第6話 ブースター、あるいはタペストリーについて

 渓流釣りの翌日、サリクスは稀石の指輪を外した。また釣りに行こうと言ったのは、本当に本心だったらしい。反作用についての記録は取れたので、元よりそろそろ一度回復させるつもりだったのだと彼は言った。

 手首の腕輪には相変わらず稀石が光っていたので、僕はそれも外してはどうかと言ってみた。けれど、その稀石には強力な浄化の魔法がかけてあって、汚れた血が身体中を巡らないように必要なのだと説明してくれた。手指が治ってきたら護符に切り替えるらしい。

 それほど自分の体を痛めつける必要があるのかと僕は思わずにいられなかった。けれど、彼によって稀石についての研究が飛躍的に進んだこともアルジャンから聞かされていた。

 僕にはサリクスのやり方に口を出す権利はない。しかし、サリクスはひとりでこの城に住んでいて、彼の体を心配してくれる人がいないために、手段が過激になっている向きもあるように思われた。

 僕は彼が唇を噛むのを見、彼のひどく病んだ手指を見て、ここにいる一月の間、できるだけ彼にお節介を焼いてやろうと密かに心に決めたのだった。



 しかし、その日僕が部屋で本を読んでいると、珍しくサリクスが訪ねてきた。そして稀石の実験に付き合って欲しいと言った。これは一大事だった。

「バートルド教授に協力してもらっては?」

 僕はとっさに恩師を売ってしまった。それほど稀石に関わりたくなかった。だが、サリクスはすぐに首を振って「君でなくてはだめだ」と返した。妙に心がくすぐられる台詞ではあったが、その後に「アルジャンにはもう試したから」と続いたので、僕は少しがっかりした。

「君が協力してくれたらお礼をするよ」

「お礼ってなんですか?」

「君が気にいるものだ」

「……危険な実験でなければ」

 居候の引目もあったし、なによりサリクスの『お礼』という言葉はちょっと魅力的すぎた。サリクスの危険ではないという言葉を信じて、僕は怖々ながら彼に協力することにした。


 工房に入ると僕はさっそく作業机の前に座らされた。目の前には透明な硝子で覆われた箱が置かれている。一箇所が丸く切り抜かれていて、硝子の内面には格子状の目盛りが書き付けてあり、中央になにか棒状のものが浮いていた。ちょうどよくある鍵くらいの大きさの、暗い色をしたものだ。それは鈍く光っており、僕には金属のように見えた。

「これはなんですか?」

 僕の質問には答えずに、サリクスは穴が開いている方を僕に向け、箱を挟んで僕の向かい側に座った。

「その中の棒を杖に見立てて、なにか魔法を使ってごらん。光を灯すのがいいだろう」

 なんとなく嫌な予感を感じながらも、僕はいわれた通りに中央の浮遊する棒を指先で摘んだ。棒は魔法で固定されているらしく、位置が動くことはなかった。僕は呪文を唱えた。すると装置の中で激しい火花が散った。同時に指をバネで弾かれたような痛みが走り、僕はとっさに手を引き抜いた。

 声こそあげなかったが、あまりのことに声が出なかっただけだ。僕はしばらく右手を抑えて、口を開いたり閉じたりしながらサリクスを見た。しかしサリクスは僕には目もくれず、箱の硝子を取り外し、検分しだした。

「危険じゃないって言ったじゃないですか!」

 やっと出た第一声はもちろん彼を非難することに使われた。

「命の危険はない」

 サリクスはこともなげにそういいながら、僕の前に香草を甘く煎じたお茶を差し出した。

「まさかこれがお礼じゃありませんよね?」

 疑心暗鬼に駆られて、僕はサリクスを睨んだ。

「まさか。君がそれで満足してくれるならありがたいけれど」

「そんなこと、あるわけないでしょう」

 僕はまたサリクスに振り回されているのを悔しく思いながら、お茶に口をつけた。しかし、心地よい香りと甘さで腹立たしさがごまかされそうになるのが如実に分かって、僕はそれ以上飲むのをやめた。


