絡まれる男
ユミコは明らかに酔いが回っている。彼女は右に座るヒロシの方へ身体を少し向けた。
「お兄さん、このお店初めてだよね。ところでお名前は?」
「はぁ、ヤマモトです。」
「あー、ヤマモトさん? ここら辺の人じゃないよねー、匂いが違うもん。なんで背広着てるの、会社勤めのサラリーマンね、見たらわかるよ。名前の方は?」
「ヒロシ、ヤマモトヒロシだ。」
「ヤマモトって、よくある名前ねぇ、平凡だわ。」
「いやあの、字は、山にホンじゃなくて、山に元気の元と書いてヤマモトで、珍しいと良く言われるんだけど・・。」
「どうでもいいわ。結局、ヒロシでしょ、ヒロシ~!、私はユミコ。」
この女性、とにかく話のテンポが速い。マシンガンのように話してくる。そこに、男性客二人が合いの手を入れた。
「ヒロシィ~にカンパーイ!」
ヒロシのビールグラスには既に三分の一ぐらいしか入ってなかったが、半ば強制的に隣のユミコと杯を交わした。ヒロシはそろそろ面倒臭くなり顔を引きつらせていた。それにはお構いなくユミコはさらに話しかけてくる。
「ヒロシはさぁ、タレントでは誰が好きなのよ。」
「あーあの、そうね、財前直美かな。昔から大好きだなぁ。」
ユミコは、新たな話し相手を見付けたとばかり、さらに身体をヒロシの方に向けて左肘をカウンターに置きじつくり話す体制をとった。
「えっ、あんな女のどこがいいのよ。私は阿部寛、カッコイイよねぇ~。」
ヒロシは、良く喋る女だな・・絡まれつつある・・と内心苦笑した。男性客ふたりもユミコがヒロシと話し出して、ハマったなという表情でニヤニヤしている。マスターだけは無表情で黙々と給仕をしていた。しばらくユミコの相手をするしかなさそうだ。ユミコは続ける。
「阿部寛みなたいな男、いない?」
「はぁ、僕の周りはずんぐりむっくりで・・俺もそうだけど。おまけに短足ときているし。」
ヒロシはわざと自分を下げた。ユミコは矢継ぎ早に返してきた。
「まぁ、男は体形じゃないけどねー。大体ね、イケメン装っている男にはろくなのがいない。あー、アベヒロシ~!、あれ? 同じヒロシじゃん!」
ユミコの話していることがチグハグになってきた。そこに男性客の一人が話を挟んできた。
「このユミコはねぇ、恋多き女なんだよ。なぁー、ユミコ。」
ユミコは、酔いが回った口調でヒロシに言った。
「そうよ、私はねぇ、色々としたくもない経験をしたのよ。あのさー、ヒロシ、結婚してるんでしょ?」
「はぁ、してるけど。」
「やっぱりねぇー、どこか格好いいものね。浮気は何人としたの?」
ヒロシは、ユミコの話の質の悪さに警戒し始めた。とにかく自分を下げることにした。
「俺はそんなにモテないけど。こんな体系だし、安月給のサラリーマン、この背広も2万円のセール品だよ。オシャレもできない。」
と言ってみたが、もうユミコはヒロシの話はどうでも良いように自分のペースで話をする。
「私はねぇ、相手は不倫ばっかり。ほんとに男ってずるいんだから。」
男性客が囃し立てる。
「おー、始まった。ケイコの波乱万丈トークショウ! ィェイィェイ!」
ユミコが続ける。
「ヒロシも色々泣かしているでしょ。」
「あー、だから俺はそんなにモテなくて・・。」
「奥さんとは同棲してたの?」
自分のことを話していたかと思っていたら、時にこっちに話題を振ってくる。気が抜けない・・。
「いや、同棲はしないかった。式を挙げてからから暮らし始めたよ。付き合ってから半年で結婚したよ。」
「婚前交渉は何回目のデートなの?」
随分と荒れてきたとヒロシは飽きれた。しかし、逃げられる雰囲気でもない。随分とエッチ話が好きそうな女性だった。ヒロシを誘おうとしているようにはみえず、一見さんのお客をからかっていると見えた。ヒロシにとっても好みじゃない。適当にあしらうか、と決めた。
「そうだね・・。」
ヒロシはまともに答えずはぐらかそうとした。はぐらかすために話にブレークを入れた。
「マスター、なんかおすすめのスコッチをもう一杯、ピートが効いたヤツを。」
マスターは淡々と答えた。
「あいよ。じゃぁ僕のお勧めを見繕うね。」
話を切ってスコッチの話題へと思ったが、ユミコは関係なく続けた。
「まさか、奥さんが初めてじゃないよね。童貞捨てたのは? 筆おろしは何才よ?」
ヒロシは気のない返事でさらに誤魔化そうとした。
「うーん、いつだったか・・。」
するとユミコは、
「私なんかね、」
と、自分の話に戻りだした。つまり、人の話なんかどうでも良い、とにかく自分のことを話したいらしい。
「私なんかね、どうせバージンじゃねぇし。最初の相手は高校の時、随分引きずったわ。その後は不倫で・・、でも遊びで誰とでも寝る女じゃないからね・・。」
そして続けた。
「誰とでも寝る女って私の友達に結構いるけど、でも、そういうのが幸せになっているの。一途な私はどうも相手が悪くって・・。」
ユミコの話は、初対面のヒロシに話すにはあまりにも赤裸だ。だが、男性客二人は、また始まったとばかりにニヤニヤしながらユミコとヒロシの会話を聞いていた。
その時、バーのドアが開き、外の冷たい空気が一瞬流れ込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます