第10話 秘匿された稀石
寝室の床に倒れたサリクスの姿を見つけ、僕はあわてて寝台を飛び越えた。
「サリクス?サリクス!しっかりしてください!」
とっさに彼の頬に触れた手がひやりと冷たい温度を拾った。僕はぞっとして手をひいたが、未練がましく再び首筋に指先を押しあてると僅かに脈を拾うことができた。
少しだけほっとして自分を励まし、呼びかけながら抱き起こすと、彼は頭巾をかぶっていなかった。その白い顔と長衣の胸元は赤黒く汚れていた。血を吐いたように見えた。頬に血の気はなく唇も青ざめて、彼の薄いまぶたは彫像の如く閉ざされていた。僕は震えだした手で慎重にサリクスを抱きしめて、寝台の上に担ぎ上げた。
その時、大振りな黒っぽい石の指輪がひとつ、床の上に転がり落ちた。僕は横目でそれを見た。稀石のようだった。念のためサリクスの手を確認したが、ほかに指輪はない。ただ、左手がひどく黒ずんでいた。そしてそれは手首の上まで達していた。他に身につけていた稀石は、細い首飾りと浄化の腕輪だけだった。念のために首飾りを外したが、サリクスの魔力もひどく弱まっているらしく、なにも変化は感じなかった。
僕は片手を彼の胸に当て、もう一方で翠玉の護符を握りしめて回復の呪文を唱えた。口が乾いて舌を噛みそうだった。僕は慎重に音を紡いだ。あまり上等な魔法ではなかったが、僕はまだ他の治癒魔法を使えなかった。それすら覚えたてで効果はおぼつかない。けれど何もしないでいるわけにいかなかった。僕は自分の無力さに唇を噛んだ。
サリクスはいつからこうして倒れていたのだろうか?血は乾き、彼の体は冷え切っていた。香炉の煙など状況から推察すると、昨晩から今朝の間だろうか。なぜ僕は寄り道なんかしてしまったのだろう。まっすぐ帰っていれば数日早く戻ることができたはずだった。きっと異変にすぐ気付けたはずだ。後悔は無限に湧いてきた。そもそも彼のそばを離れなければよかった。学府にいかなければよかった……
僕は首を振って雑念を打ち消した。今はそんなことに気を取られている場合ではない。手のひらに意識を集中しなおして魔力を込める。やがて僕の額には汗がにじみ、身体中がだるく感じられた。僕は不意に、かつてそれほど長い時間、継続して魔法を使った経験が無いことに思い至った。魔力を使い切る恐怖がちらりと頭を掠めた。しかしサリクスの顔を窺うと僅かに血色が戻っているような気がして、僕はそれに励まされて力を振り絞った。
どれくらいの間、そうしていたのかわからない。突然なにかが左頬に触れて、僕は我に帰った。驚いてひっくり返りそうになったが、なんとか寝台の淵に肘をついて耐えた。時間も忘れ、前後不覚になっていたが、寝ていたわけではない。その証拠に、僕の手のひらは魔力の名残で熱を持ち、体力を激しく消耗していた。そんな体験は初めてだったが、どうやら集中しすぎて周りが見えなくなっていたようだった。すこし遅れて、僕は頬に触れたものがなんだったのかを知った。サリクスの右手が弱々しくこちらへ伸ばされているのを視界にとらえ、僕は思わず彼の首元に飛びついた。彼の髪に使われている香油が、柔らかく重たく香った。
「おかえり」
サリクスは少し掠れた声をしていた。
「もう平気だ。ありがとう。君のおかげで……」
僕はうまく言葉が出せず、彼に抱きついたまま頷いた。汗まみれになった僕の髪と首筋を、サリクスは厭わずに撫でてくれた。
サリクスはそれから一週間ほど体を起こすこともできなかった。その間、僕は気が気ではなく、ほとんどの時間を彼のそばで過ごした。僕も消耗してはいたが、毎日サリクスに治癒の魔法をかけた。サリクスは「平気なのに」と言いながらも、気のせいでなければ、なんだか嬉しそうだった。結局一月ほどかけて、彼は元の生活に戻ることができた。
「つい、手持ち無沙汰で、新しい稀石を試してみようと思ったんだ」
サリクスはどことなく居心地悪そうに、その稀石の反作用が思いの外強く出てしまったようだと説明した。
「心配をかけて悪かったね」
彼はおずおずと詫びたが、僕はサリクスが無事ならなんでもよかった。僕がただ黙って頷くと、サリクスは首を傾げて驚いたようだった。……僕は今までそんなに口煩くしていただろうか?
