第8話 黒い指先

「サリクス……」

 僕の呼びかけは空気をわずかに揺らしただけだった。石のように動かないサリクスを前にして、僕は立ち上がることができなかった。痛みのせいではなく、彼のただならぬ様子に怖気付いていた。そのまま、僕はしばらくサリクスを見上げていた。

 暖炉は相変わらず赤々と燃えていた。その炎の揺らめきだけが、時間が正常に流れている事を僕に教えてくれた。やがて薪がひときわ大きく爆ぜて音を立てた。その時、やっと僕は謝罪をしなければいけないと思い至った。僕の手はサリクスの頭巾を握り締めたままだった。


 僕はよろめきながら立ち上がり、頭巾をサリクスに手渡そうと思った。けれど彼の手はその面を覆ったままで、僕は少し迷ってから彼のそばの作業台に置いた。近くには緑色の稀石が置かれていた。楕円形に美しく磨かれ、これから指輪の台座に取り付けられるところらしかった。

 それを見て、僕はサリクスを打ちのめしたものがなんであったかを改めて悟った。それは、おそらく僕の父の死だった。


「サリクス」

 もう一度、僕は慎重に話しかけた。

「すみませんでした……あなたを傷つけたかったわけでは――」

 けれど、僕は自分の言葉が正しくもなく、むしろ過ちにまみれていて、なんの役にも立たない事を知った。僕はサリクスが顔を隠す理由を、おそらくは正しく理解していたはずだった。制御できない能力が彼の生き方をいかに規定してしまったかということも、慮ることができたはずだった。それを蔑ろにして、彼の近くにいたいという自分の欲求を通そうとした結果、僕は彼を傷つけたのだ。

「けれど、僕は本当に……」

 僕はそれ以上は続けられなくなって黙った。


「君は、誤解しているよ」

 次に沈黙を破ったのはサリクスだった。

「君は私のことを誤解している」

 サリクスの声は強張っていた。

「もしも君のことを私が受け入れたとしても、君は早晩自分から出ていくだろう。稀石ではなく、私のことを恐れて、そうするだろう」

「そんなことはありません」

 僕はすぐに答えた。サリクスに対する恐怖ならこの一月でいつしか霧散していた。しかしサリクスは小さく肩を揺らした。どうやら笑ったらしかった。

「君は何も知らないだけだ。……扉付きの棚にある、白いエナメルの小箱を開けてごらん」

 サリクスの声はいつも以上に抑揚がなく、静かだった。僕は訝しみながらも壁際の棚へ近づいた。彼の言う箱はすぐに分かった。金色の地金の上に、優美な蔓草の彫刻と白いエナメルが施されたひときわ美しい箱が、目につく場所に置かれていた。僕がそれを手に取ると、サリクスはまるで見えているかのように「中のものには触れないように」と言った。

 僕は少し躊躇った。命を落とすような仕掛けが施されていてもおかしくなかった。けれど、そもそもサリクスの逆鱗に触れたのだとしたらきっと今更どうしようもない。どうしたって僕は無事に山を降りることはできないだろう。僕は意を決して箱を開いた。


 箱の内側には純白のベルベットが貼られていた。しかし詰められたクッションの上にあったのは宝石の類ではなく、意外なものだった。僕はそれが何なのか、すぐに識別することができなかった。

「これは……炭?」

 誰にともなく問いかけ、目を凝らした僕の背中越しに、サリクスが答えた。

「指だよ」

 僕はなにか聞き間違えたかと思って振り返った。

「人間の指だ」

 サリクスはこちらに背中を向けたまま、呟くようにして言葉を続けた。

「そんなふうになりたくなかったら、おとなしく帰りなさい」


 僕はそれをじっと見つめた。たしかにちょうど人の手の、第二関節より先ほどの格好をしている。そのつもりで眺めてみれば、わずかに爪のような痕跡があるような気がした。僕は小箱を閉じて、棚の中にそっと戻した。

