炎上するバー

 ドアのそこには体躯の良い男が立っていた。カジュアルな格好をしているがカバンをもっているので仕事帰りらしい。男性客の一人が言った。

「おっ、ヒーさん今日は少し遅いじゃない。」

マスター、

「いらっしゃい。」

新客はドアを閉めてカウンターに向かってくる。それと同時にユミコがヒロシにまじめ顔で言った。

「ねぇヒロシ、席変わってもらえる。私の席に移って頂戴よ。」

ユミコは立ち上がった。


どうやらユミコは新客の横に座りたいようだ。ヒロシとしてはユミコの絡みから逃れられると思って少しホッとした。ヒロシはユミコの座っていた席に移った。そしてユミコはヒロシの座っていた席に座るかと思ったら・・、それをひとつ開けて隣の席に座ったそれを不思議に思ったらユミコが言った。

「私はいつも右に座るのよ。」

そして、新客がヒロシとユミコの間に空いた席に座った。新客もこの店の馴染みらしい。ヒロシ以外は皆、普段座る場所が決まっているのだろう。


新客が口を開いた。

「マスター、いつものビール。」

「あいよ。」

少しして、マスターが新客にビールを、そしてヒロシに先ほどオーダーしたスコッチのストレートを置いた。

新客、

「皆さんお疲れ様~。」

と言ってグラスを挙げた。皆一斉に杯を挙げた。

「お疲れ~。」

ヒロシも吊られてグラスを挙げ、そして、隣に座った新客とグラスを合わせた。それと同時に互いの顔を見て同時に叫んだ。

「あれ!」


新客、

「久しぶりですね、ヤマモトさん。」

「たしか日野原さんですね。あー、だからヒーさんか。いや-、1年ぶりぐらいですかね。」

横で二人のやりとりを見ていたユミコが言った。

「なになに、二人は知り合いなの?」

日野原が説明した。

「前に話したことのあるカラオケスナックでね、良くお会いした方だよ。」

ユミコ、

「スナックって、ピクルスとかいう名前の?」

日野原、

「そう、ピクルス。」

ヒロシが説明を加えた。

「ピクルスは今でも良く行ってますよ。そういえば日野原さんとは一年ぐらいお会いしてませんでしたね。」


カラオケスナックのピクルスは、ヒロシの勤める横浜のオフィスの近くにある。会社の仲間と良く行く。一年前まで日野原も別客として良く来ていた。日野原はヒロシ達のようにグループではなくいつも1人だった。互いにあまり話したことはないが常連としてで良く顔を合わせたものだ。


日野原、

「ヤマモトさんの盛り上がるサザンが懐かしいなぁ。」

「日野原さんも、EXILEで高得点だしてましたよね。」

ピクルスには得点が出るカラオケ設備があって日野原ともそれを競って歌い合ったのが懐かしい。


しばらくヒロシと日野原のカラオケの話が続いた。ヒロシはすっかりユミコの絡みから開放されて落ち着き、このバーの雰囲気に馴染んできた。煩いユミコはどうしているかというと、先ほどのマシンガントークはどこへやら、日野原の大きな体に隠れるように二人の会話を静かに聞いている。ヒロシは完全にユミコから開放されてさらに話し易くなった。


カラオケの話の区切りがついたところで日野原が少し話題を変えた。

「ところで、ピクルスで良く歌っていた女性達は元気かな?」

ヒロシは少し考えて応えた。

「女性? あそこは僕らのように男ばかりの客層で常連の女性客はいないと思うけど・・。」


ピクルスはとても古い昭和調のスナックで女性が入るにはかなりオジン臭いのだ。すると日野原は恥ずかしがるように言った。

「実は・・、あそこの店で知り合った女性と付き合ってたことがあって。ヤマモトさんも知っている人ですよ。」

ヒロシ、

「えっ! 誰だろう?」


 バーの客の全員が日野原の話に注目した。マスターだけは、黙々とカウンター内でグラスを磨いている。ヒロシはピクルスの客を思い出すが・・、やはり女性が思い浮かばない。でも、ヒロシが知っている客となると・・。そういえば、ヒロシの会社の秘書の女性を仕事の打ち上げで紅一点連れて行ったことがある。でも、あの子はたしか長く付き合っている社内の彼がいるが・・。

