第二十三話 「〝おはこさま〟」

 合流した風太たちが通されたのは、奇っ怪な祭殿だった。

 屋敷の裏手に増設されているのであろう、家屋二階分のスペースがぶち抜かれた建物。

 その形状は、まさしく〝はこ〟で、色が白ければ豆腐のようだと表現することも出来たかも知れない。


 そんな〝匣〟の内部は、屋内だというのに真っ赤な鳥居が、いくつも立ち並んでいる。

 裸電球の下に並ぶ鳥居は、奥に行くほど小さくなり。

 最奥にはこの屋敷を象徴するものなのだろうか、奇妙な〝匣〟が安置されている。


「……この鳥居、なんか変じゃねーか?」

「カトーさんもそう思います? あたしもなんか違和感があって」

「逆なんスよ」

「なに?」


 珍しく所在が口を開いた。


「保さん、逆ッス。鳥居のしめ縄が、裏側についてるンすよ」


 あっと保が声を上げる。

 本来なら表側、参拝者を迎え入れる側についているはずのしめ縄が、箱に向かってついているのだった。

 撮影に徹している所在だからこそ気がつける、奇妙な仕掛けだった。


「〝おはこさま〟が、出て行けんようにねぇ、そういうつくりになっているのさ」


 小鳥刀自が、疑問に答えてくれる。

 けれど。


「……なんだろう?」


 奇妙な既視感が、またも自分を襲う。

 なにかを外に出さないよう封じる仕組み。これと同じか、近い仕組みのものを。

 どこかで、確かにどこかで、見た覚えがあるのだけれど──


「センセ、おいてかれるぞ?」


 あと少しで思い出せそうなところで、保に声をかけられた。

 小さく頷き、全員の後に続く。

 小鳥刀自が先頭に立ち、鳥居を潜る。


 自分たちも後に続き、潜る。


「なんか、遠い……」

「希歌さん?」

「ここ、遠いよ。壁があるみたいで……」


 隔絶されている。

 希歌だけが、そんなことを訴える。

 鳥居をひとつ潜るたび、現実が遠くなる感覚があると。

 ちらりと振り返った老婆が、また答えた。


「ここは此岸しがんよりも彼岸ひがんに近いけんねぇ。さぁて──説明ばせんばじゃろ。坊らに取り憑いてるモンの正体は、幽霊や悪霊なんち生温かもんじゃなか。無論、妖怪でんなか」

「なにも、解らないと?」

「わかっとるとは名前だけ。泥泪でいるい──それも意味のない言葉じゃ。じゃっどん、無力ではなか。そのよからぬもんで、悪さば働こうとしたもんらが、かつてったとは聞く」

「それが、あの施設の持ち主ってこと……?」

「さぁてねぇ。どこぞの愚者ふうけもんが村ごと吹き飛ばしたとは聞くばってん、同じ奴らだったかは、どうだか」


 希歌の問いに、肩をすくめる老婆。


「とかく、よっぽどタチの悪かもんが坊らには取り憑いとる。そいけんて、対処法が無かわけでんなか」

「つまり、どういう意味だよ、ばあさん?」


 若干口に悪さがマシになった保の問いかけに、老婆は頷いてみせた。


「坊らの身体ん中にある祟りば吸い出して、すべて〝おはこさま〟の中に封じこめてしまうのさぁ。そうすりゃすべて解決じゃ。いかなる妖異も、世の始まりと終わりである〝おはこさま〟からは抜け出せんけんね!」


 怪鳥が鳴くように。

 刀自は、気味の悪い笑い声を上げる。

 薄気味悪そうに保は肩をすくめたが、それでも好奇心が勝ったのか、


「だから、どうやってだよ」


 と、震える声で訊ねていた。

 刀自は口元を歪めたまま答える。


「〝おはこさま〟ば、よく見てみなっせい。ありゃあ、ふたつからできてるのよぅ」


 言われるがままに目をこらすと、確かに箱は、前後に二つあった。

 手前に小さな箱が、奥に大きな箱がある。

 小さな箱はひとめで高級とわかる寄せ木細工で、一方大きな箱には見える範囲では継ぎ目すらない。

 箱と言うには蓋もなく、材質がなんであるかすら解らない。

 そのふたつの箱は、どうやらひとつなぎらしい。


 老婆は小さな箱に歩み寄ると、その精緻な模様に丁寧な手つきで触れていく。

 カタ、コト、カタ。

 小気味よい音ともに、箱の形が変形。


 やがて──カチリと蓋が外れる。


 中には、なにも入っていない。


「爪、髪、唾液、生き血を一滴。それぞれが紙に包んで、ここに納めんしゃい。そいが御主らの代わりになって、祟りを一身に集めてくれる」


 なにかを口にする前に、どこに控えていたのか、何人もの黒子──歌舞伎の舞台で見るような、顔を布で隠したまさに黒子──が現れ、爪切りや刀子を恭しく差し出してくる。


「箱屋敷は霊能力者の駆け込み寺よ。世になじめぬ異能者、煩い忌まれたものたち、子を産めぬ事情を抱えたもの、世を捨てたもの……そんなものたちを、こうして分け隔てもなく滞在させておる。安心せい、ばあが生きておるうちは、なにもされんよ」