 サリクスが取り外した硝子の内面には、火花が散った時についたらしい焼け焦げがいくつか残っていた。箱の内側は何か塗り付けてあったらしく、サリクスはそれを紙に写し取った。焼け焦げの分布に偏りがあり、どうやらサリクスはその角度を測っているらしい。

 ややあって、サリクスは先ほどの棒と似たような色の石を手に取ると、その角度を測り、表面にごく細い白墨で印をつけた。そして、それを小型の研磨機で削りはじめた。

「サリクス、それは……」

「稀石だよ」

 短く答えてサリクスは作業を続け、やがてすっきりとしたスクエア型にカットしたその小さな石を僕に差し出した。正直僕は触りたくなかったが、サリクスは有無を言わさない調子で、石を僕の手に押し付けた。仕上げの磨きが施されていない石は曇って見えたが、暗い赤色をしているようだった。爪の大きさほどの石は、持っただけでは意外となんの手応えもなく、危険な兆候も見受けられなかった。

「これでもう一度、さっきと同じように箱の中で魔法を使ってみてほしい」

 サリクスは先ほどの棒を取り除いて、硝子に再び薬剤らしきものを刷毛で塗りつけてから箱の形に組み立てた。

 僕は腹を決めて石を持ち、箱の中へ手を突っ込んだ。石は勝手に中央に浮遊した。先ほどと同じようにして指先を触れて小さく呪文を唱える。すると今度は火花は出なかった。痛みもなかった。ただ、ほんの小さな明かりを出したつもりが、いまだかつて出せたことがないような眩い光が放たれたので、僕はやはり驚いてすぐに手を引っ込めた。光は消えたが、僕はすっかり目が眩んでいた。


 箱の内側に新しい焼け焦げがないことを確かめてから、やっとサリクスは僕に説明をしてくれた。

「これは、ブースターと使用者の出力を合わせる実験なんだ」

 ブースター……魔力を増幅する類の稀石は、最も危険とされると聞いたことがあった。先ほどの棒も金属ではなかったのかもしれない。僕は目眩がして頭を手で抑えた。サリクスを見ようとしたが、まだ視界がチカチカしていてよく見えなかった。

「ブースターが危険だと言われてきたのは、君が先ほど光を出そうとして火花が出てしまったように、使う者によって石との相性に著しく差があり、効果を制御できないことが多いためだ」

 サリクスは自分もお茶を飲みながら、先ほどあたらしく切り出した石を取り出し、指先で転がした。

「石の反作用よりも、自分の魔法が跳ね返って命を落とした者の方が多いとさえ言われているのは、君も知っているかもしれない」

 僕は答えずにお茶を口に含んだ。もう怒る気力もなかった。

「長らくこれは、術者の魔力が足りないので起きるのだと言われてきたが、実はどうやら石の個性と、人がそれぞれ生まれ持つ魔力の波が噛み合わないために起きることなのだと分かってきた。君に試してもらったのは、使用者の個性に合わせて石を切り出すことで、誤作動をなくすことができるのではないかという試みの、初歩的な実験なんだよ。ちなみに、あの箱には魔力を通さないように加工がしてあるから、致命的なことにはならないはずだ」

 サリクスはそこでまた一口お茶を飲み、「だから、これは君専用の稀石というわけだ」と言って、転がしていた石を僕の前に置いた。僕が手を出さずに黙っていると、サリクスは首を傾げた。

「いらないのか?役に立つ」

「いりません」

 僕は頑なに突っぱねた。サリクスは「そうか」と言って石を引っ込め、屑石入れらしき箱に放り込むと、蓋を閉じて指先で軽く叩いた。それで箱は封印されたようだった。

「僕は、稀石を使いたくありませんでした。ブースターなんて触りたくもなかった。どんなに安全だと言われても、欲しくないです」

「それはわかった。ところで君は先ほどから拗ねているようだけど、詳しい説明をしなかった事を怒っているのか?」

「ほかに心当たりがあるんですか」

「ないな」

「……僕はあなたのことを好きになりかけていたのに、なんだか裏切られた気分です。なんとなく気付いてはいましたけど、あなたは、僕のことをくらいにしか思っていないんでしょうね」

