

 ずっととどめていた感情があふれ出す。涙が止まらない。何で私は筧先生を好きになってしまったのだろう。絶対に私に恋愛感情を向けないあの人を、どうして好きになってしまったのだろう。

 蓮はつり気味の眉をすっかり下げてしまっている。こんな私情に2人を巻き込んでしまって申し訳ない気持ちになる。杏まで泣いているし。

「ごめん、凛。そうだよ。凛の言う通りだよ。だから私、凛の好きな人が先生だって気づいたときから、告白なんてしなくていいんじゃないかって思ってたんだ。先生が教師辞めるって聞いた時から、もっとそう思うようになった。しばらく会わなければ、好きだったことなんて忘れるだろうって。先生に対して持っていた気持ちなんて、ただの一時の憧れをこじらせたものだったんだって」

 可愛い彼女が泣く姿を見ると、罪悪感で押しつぶされてしまいそうになる。

「でもさ、凛は本気なんでしょ? 忘れるの大変だよ? だって私もユウ君に告ってなかったら、絶対諦めきれないもん。ストーカーになってたし」

 杏は少しだけ笑った。私は笑おうと思ったけど、結局笑えなかった。杏は数週間前、ずっと片思いをしていた幼馴染のユウ君に告白し、振られていたことを明らかにした。

「なんで言ってくれなかったんだよ。私たちが慰めたのに……」

「凛がもし告白するなら、士気が下がるといけないと思ったんだよ」

 杏は朗らかに笑った。少女漫画だったら、彼女みたいな可愛い子は幸せになっているはずなのに、現実は厳しい。

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