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由真のメールを受け取った週末、会社の送別会があった。辞めるのはパートさんで、半年勤めた人だった。環さんも参加していたので、チャンスがあれば由真のメールについて話がしたかった。メールは昨日公開したから、まだ読んでいないかもしれない。LINEで通知をしたが、なかなか既読にならなかった。
会の直前まで仕事をしていて、結局開始時間に間に合わなかった。なるべく課長に悟られないよう、定時をすぎても慌てることなく、仕事を一段落させてから会社を出た。草野さんは5時半くらいからそわそわし出して大変見苦しく、帰り際も「じゃ、先に行ってるね」なんて小声で言ってくるから周りにバレバレだった。あるいは私の方が気にしすぎなのかもしれない。普通に「送別会あるんで」と言えば済む話なのだ。
店に着くと私以外は揃っていて、入り口のそばの席しか空いていなかった。私の向かいの席には誰も座っておらず、さらに隣は草野さんだった。
「やっと課長から逃げ出せたの?」
酒が飲めないくせに、草野さんはだいぶ上機嫌だった。私が時間がかかったのは、ちょうどいいバスがなくて歩いてきたためで、課長は6時を過ぎるとさっさと帰ってしまっていた。私がその後戸締まりをした。私は「ええ、まあ」と適当に返事をした。
「どうして掘り炬燵じゃないの? あと、全然個室じゃねーし」
私はコートを預かってくれた幹事の女性に悪態をついたが、
「絶対そう言うと思った」
と笑われただけでちっとも相手にされなかった。仕方がないのでビールをすすりながら草野さんの話に適当に相槌を打っていた。向こうも私のことが鬱陶しそうだった。店内は騒がしくて、草野さんは私が無視していると思ったのかもしれない。やたらと店員の威勢のいい店だった。私はぼんやりと壁の貼り紙を眺める時間が増えた。生ビールのジョッキを抱えた、やたらとスタイルのいい水着姿の女性がこちらを見て微笑んでいた。まだこんなポスターがあるのかと私は驚いた。鶏の鍋がコンロにかけられてぐつぐつ言っていたが、あまり食べたいという気になれなかった。私は猫舌なのである。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しないでください」
そう言って私の向かいに座ったのは環さんだった。環さんはそれまでいちばん奥の、壁際の席に座っていたので、話すに話せなかった。私が面食らっていると、環さんは「上司相手じゃ福園さんも楽しくないでしょ?」と言いながら私に鍋をよそってくれた。
「環さんの家はここから近いの?」
「はい。イオンのそばです」
「イオンはどこにあるの?」
「イオン知ってるんですか? 福園さんちのほうにはありますか?」
「一応知ってます。うちのほうにはそんな大きいのないけど」
「せいぜいイトーヨーカ堂ですか?」
「イトーヨーカ堂はもうつぶれたから」
「過疎化ですか?」
「いや、そうじゃなくて」
すっかり調子を取り戻した私は、ハイボールを立て続けに2杯飲んだ。環さんも同じ物を頼んだ。
「由真は実在するんですか?」
酔いが回ったところで環さんが聞いてきた。読んでくれたの? と尋ねると今日来る前に読んだ、とのことだった。
「どう思う?」
「わたしは、いないと思います」
煙草に火をつけながら環さんは答えた。
「どうしてそう思うの?」
「だって」顔を横に向けて煙を吐きながら、環さんは笑った。「由真はわたしのこと、存在しないって言うじゃないですか? だからわたしも」
私は由真が言っているのは、私の小説を読む人間が存在しない、という意味で環さんそのものの存在のことを言ってるわけじゃないと説明した。
「だから、おんなじことじゃないですかー。わたしは福園さんの書いたの読んでるんだし」
と環さんはむくれた。私も確かにそうかもな、と思った。だいぶ酔いが回ったのかもしれない。戸惑う私を見て環さんがクスクス笑っている。普段とはまったく違う笑い方だ。
「だいたい、わたしは笠奈だって好きじゃないんです。自分のことしか考えてないんだもの。ミキちゃんがかわいそう」
「ミキちゃんは考えてるの?」
「ミキちゃんは中学生だからいいの!」
「ふーん」
「でも、由真が福園さんを『よく嘘をつく人』と言うのはわかります」
「え? 俺、環さんには自分をさらけ出してるけど?」
「そう? いちばん肝心なことを言ってないですよね?」
肝心なこと? と聞き返そうとしたところで、トイレから戻ってきた小川さんが私の隣に座り「お世話になりました」と挨拶した。途端に環さんが「小川さーん」と泣き声を出す。それと同時に机の影から私に紙袋を手渡した。中には小川さんに渡すプレゼントが入っている。私に予算を確認し、イオンで買ってきたものだ。私は参加者に声をかけ、小川さんにプレゼントを渡した。
「じゃあ来月からも、よろしくお願いします」
「いや、もう2度と来ませんから!」
小川さんの“2度と“の部分に場内がどっと沸いた。
「福園さん、すべっちゃったねー」
と草野さんがあきれたように言った。
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