 お茶の揺蕩う表面を眺めていたら、つい口が滑った。たしかに本心ではあったが、言葉が鋭すぎた。けれども、取り繕う元気が僕には残っていなかった。

「なんだか疲れてしまいました。お礼はいりません。そのかわり、もうこういうことはやめてください」

 投げやりに言い放って席を立った僕に、サリクスは何も言わなかった。


 まだ夕食前だったが、僕は部屋に戻って寝台に潜った。

 サリクスにとってはなんということもない実験なのだろうが、僕は稀石の指輪のために父を亡くしたのかもしれず、自分が稀石の力を制御できるほどの魔法使いでないことも、自分でちゃんと分かっているつもりだった。一人前になったら村に帰って、ささやかな魔法で村のみんなの手助けができればいいと思っていた。

 僕が魔法使いになったのは、単にあの指輪のために将来の選択肢の一つに魔法使いが上がってきたので、試しに挑んでみただけなのだ。僕には野心も功名心もない。指輪を土の中にでも埋めて、村で羊を追ったり、畑を耕していたってよかった。もしも、あの頃の僕がもう少し世の中のことに明るければ、きっとそうしていただろう。僕は稀石が恐ろしい。稀石に魅入られて破滅したくもなかった。

 けれど、なにより悲しかったのは、僕がサリクスを案じていたのとは対照的に、サリクスは僕を慮る気なんて全くないのだと改めて思わされたことだった。もう彼に深入りするのはやめようと思い、僕は眠る前に少しだけ泣いた。



 呼ばれた気がして目を覚ますと、サリクスの姿があった。僕を起こしたのは彼らしく、寝台のそばに立っていた。

「なぜあなたが部屋にいるんです?」

 僕は重たいまぶたを再び閉じて、毛布を頭までかぶった。

「もう午後だよ。起きてこないからドアをたたいたが、なんの反応もないから様子を見に入った」

「言ったでしょう、疲れてしまったんです……」

 サリクスはしばらく黙っていたが、やがて宝飾品の金属音と衣擦れの音がした。僕は彼が立ち去るのだと思った。しかし次には僕の寝台の足元が少し沈んで、サリクスは寝台の縁に浅く腰掛けたらしいことが分かった。

 僕は正直、彼に早く出て行ってもらいたかったが、この城に居候している分際で、城の主人にこの部屋から出て行ってくれというのは、さすがに厚かましい気がした。

 なにか言うつもりなのだろうかと言葉を待ったが、彼は黙ったままだった。窓の外から鳥の囀りが聞こえる他は、暖炉の薪がたまに小さく爆ぜる音しかしなかった。そういえば僕は暖炉に火を入れた記憶はない。サリクスが火を入れて薪を焼べたのだろうか。僕は彼の手を思い出し、彼が指輪を外したことを思い出した。


 長い沈黙に根負けしたのは僕の方だった。毛布から少しだけ顔を出して足元を見やると、サリクスは顔を上げ、壁の方を向いて座っていた。

「何をしているんですか」

 サリクスはゆっくり僕の方を振り返ると「タペストリーを見ていた」と答えた。

「こんな絵柄だったかと思って」

 そう言いながら、彼はまた壁の方へ視線を戻した。僕はこの期に及んでまた少し落胆したが、どう答えたら良いのかわからず、つられてタペストリーを見た。


 大きな壁掛けには、野外で寛ぐ貴人たちの絵が描かれていた。やや褪せてきてはいるものの、それでも十分に鮮やかな色とりどりの服を着て、思い思いの格好でおしゃべりに興じている。座って花輪を編むもの、恋人の膝枕で寝そべるもの、たった今やってきて輪に加わろうとしているものもいる。遠くでは狩りをする一行が描かれ、鹿が追われている。中央には金色の実がたわわになった樹があった。