 刀自の言葉に、一堂は顔を見合わせたが。

 やがて誰からともなく頷き合うと、爪や髪を切った。

 指に刀子を走らせれば、かすかな痛みとともに、ぷっくりと赤い血潮が盛り上がる。


「よかった、血は赤いね……泥じゃ、ない」


 希歌が安心したようにため息をつくが、風太にしてみればそんな彼女の様子はどこまでも痛ましかった。

 老婆の言葉が脳裏で蘇る。

 よく見ていてやれなどと言われずとも、自分は幼馴染みから目を離すつもりはない。


 促され、風太も髪や爪を切る。

 託された諸々を、黒子たちが紙に包み、刀自へと手渡す。

 刀自は寄せ木細工の箱にそれを収め、蓋をしてしまう。


 また、黒子たちが動いた。

 彼らは音もなく暗闇とこちらを行き来して、希歌たちのまえに、小さな水槽をひとつずつ並べて置いた。


「なあ、ばあさん。この水、やばい水じゃねーだろうな?」

「ふぉっふぉっ。大きな坊は怖がりか?」

「なにを!?」

「安心せい。ただの六甲の美味しいお水じゃ」


 は? と気の抜けた声を出す保。

 しかし刀自は、真面目な調子で、


「霊山富士の雪解け水と、六甲の地下に眠る雄大なミネラルウォータ、なにが違う思うか? なーんも変わらんよ。霊験はどちらもあらたかじゃし、成分もおおよそ同じじゃ。じゃったら、手に入りやすいモンを使う方がよかろうが」

「そりゃあ、そうだけどよ……」


 困惑する保。

 一方で自分は、ひどい喉の渇きを覚えていた。


「小鳥刀自」

「なんじゃね、賢い坊」

「喉が渇いて……水をいただいてもいいでしょうか?」

「……ふむ、黒子に用意させようかね」

「──いえ」


 普段なら、絶対にこんなことは言わない。

 けれど、我慢がならなかった。


を、いただきます」

「風太くん!?」


 希歌が悲鳴を上げた。

 当然だったと思う。

 気がつけば自分は水槽に頭を突っ込み、ミネラルウォーターを飲み干しにかかっていたのだから。


 溺れるように、がつくように。

 まるで、餓えた犬のように浅ましく。


 その場の全員が目を丸くするのが解った。

 わかっても、やめられなかった。

 黒子のひとりが立ち尽くし、身体を震わせていた。

 それでも自分は、飲むのをやめられなかった。


「も、もうやめとけって、センセ!」


 水槽の中身が半分にもなった頃だろう、保に無理矢理引き剥がされた。

 渇きが収まらず、思わず彼を睨み付けると。

 保は、ぎょっとした顔で後じさった。


「さぁて……落ち着いたかねぇ?」


 刀自の油断のない、しかし穏やかな言葉に。

 なぜだか、自分は力が抜けた。

 ゆっくりと首肯すれば、彼女も頷きをかえす。


「そいじゃあ、説明ばはじめようかねぇ」


 自分は口を拭い、正座を仕直し。

 他の全員も居住まいを正す。

 老婆が、口を開く。


「その水槽は小箱と、小箱は大箱──〝おはこさま〟に繋がっちょる。これから、ばあが祭事を行うと、御主らが右手ばつっこんだ水槽から、怪異の正体が溶けて出る。溶けて出た怪異は、小箱を通って〝おはこさま〟に呑み込まれる。それで──仕舞いじゃ」

「仕舞い、というと……?」

「仕舞いは終い。怪異は仕舞い込まれて、悲劇は終いじゃ。御主らは助かるちゅーわけよ、賢い娘どん」


 刀自の両目は相変わらず白濁していたが。

 けれど、確かな自信に満ちあふれていた。


「〝おはこさま〟は、どこに繋がっているんですか?」

「地獄じゃ。そいけん、どんな悪霊も怪異も、這い出すことは叶わん。安心せい」


 安心しろと繰り返す、老婆の言葉を受けて希歌を見る。

 すると彼女は、強く頷き。

 保や所在も覚悟を決め、上着の袖をまくる。

 そうして全員が、水槽に手を入れた。


「……そいじゃあ、はじめるかいの」


 怪異を封印する儀式が、始まった。

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