「何があったのですか」

 しかしサリクスは答えなかった。僕は棚の前に立ったまま、サリクスの背中を見つめた。

「こんなに綺麗な箱に入れて持っていらしたのは、大切なものだからなのでしょうね」

 彼の言葉からすると、サリクスがこの指の持ち主を燃やしたのだろうか。けれど経緯も分からずにこれを見ても、不気味ではあるが彼を恐れる理由になどならない。

「僕は平気です。だってあなたは、ちょうど先程、僕を炭にしてしまうこともできたんじゃありませんか?でも、そうしなかった」

 僕は自分の胸に手を当ててみた。まだ痛みはあったが、深刻ではなさそうだった。

「それに、僕はたとえ消し炭にされてもあなたを恨んだりしません。あなたがそうするなら、きっと僕にそれだけの落ち度があったんです」

 さきほど、自分の過ちを弁明した時よりもずっと素直に言葉が出てきて、僕は自分でも少し驚いた。僕は棚から離れ、もう一度サリクスの前に立った。

「サリクス、どうか僕を許してください……二度とこんなことはしません。約束します」

 サリクスはやっと、顔を覆っていた両手をゆっくりと膝に下ろした。いまだに伏せられたその表情は僕からは見えなかった。

「許しを乞うべきなのは私だ。君はやはりお父上のことで私を恨んでいるんだろう?」

「なぜそう思うんです?」

「……だから私のところへ来た」

「それは違います。恨んでなんかいません。あの指輪と父のことを、よく知りたかっただけなんです。だって父はあの指輪を、あなたとの思い出を、とても大切にしていましたから」

「それは、なにも知らなかったからだ。私のしたことを知らなかったからだ」

「あなたも同じです。あなたはなにも知らなかった。そう言っていたじゃありませんか。父の死の原因も、今はもう稀石のせいだと確定はできません。もしそうだとしても、不運が重なっただけです」

 僕は必死に言葉を選んだ。

「僕がここに残りたいのは、ただ、単純に、あなたを一人にしたくないんです。僕が帰ったらまた一人で稀石の研究をして、あんな反作用だとかで……手を、体を傷めるのでしょう。なのに、そのことを誰も知らずにいるなんて、僕は耐えられないんです」

 たとえ拒否されてこの城から追い出されることになっても、僕はサリクスのことが大事で、辛い思いをして欲しくないと想っていることだけは伝えたかったのだ。

「あなたは人が嫌いなわけではないのでしょう?それとも僕は、あなたが耐えがたいほど嫌われてしまいましたか……」

 また長い沈黙があった。僕は辛抱強く待った。けれども時間が経つほどに僕の心は諦めに傾いていった。もう彼を困らせるのはやめよう。大人しく下山しよう……そう思い始めた時、彼はやっと躊躇いがちに話しだした。


「あの指は、私が学府を去る原因になった事件の被害者だ。私はほんのはずみで人を殺めたんだ。これは、はっきりとした事実だよ。諍いがあって……感情的になった。我に帰った時には、あの指のほかは、床の小さな焼け焦げしか残っていなかった。私はすぐに落ちていたあの指を拾い上げて箱にしまった。自分の犯した事の証拠として提出するつもりだった。けれど、私は罪に問われなかった。――人ひとりをほとんど跡形もなく消し去るなんて、そんなことが『人間』にできるはずはないというのが、教祠の人々の見解だったんだ」

 サリクスは俯いたまま小さく笑ったが、それは、信じられないほど卑屈な笑い方だった。

「事件はうやむやにされ、私は罪を償う機会を失い、そして今もこうして暮らしている。人を殺めておきながら裁かれることもなく、名声も失わなかったばかりか、住む場所を与えられて生活に不自由することもない」