やがてサリクスの体調も戻った。すぐ以前のような日々が戻ってくるかと思いきや、今度は僕が度々不安に駆られて、サリクスに迷惑をかけるようになってしまった。ヴェールで顔色が見えないことや、いつも手袋をしていることが僕を不安にさせた。布の下でなにか異変が起きているのではないかと心配になり、サリクスの声にいつもより張りがないと思えば彼を寝台に押し込まずにいられなかった。
サリクスも責任を感じているらしく、僕が心配するときには手袋を外して見せてくれたり、大人しく休んでいてくれた。あとから冷静になって謝るのだが、そういう時、サリクスは僕をひどく甘やかしてくれるのだった。自身の内に湧く、抑制できない衝動に振り回される苦しさを、サリクスもよく知っているからかもしれない。
どうにか僕も落ち着きを取り戻した頃には、秋もすでに終わろうとしていた。いつのまにか木々は黄葉して山を美しい金色に飾り、西日にあかるく輝いた。そしてやがて葉がひとつまたひとつと落ち始めた。冬の訪れを告げる風が木の葉をすべて吹き散らしてしまうのも、そう先のことではなさそうだった。一方で研究の計画は遅れに遅れ、サリクスは計画表を大幅に書き直さなければならなかった。
僕はこの頃、やっとサリクスの手伝いと呼べるような仕事ができるようになってきていた。稀石を小箱に封印する魔法を覚え、実験装置の使い方を学び、稀石から魔力が逆流するのを防ぐ方法を学んだ。道具の扱いもなんとか様になり出した。実験の結果を記録し、図を書き留めることも任されるようになっていた。サリクスは僕に図画の才能があると褒めてくれたので、僕は喜んで引き受けた。
護符作りでもある程度の品質が出せるようになっていたので、サリクスの仕事のうち、あまり難しくないものを部分的に手伝うこともあった。しかし、まだ稀石を扱うには未熟だった。
サリクスは他にもさまざまな心得を教えてくれた。うまくいかない時の気分転換の方法なども話題に上がった。些細な魔法もたくさん教わった。僕が気になっていたぼんやりした明かりの魔法も、それほど難しくはないと言って教えてくれたが、いざやってみるとうまくいかなかった。
「どんな事だって練習が必要だろう。どうしても力不足の時には護符をうまく使うといい。良い魔法使いになれるかということと魔力の強さは、必ずしも結びつかないものだよ」
サリクスはそう言って、僕のために上質な護符をいくつか作ってくれた。それらの効果を長持ちさせる保管方法も教えてくれた。
この時期ほど、僕が僕自身を信じられた時期は他になかった。自分の未熟さや、力の及ばないことや、無知を嘆いたりすることを僕はいつの間にかしなくなっていた。忘れていたといってもいい。いつも前向きに高いところを見ていた気がする。サリクスの存在が僕の背中を押した。僕はそれに応えて上に登ろうとさえすればよかった。サリクスは必ず僕を引きあげてくれると信じていたから、僕は安心して足を踏み出せた。
僕は魔法にかけられているように透き通った気持ちで毎日を暮らした。サリクスが使ったどんな魔法よりも、僕はこの魔法を愛した。
ある時サリクスは、そうした手伝いとは別に、僕なりの仕事も進めるべきだと言った。
「自分で自分の仕事を決め、自主的な目標を持って進める事は、人の仕事を手伝うのとはまったく別のことだよ。そうした習慣を身につけるのには、人によっては試行錯誤が必要で時間がかかる。始めるなら早い方がいい。手伝い仕事の傍らで、自分の仕事を進める習慣が身につけば、きっと君の役に立つだろう」
学府からの依頼の傍らで研究を進めるサリクスの言葉には説得力があった。さっそく僕は、すこし前から頭の片隅にあったアイデアを書き出した。まずは塗布して使う魔力封じの薬剤を作ること。ゆくゆくは、稀石の弊害を無効化する方法を探したい。それを、僕は自分の目標に決めた。
それからまた、サリクスは彼が今までにまとめた資料の見方も僕に教えてくれた。