 僕たちはしばらく黙ってタペストリーを眺めていた。


「あなたは人が嫌いですか」

 タペストリーに視線を向けたまま、僕はたずねた。

「少なくとも、僕のような、浅はかで力も持たないものはお嫌いでしょうね」

 サリクスはやっと僕の方を向いたが、僕は彼を見なかった。

「でも、あんまりじゃないですか。僕だって長居するつもりはなかったんです。だから、稀石は怖いけれど、なにかお役に立てたらと思って引き受けたのに、なにも説明してくださらないで……」

 僕は情けない気持ちになったが、黙っているのはもっと惨めな気がした。楽しげに語らう貴人たちが羨ましかった。

「僕はあなたに怖い思いばかりさせられている気がします。けれど、大抵は、あなたが一言説明してくださったら、それで安心できたかもしれないことばかりだ。心の用意ができるまで待ってさえもらえたなら、後に引き摺らなくて済んだことばかりでした」

 もしかすると、恨めしげな顔をしていたかもしれない。僕はサリクスを見た。彼もしばらく僕を見ていたようだった。それからゆっくりとうなずいた。

「君の言い分は尤もだ。すまなかった」

 僕はまた自分の目に涙が滲んだのが分かったが、隠しはしなかった。

「けれど、そもそも私は人が嫌いではないし、君のことを浅はかだとも思わない。それは誤解だ。ただ、私は一人の方が気楽で、長い間そうして暮らしてきたから、人の気持ちに配慮することを忘れていた」

 サリクスはやっと立ち上がると、枕元にやってきて背を屈めた。そして右手を差し出した。彼が長い指を開くと、そこには金の鎖に繋がれた美しい翠玉の護符があった。

「実験のお礼ではなくて、お詫びとして、これを君に贈ろう。稀石ではないよ」

 僕は驚いてサリクスを見た。僕は受け取るのを躊躇ったが、彼は、僕がそれを受け取るまで手を引かないつもりらしかった。僕は恐る恐る護符を手に取った。間近で見ると、丸く磨かれた表面にインクルージョンの模様が浮かび上がり、台座に刻まれた術式模様も複雑で見事だった。

「けれど、君にはこれでも不十分かもしれないね。物はいつか失われるが、知識は新しいものを生み出し、新しい知識を呼び込む。そして君ならそれを人に伝えることもできるだろう。稀石の加工は護符にも応用が効く。護符の作り方を教えてあげよう」

 サリクスは、はたと気がついたように「君が望むなら」と付け足して、僕の額にそっと触れたのだった。



 僕は結局サリクスのことを嫌いになり損ねた。サリクスが護符を置いて立ち去る間際、僕は寝台から飛び降りて、ドアの手前でなんとか彼を引き留めた。そして、自分の子供じみた態度について必死で彼に謝罪した。

 それに対してサリクスは「うん」と言っただけで部屋を出ようとし、僕は一瞬、もう二度と以前のようには話せないのではないかと不安になった。けれど、彼はドアから出たところで振り返った。

「今から食事の支度をするけれど、君が味見をしてくれないとまだ塩加減がわからない」

 ……こんな仲直りの言葉があるだろうか?僕は安堵でまた涙が出そうになった。

「顔を洗ったらすぐに行きます、一緒に作りましょう」

 そう言って僕は笑ってみせたつもりだったが、うまく笑えたかどうかはわからない。


 すぐに身嗜みを整えて調理場へ降りていくと、サリクスは炉端のベンチに腰掛けて、魔法を操って器用に玉ねぎの皮を剥いているところだった。こんなつまらないことに魔法を使う魔法使いはそうそういないだろう。

「手伝ってくれないのか?」

 入り口のところからその様子をぼんやり眺めていた僕に、サリクスが気付いて言った。

「僕が手で剥くよりも早くて綺麗なので見惚れてたんです」

 そう言ってぼくは笑ってみせた。今度はもう少しうまく笑えた気がした。

 サリクスと僕とでは、あらゆる物事に対する基準がまったく違うのだ。これからはそれを忘れないようにしようと、僕は思った。

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