「……なぜ、証拠を提出しなかったのですか?」

 僕の問いに彼はゆるゆると首を振った。彼の耳飾りが小さく音を立てた。

「卑怯者だからだよ」

 サリクスの言葉に僕は強い違和感を感じ、思わず眉をひそめた。

「君に誤解を与えないように、もっと辛く当たるべきだった。けれど私は君に……リオの息子に、幻滅されて嫌われる勇気がなかった。一月たてば君は帰っていく。たった一月だと考えたら、つい――情けない話だ。だから、もう手遅れかもしれないが、君がもしまだ私を許してくれるのなら、何事もないうちにここを去ってくれないか。君は大切な子だから、そうしてほしいんだ」


 僕は、相変わらず抑揚が欠けた彼の声の余韻のなかに、ほんのわずか言い訳じみた気配があるのを感じた。本当は欲しくてたまらないものをやむなく諦めるときのような、自分に言い聞かせるようなあの気配が。


「あなたこそ誤解しているようですね」

 僕は苛立ちを感じて、つい挑むような口調になった。

「僕は、あなたが恐ろしい力を持っている事なんかとっくに知っています。あなたの人生を肩代わりできる者などどこにもいないのに、被害者でもない誰があなたを責めることができるでしょうか。生まれ持ったもののために、あなたは多くの代償を払ってきたのでしょう。指の件については僕は何も言えません。ですが、あなたはその過去から目を背けてはいない。だから自分の罪の証拠を今でも持ち続けているんだ。あなたは今でも罪を償いたがっている。それのどこが卑怯者ですか?いつかは事実を公表しなければいけないかもしれませんが、あなたが当時、自身の誠意に悖る行動を取らざるをえなかったのは、教祠の人々の責任でもあるのではないかと僕には思えます」

 僕は一度言葉を切って呼吸を整えた。僕は憤っていた。何に対して怒っているのか自分でもよくわからなかった。しかし少なくとも、それはサリクスに向かっているものではなかった。

 僕は作業台の上のサリクスの頭巾を取り上げて、彼に無理やり被せた。サリクスは驚いたようだったが、自らも手を添えておとなしくそれに甘んじた。それから僕は膝をついて、ヴェールに覆われた彼の顔を見上げた。

「決めました。僕は絶対にあなたを一人になんかさせません。僕がそうしたいからするんです。あなたは僕のことを復讐者だと思っていたらいい。僕は意地でもここを出て行きませんから、気に入らないなら消し炭にでもなんでもしてください。結果として僕がどうなっても、あなたは気に病むことはありません。けどそれはそれで苦痛だというならどうぞ存分に苦しんでください」

 彼はしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。

「君は、存外残酷なことを言うんだね。それにこんな強情な子だと思わなかった。けれど――」

 弱々しい声だったが、サリクスは少しだけ顔を上げた。

「もしかしたら、私はずっと、そんな言葉が欲しかったのかもしれない」

 こぼれ落ちたそれは、独白のような呟きだった。



 サリクスは、僕がまだしばらくの間この城に滞在することを認めてくれた。けれど、ひどく自分勝手に感情をぶつけ、サリクスを傷つけ、彼の意向を無視して言いくるめた自分の振る舞いを、僕は僕自身で肯定できなかった。

 それでも、なにか後ろ暗い過去があろうとなかろうと、彼が僕に示してくれた誠意はなかったことにならない。一方でまた、僕の存在が彼のためになるのかなど、僕に分かるはずがなかった。けれど僕はサリクスを信じている。サリクスが、ここにいることを僕に許すのなら、それはきっと意味のあることだった。


 共に暮らすにあたって、僕たちはいくつか決め事をした。お互いに対等な立場で接すること、個人の時間に立ち入りすぎないようにすること、サリクスが不調の時には僕から距離を取ること、僕はサリクスの稀石の研究を手伝うこと、サリクスはその内容をきちんと説明すること……

 それから僕は、サリクスの身につけている稀石を減らしてもらうように頼んだ。彼が首飾りをいくつか外すとやはり不快感があったが、今の僕にはそれが強い魔力によるものだということがわかるようになっていたし、僕の方が彼に近づきすぎなければ済むことだった。僕の勝手を通した以上、少しでも彼の負担は減らしたかったのだ。昼の間、僕は工房から離れた騎士の詰所を借りて過ごすことになった。