「今までは自分が見てわかればいいと思っていたが、先日のこともあって考えを改めた。もしも万一のことがあったら、君とアルジャンの力でこの資料を世に出してもらいたい」
サリクスは珍しく未来の話をして、僕に分厚い帳面を数冊見せた。
「栞がつけてあるのは補足が必要なところだよ。それぞれに関連の番号を振ってある。項目ごとに書いた日付が付いているけど、わかりやすいように表紙にも番号を書いておいた。こっちが装飾文様について、これは術式、宝石の加工、これが稀石全般」
サリクスは手慣れた様子で帳面を並べ、そのうち文様の帳面を無造作に開いた。細かいが明瞭な文字が、図の間の紙面をびっしりと埋め尽くしていた。
「読めるだろうか」
僕は思わず感動して何行か試しに読んでみたが、文体も簡潔でとてもわかりやすかった。「もちろんです」と返すと、サリクスは頷いた。
「もしも君に読みにくいところがあってもアルジャンなら読めるだろう」
私の手癖をよく知っているからね、と言って、サリクスは帳面を閉じた。
「まだこれは封印した棚に納めておくけれど、封印は私に何かあれば勝手に解ける」
僕はどことなく、サリクスが急いで実験を進めているような気配を感じていた。けれどそれは研究計画が遅れているせいだろうと思っていた。また、サリクスが積極的に資料を共有してくれるようになったのは、僕を共同研究者として認めてくれたのかもしれないとも思っていた。けれど、後になって思い返してみると、サリクスはおそらくこの時期に、自分の役目を終わらせる覚悟を決めたのだろう。
「先日の、稀石のことなのだけど」
工房の暖炉の前で、安楽椅子に腰掛けたサリクスは、僕が手渡したお茶に少し口をつけてから言った。彼は相変わらずヴェール付きの頭巾をかぶっており、いちいちそれを片手で避けるのは少し鬱陶しそうだった。
一日の作業の終わりに、僕たちはこうして暖炉の前で少し話をするのが常だった。お茶を淹れて一息ついてから、たいてい僕が先に寝室に戻る。今日のお茶は僕がモシュケラの大市で手に入れた、東国の珍しい香料入りだった。
「どの稀石のことでしょう?」
ざっと思い返してみても、ここ数日で扱った稀石ですら複数あった。
尋ねながら、僕は作業用の椅子を一脚引き寄せた。僕はいまだに安楽椅子に慣れず、いつもこうして丸い簡素な木の椅子を引っ張ってきて使っていた。安楽椅子のゆらゆらするのが落ち着かないのだ。
「反作用が強く出てしまった、あれだよ」
僕はすこしぎょっとした。乾いた血の跡が眼裏に浮かんだ。彼が倒れていた絨毯の血痕はまだそのままになっているはずだった。
「あれが、なにか?」
「実は、まだ実験が終わっていないんだ」
「……」
なんと言葉を返せばいいのかわからず、僕はサリクスを見つめた。彼はいつもと変わらない、落ち着いた声で話した。
「私は今までに、現在知られているおそらく全ての稀石を試してきた。それぞれの効果、反作用、利用法や加工法について、相性の良い術式についても一通り結果を得られた。そして石の結晶構造がその効果を決定づけているということもわかった。これらが広く理解されれば、人々は稀石をもう少し安全に使えるようになるだろう」
その時、サリクスは珍しく指先で器の腹をとんとんと軽く叩いた。それがどんな心持ちから出た仕草か、僕にはわからなかった。ただ見慣れないサリクスの様子は僕を不安にさせた。
「けれど、まだ埋まっていない空白の間隙がある」
サリクスは暖炉の揺れる炎を見ていた。僕はそんな彼の様子を見つめていた。その姿を目に焼き付けようとした。できることなら時間を止めてしまいたかった。魔法のようなこの日々が終わる。そんな予感があった。
「それを埋めるのが、あの稀石なんだ」
サリクスが僕に語ったのは、こんな話だった。
