第四十二話 「天と地の階に臨む」

「おーい、橘センセー! ちょっと荷運び手伝ってくれー!」


 悲鳴のような保の要請に、自分は苦笑しながら車を降りる。

 プロダクションの入り口で、顔を真っ赤にしながら大荷物を運んでいる保と所在に駆け寄り、反対側を支えた。


 ひーこら言いながら、なんとかバンまで運んで、その場に崩れ落ちると。

 所在が、なにかを差し出してきた。


「これ、お願いするッス」


 それは、携帯型のCCDカメラだった。

 彼は有無を言わせず、テキパキとそれをこちらの頭部に取り付け、腰にバッテリーなどをおさめたウエストポーチを巻き付ける。


「これから橘センセが視るものは、人類史に残る映像ッスからね。残念ながら、自分はそっちに同行できないですし。バッチリ撮して貰わないと困るッスよ」

「そうだぜ。センセがうちの女優を撮影してくれよな。ついでによぉ、これから起きることを生配信して、がっぽり再生数稼ぎたいよな!」

「いいッスね加藤さん! はじめて意見があった気がするッス!」

「だろぉー!」


 なぜだか意気投合するふたりだったが、それが空元気なことぐらい、風太でなくても解った。

 震える手も、強ばる顔も。

 それでもという想いで、勇気を振り絞っているのだ。


「……ほんとうなら、自分が撮影したいッス。でも、自分には別にやるべき事があるッス。だから、任せるッスよ、センセ」

「橘センセ……いや、風太。俺からも頼む」


 保が、居住まいを正し、頭を下げた。


「撮影のことだけじゃねぇ。黛のことだ。いま、あいつがいねぇーから言うけど、俺は」

「希歌さんのこと、好きなんでしょう?」

「──なんで解るんだ? やっぱ怖ぇなぁ、作家ってイキモンは……。そうだよ! ああそう、俺は黛に惚れてる! 出来ればこの手で守ってやりてぇ! 他人に任せるなんざ忸怩たる思いだが……」


 それでも。


「風太、お前になら、任せられる」

「……はい。任されました。きっと、希歌さんを助けます」

「おう、信じてるぜ。だから……おまえも俺たちを信じてくれ」


 彼の言葉に、自分は頷いた。

 差し出されるふたりの手を、しっかりと掴む。


 そして彼らは、女菟とともにバンへと乗り込んだ。


「生きて飯でも喰いにいこーぜ」

「カメラ、お願いッスよ」

「舞台の中央で、主役を張り続けろ、橘風太。オレが言えるのは……それぐらいだ」


 かくして、彼らは旅立つ。

 空を覆う真紅の海を堰き止めるために。


 そして──


「お待たせ、風太くん」


 待ち人が、やってきた。


§§


 路面電車からバス、タクシーの類いまで。

 すべてが運休状態の永崎を、自分と希歌は駆け抜けた。

 そうしていま、摩天楼の根元に立っている。


 ネクスト永崎タワー。

 この街の夜景の象徴として建設されている、超々高層建築物。


 辺り一帯には警備員や工事関係者と思われるひとたちが、泥を吐き出しながら硬直して倒れている。

 自分たちは、ジッとタワーを見上げる。


「いよいよだね」


 希歌が言った。

 彼女の格好は、これまでのどの衣装とも違っていた。

 野戦服のようなゴシカルなドレスを、ハーネスベルトで結束。

 黒く染まった右手だけを、肘の上まであるグローブで覆っている。


「風太くんは、こんなときもいつもどおりだ」


 彼女の言うとおり、自分の格好はいつもの通りだ。

 ながい筒状の帽子と、スマートな道化の衣装。

 違うところあるとすれば、側頭部のCCDカメラと、全身の至る所に大道芸の道具を隠し持っていることぐらいか。


 装いこそこんなだが。

 準備は、万全だった。


「……いこう」


 短く伝えれば、彼女は頷く。

 ふたりで一歩、タワーへの路行を踏み出す。

 内部に踏み込んだ瞬間、空気が変わった。


 箱屋敷で感じたものよりも、よっぽど強い疎外感。

 世界と、隔絶される感覚。

 身の毛もよだつ恐怖に心を押しつぶされそうになりながら、それでも撮影を開始する。


「オドロにちわ! オカルト体当たり系ゴスロリユアチューバー黛希歌です。今日は生配信。すでに皆さんは知っているでしょうが、いま永崎は未曾有の大災害に襲われています。その原因は──」


 語りはじめた彼女をカメラに撮しつつ、エレベーターへと乗り込む。


 扉がゆっくりと閉じ、押し込まれたボタンに従って、箱は最上階までの昇降を始める。

 はじめはゆっくりと。

 やがて、身体に重さを感じるほど早く。


 希歌は目を閉じていた。

 自分は目を開いていた。


 軽快な音が鳴る。

 エレベーターが、最上階への到達を告げる。


 無言で降りる。

 眼前に広がる光景は、異常の一言だ。

 事前に所在から、タワーの内装を撮影した映像を見せて貰っていたが、あまりにここは違う。

 あちらこちらに逆向きの注連縄が打たれ。

 宗教施設でみたような、呪術の道具が散乱している。


「ご覧ください。まさかの惨状です。ちなみにこの施設への侵入は連絡しておりませんので、あたしたちは撮影終了後自首する予定です。しかし、ほんとうにラストダンジョンって感じですね……」


 そこで言葉を切った希歌と、一度視線を合わせ。

 足並みを揃えて歩き出す。


 本来は立ち入り禁止の屋上へと出るための階段はすぐに見つかった。

 自分たちは、それを、一歩一歩踏みしめながら昇る。


 この先に待ち受ける運命を。

 これまでに連なってきた宿命を。

 憎悪を、呪いを、祝福を、縁を。


 無数の想いを抱きながら、決着をつけるために。

 自分たちは、階段を上る。


「……ねぇ。もし、あたしがヤバくなったら、予定通りお願い」

「うん」

「足手まといはノーセンキュー。絶対に、やりとげてみせるから」

「うん」

「だから、アンタも約束して。生きるって」

「もちろん、約束する」


 言葉を交わして、想いを交わして。

 そして、屋上への扉の前で、立ち止まった。

 どちらとなく拳を突き出し、付き合わせる。


「──」


 希歌が、驚いた顔で自分を見た。

 けれど答えない。

 代わりに、


「行くよ」


 一言そう吐き出して。

 扉を──あける。



「ようこそですってー!」


 無邪気な声が、自分たちを歓迎した。


「世界の終わりに、一番近い場所へ!」

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