 †


 満月の日がきた。本来なら僕が下山するはずだったこの日、サリクスは結界を張り直すために朝から城を出た。僕はその後をついて行った。見物したところでたいしたことはわからないのだが、結界のしくみを知るだけでも有意義だろう。

 僕はサリクスから十分に距離を取りながら、彼の姿を見失わないようについて行った。サリクスは振り向くことはなかったが、彼が僕の歩く速さに合わせてくれているのはすぐにわかった。


 術式は城を中心としてほぼ等距離に六つ設置されており、それぞれ触媒となる岩肌や大きな石に刻まれていた。文字と図形が組み合わされた複雑な模様は、いずれもかなり深く彫られていたが、サリクスが掌をかざすと表面がザラザラと砕けて削り取られてしまった。彼はその上に指先を滑らせ、前よりもなおくっきりとした新しい術式を刻んだ。


 最後に向かったのは、見晴らしの良い南向きの崖だった。周りは樹木がなく、日に照らされて明るく乾いていた。時刻はちょうど月が昇る頃だった。サリクスは深く埋もれた巨石に術式を刻んだあと僕を遠ざけ、たいそう複雑な印を切って、最後にロッドで三回岩を叩いた。すると彼の周囲が白く明るく光り、周りに風が巻き起こって彼の長い黒髪を巻き上げた。魔力の余波が僕の方まで押し寄せた。その圧力は僕の肩を押すほどだったが、静かに整った力強さだった。やがて光や風は大地に吸い込まれて消えた。呪文はよく聞こえなかったが、かなり長いものだということはわかった。

 僕ははじめてこれほど高等な魔法を目にしたと思う。そしてはじめて魔法を見た時のことを思い出していた。村の祭りの最中に、通りがかった流れの魔法使いが、杖の先から火花を出して祝福してくれた時の記憶だ。それから、はじめて自分の力で、杖の先から風を起こせた時のことを思い出した。そしてそれらのどれよりも心を強く動かされて、立ち竦んでいる自分に気がついた。



 翌日、僕たちは『騎士の館』の掃除をした。中庭の向こうにあるあの建物だ。石造りの建物で、一階はかつて厩舎だったので開口部が大きく、馬房もある。外に階段が作りつけられており、二階が人の為の部屋になっていた。それなりの広さがあって床や壁は主館と同じように木で覆われている。けれど、家具は古めかしい大きな机とベンチ、それに壁際の物入れと長持くらいしか置かれていなかった。

「寝室も離した方がいいのではないですか?工房の奥があなたの寝室なんですよね?」

 僕がテーブルを拭きながらサリクスに確認すると、サリクスは「大丈夫だよ」と答えた。

「君が来てすぐに、私の寝室に魔力封じの結界を張ったんだ。念のため今までは首飾りもいくつか身につけて寝ていたけれど、外しても平気かどうか、あとで君に確認してもらおう。もともと寝室には魔力操作の術式が色々と書いてあるから、問題ないと思う」

 サリクスは魔法で風を操って、タペストリーの埃を窓の外へ追いやった。

「あと、念のため言っておくけど、ここで眠るのはやめたほうがいい。暖炉の火を絶やしてしまうとひどく寒いんだ」



 それからしばらく、僕は非常に忙しく日々を送った。こんな山奥の古城での暮らしだ。のんびりと暮らせそうな印象が先行していたが、今まで僕が悠長にしていられたのは「客人」だったからに他ならない。「サリクスの助手」になった今、僕にはやることが山積みだった。

 まず、サリクスはアルジャンを通して定期的に報告書を学府に送っていた。そうして学府から与えられる予算と、学府からの護符制作や、稀石加工の依頼を受けることで生計を立てているらしかった。