その石は、三百年ほど前にはじめて記録に登場した。東国イスファシャの宝石商が買い付けた見慣れぬ石、褐色のジルコンに似てより深く暗く、それでいて日の光の下では虹色に輝く。多色性があり中心部は青く光った。宝石商はその珍しい石を時の皇帝に献上した。
魔導帝国と呼ばれた今は無きこの国は魔法使いの国であり、皇帝は強大な魔力をもって国を治めていた。しかしこの石を手に入れた皇帝はまもなく死んでしまった。暗殺かと思われたが、どうやらこの石が原因らしいと思われた。調べてみると関与したものがみな命を落としていたことがわかった。この石自体に原因があると見た側近の大魔法使いは、これを厳重に封じた。
やがて帝国は力を失って解体され、富は流出した。その中に封印された宝石箱もあった。西方に流れたその箱を、ある名高い魔法使いが手に入れた。箱の呪いを解いたのは彼だった。しかし間も無く彼も死んでしまった。彼の遺言により、石はセントラルに持ち込まれた……
それからも数人の力ある魔法使いがその石を研究しようと試みた。しかし尽く失敗して命を落とした。最後にこれを破壊しようと試みたものがいた。彼は助手たちの前で爆発四散して命を落とした。それ以来、この石は再び厳重に封印され、秘匿されていたのだという。
サリクスはそれをどうやって手に入れたのかは言わなかった。ただ、現在その稀石についてわかっているのはそれが全てなのだと彼は言った。
過去にこの稀石を扱えたものはなく、効果すら判然としない。ただ強力な魔力を帯びており、人の命を次々と奪ってきた。他の稀石とはあまりにも異なり、似た石が他に発見された例はなく、いまサリクスが持つこのひとつが、人間が知る唯一のものらしい。
「あの石も日の光で虹色に光る。その点では確かに稀石として分類できるのだろう。しかし他のことは何もわからない。先達て私はこれを身につけてみたが、実際なんの効果があるのか分からなかった。というより、何か試すより先にみるみる手が内出血を起こした。とっさに指輪を外したときに血を吐いて、あとのことは覚えていない。あともう少し指輪を外すのが遅れたらどうなっていたことか」
「なぜそんな危険なものを、僕がいない時に試されたんです?」
僕は思わずサリクスを詰った。そのために僕がどんなに心配したか、と続けようとして、それは彼もよくわかっているはずだと思い至り、どうにか堪えた。
「……城ごと消し飛ぶようなことがあったらまずいと思って」
「一緒に巻き込まれた方がずっとマシです」
僕はため息をついた。
「もちろん、事前に説明さえしてくれれば、ですよ」
「それで今こうして話しているんだよ。私はまだこの石の効果を確認したいと思っている。けれど物が物だから、説明しておこうと思ったんだ。君に、手伝って欲しいから」
正直なところ、僕はサリクスにそんなものと関わって欲しくなかった。サリクスと共に暮らしているうちにすっかり感覚が麻痺してきてはいたが、現在よく知られている稀石でもふつうは十分に危険なのだ。
「知られていない稀石ならば、それを隠したままにしておけばいいのではないですか?サリクスがやらなくてはいけない仕事でしょうか?」
ついでに「僕にはそうとは思えませんけど」と小さい声で言い添えた。サリクスはしばらくの沈黙ののち答えた。
「稀石の研究を完成させることは、私なりの償いでもあるんだ」
その声は静かで、憂鬱な響きを持っていた。
「指の件ですか?」
「……うん」
僕はあの黒こげた指先を思い出した。
「――サリクス。あなたに謝らなくてはいけないことがあるんですけど」
「なんだい」
「アルジャンに、あなたが学府を去ったときのことを聞きました」
「……」
「けれど僕はアルジャンに、話せる範囲での話を望みました。だから、それほど詳しい経緯はわかっていません。ただ、事件は実際にあったことで、貴方が真実を詳らかにすることは難しい状況だったことだけ教えてもらいました。それと、当時の資料を少し見ました」
「……そうか」