「もしかして、うちの会社の小林亮子? 彼女はたしかにピクルスに行ったことがあるけど・・。」

「ははは、ヤマモトさんの会社の子に手を出すなんてしませんよ。それにその小林さんって人は会ったことないし。」


 ますますわからない・・。ヒロシはピクルスの店内を思い浮かべた。女性か・・、思い出せないなぁ・・。と、微かにピクルスのカウンターの中に立つ二人の女性が思い浮かんできた。

1人はピクルスのママ、そしてその横に立つアルバイトのナミが思い浮かんだ。あっ! もしかて!

「わかった! ナミちゃんだね。」

「いやその・・、ナミちゃんは元気にしているのかな。」

「今でも週に2回お店で働いているよ。へぇー、ナミちゃん、アイドル事務所に所属していたぐらい可愛いからね。僕には高嶺の花・・」


と話しているところに日野原は手の平を左右に振って話を遮る。

「いやいや違う違う。ナミちゃんじゃないよ。そもそも彼女はボーイフレンドがたくさんいるみたいだから相手にされないよ。」


ヒロシは益々わからなくなった。後は誰がいたか・・。うん? まさか・・もしかして・・。最初から対象外にした女性を思い出した。ヒロシは思い切って聞いてみた。

「まさか、ピクルスのママと?」

さてどうか、日野原はヒロシの目を見て息をぐっと飲み込み黙った。その表情は、イエスということだった。


 ヒロシはピクルスのママのことを10年ほど前にあのお店に通いだした時から知っている。確かに綺麗な人だが年は50才半ばだ。日野原は40前半だから10才以上は上だろう。ヒロシ達にとっては母親的雰囲気のある女性だった。そして大学生の息子と高校生のお嬢さんがいる。旦那は・・色々とあるらしく別居をしているが離婚はしていないはずだ。日野原の付き合う相手にピクルスのママとは・・想像もつかない不釣合いだが・・。ママも昔はかなりモテていたように見える。そういえば、ママはがっしりした人が好みだ、と聞いたことがあった。日野原は格好いいと呼ばれるタイプではないが、体躯が良いのでママの好みなのかもしれない。


改めてヒロシは言った。

「えっ~!、ママと付き合っていたのか。」

すると、暫く静かにしていたユミコが話に入ってきた。

「ねぇねぇ、ピクルスのママってどんな人なのよ~!」


ヒロシは久しぶりの知り合いのゴシップに気分が高揚してきた。日野原とママのことに興味深々、根掘り葉掘り聞いてみたい。

「日野原さん、なかなかやるねぇ。ママは綺麗だからね。いつから付き合ってたの? たしかに日野原さん、いつも最後まであの店に残っていたからなぁ。”付き合ってた”ということは、今はもう・・」

ヒロシはスコッチが少々回ってきたこともあり饒舌になって一気に聞きたいことが口から出た・・、


 その時だった。


目の前でグラスを黙々磨いていたマスターが、いつの間にか顔を真っ赤にし凄い形相でヒロシを睨んでいる。ヒロシはまくしたてながらマスターの表情に気が付きマスターと目を合わせると・・マスターが突然大声で怒鳴ったのだ。


「ヤマモトさん、その話、ダメですよっ! 隣に座っているのは新婚の日野原さんの奥さんなんだから!」


ヒロシはギョッとした。

「えっ!?」

絶句した。バーは一瞬静まり返った。


ヒロシは暫く固まっているが、日野原と男性客二人はニヤニヤしている。そして・・、カウンターを手で叩きながらケタケタと笑うユミコの声が店内に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る