 そのため彼は自分の研究のかたわらで、常になにかしらの護符や稀石を加工していた。そして証明書をつけて送り返すのだが、意外と書類のやり取りが煩雑で、帳簿もつけておかなくてはいけなかった。その辺りは魔法使いの暮らしといえども、市井の生活と何も変わるところがない。

 なにより、大量に購入する紙やインク、素材の多さと言ったら……。比較に出しては申し訳ない気もするが、ドラーゲの工房の比ではなく金額も大きかった。扱う書類も様々で公的なものも多かったので、僕はいろいろなことを覚え直さなければいけなかった。


 またサリクスの研究も、計画に沿って進捗が求められていた。これはサリクスの自主的な進行計画だったが、彼はこちらの方がよっぽど重要だと思っているらしかった。僕は短期の計画表を見せてもらうことができたが、まるで人生が残りわずかなものであるかのように、綿密に、妥協なく、進行の予定が書き込まれていた。そして彼はその通りに仕事をこなした。

 彼を手伝うことになってから、サリクスが一月のあいだ、惜しみなく時間を割いてくれたことがどれだけありがたいことだったか、僕は早々に理解したのだった。


 さらに、サリクスの研究を手伝うためには僕にも相応の知識が必要だった。しかし勉強の時間を捻出するのにはじめのうちはだいぶ苦労した。やっと雑務に慣れてからは、昼の時間をサリクスから与えられた課題をこなすことに当てたが、けして余裕があるとは言い難かった。与えられる本はどれも難解だったし、工作は扱ったことのない素材だらけで、道具の扱いから学ぶ必要さえあった。

 それでも僕は必死でそれらをこなした。大変だとか忙しいだとか、その時には考える暇もなかった気がする。ただサリクスの役に立てることが嬉しくて、僕はがむしゃらに課題をこなした。


 僕がその忙しい毎日の合間に、ほんの少しだけ憂う事があったのは、最初の一月よりも僕とサリクスとの間に物理的な距離があったことだった。僕が引き受けることにしたために夕飯を一緒に作る機会もなくなり、僕が課題に苦戦している時には食事を同席することもできなかった。姿を見る機会も減り、首飾りをつけていないサリクスには迂闊に近寄る事ができない。

 彼に稀石を減らすように言ったのは僕なので、仕方のない事だったが、やはり少し寂しかった。


 しかし、ある日、僕が本を抱えて中庭の回廊を歩いていると、曲がり角の向こうからサリクスが現れた。やや近すぎるはずの距離だった。サリクスも僕もとっさに足を止めたが、僕はとくべつ身体に異常を感じないことに気がついた。僕はサリクスに向かって声を張り上げた。

「サリクス、首飾りを増やしました?」

「いや」

 サリクスはあまり大きな声を出さない代わりに首を振ってみせた。

「指輪は?」

「変わってない……平気なのか?」

「そうみたいです」

 僕は試しにサリクスに近付いてみた。まだ少し遠いが会話をするのに差し支えない距離にきて、やっと僕は耳がつかえるような不快を感じて立ち止まった。

「人間の体って、魔力にも慣れるんでしょうか?」

「さぁ……聞いた事がないな」

「この調子なら、あなたが首飾りを全部外しても平気になるかもしれませんね」

「君が大丈夫でもそれはだめだよ。もしも私がかっとなったら危ないから」

 サリクスは確かめるように首飾りにそっと触れた。そして顔を上げて僕を見た。

「けれど、そうなったらいいね」

 そう言いながら、きっと彼はヴェールの向こうで微笑んだのだと思う。


 僕たちの間にはまだ距離が必要だったが、彼は近ごろ少しだけ言葉に抑揚をつけるようになった。僕のためにそうしてくれているのか、彼の内面を反映した自然な現れなのか、僕にはわからなかったが、どちらにせよそれは嬉しいことだった。


 忙しい日々は瞬く間に過ぎた。気がつけば山の緑は青々と濃く茂り、夜には濃紺の空の上で夏の星座が輝きだした。僕がここへ来てから三月が過ぎようとしていた。

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