「それで、これは貴方がその稀石を研究する必要に関しての問いなんですが……その人は、その、大切な人だったんですか?サリクスにとって……」
躊躇いながらも口の端から溢れでたのは、僕がずっと気になっていたことでもあった。
答えが怖くて僕は俯いたまま彼の言葉を待った。しかし、しばらく待っても応答がなかった。僕は、ほんの少しだけ目を上げて、彼を盗み見た。サリクスは扉付きの棚を見ていた。そこに置かれたあの小箱を。
「……うん、とても」
やっと聞こえてきたのはため息のような答えだった。彼の返答次第では、僕は彼をなんとしても止めるつもりだった。けれど僕は覚悟を決めた。
「わかりました。お手伝いします。あなたの心が少しでも軽くなるように。でも、せめてもう少し先延ばしにできませんか……もしも今、サリクスの身に何かあったら、僕は」
考えただけで喉が苦しくなって、僕は言葉を切った。
「いろいろあって、あまり先延ばしにするわけにもいかないんだ。――けれど、今すぐにと言うのは確かに急ぎすぎているかもしれないね。資料をできるだけまとめておこう。そして、準備ができたら取り掛かろう」
僕はサリクスを信じている。彼がやろうとしていることをやめさせる権利は、僕にはなかった。彼がもう重荷を下ろしたいと言ったのだ。それを手伝って欲しいと言われたら、僕は頷くしかなかった。
そのあと寝室に戻って寝台に横になったものの、眠れる気がしなかった。僕はセントラルの図書館で見た資料のことを思い返した。
サリクスの査問会の議事録は見つからなかったが、行方不明事件の詳細と処分の記録は残っていた。また所属研究員の記録も見つかった。まっさきにサリクスのことを調べると、当時のサリクスの専門は魔力操作だった。彼はまだ稀石を研究してはいなかった。
次に行方不明になった研究員の記録を探した。それは魔法生物学の研究生だった。年齢の割に発表した論文や著作が多く、新鋭の研究者だったようだ。
しかしその人の発表した論文一覧を見た時、僕は思わず眉を潜めた。そこには竜や不死鳥といった高位の魔法生物の名が上がっていた。そして、内容から察するに、その人物はあきらかに、生き物が強大な魔力をもつことの生物学的な原理を暴こうとしていた。
サリクスと被害者を結びつけたものが何だったのかを、その内容から想像することはできる気がした。しかし、その人とサリクスの間にどんな経緯があって悲劇に至ったのかということは、僕にわかるはずもなかった。人と人の関係を勝手に推測するなんて、たとえ口に出さなくても良心が咎める。ただ、サリクスは黒い指先を今も美しい小箱に入れて、大切に保管している。そして自分の罪を償おうとしている。
きっとそれは単なる罪の意識のためばかりではなく、親愛や愛着のあらわれだろうとは、僕も気付いていた。それでいて、僕は気のせいであって欲しかった。本当は、愛していたのですか、と聞くつもりだった。ただ、僕の勇気がなかったために、その問いは口に上ることはなかった。けれどそれでも十分だった。あのサリクスの声を聞けば、わざわざ確認するまでもないだろう。サリクスにとってそれがただの被害者なら、それほど危険なものに手を出すことはないと、説得できたかもしれなかった。けれど、サリクスはおそらく、自分が愛した人を殺め、そしてたぶん、今も愛しているのだ。
『ほんのはずみで』と以前サリクスは言った。ほんのはずみで、人間にできるはずがないようなやり方で、愛する人を殺めてしまったサリクスの心情を、誰が理解できるだろうか。
償いとはなんだろうか。誰のためのものなのだろうか。誰が彼を裁き、許すのだろうか。いったい何が、サリクスを救うのだろう……
僕は思わず自分の目元を両手で覆った。雨戸をかすめるわずかな風の音と、暖炉の火の音だけがいつまでも聞こえていた。
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