空の箱庭 二

 男の酒気に濁った瞳がオリエッタを向く。


溶滅ようめつの牙か? 何で裏社会のクソ大物がここに? ああ、そう言えば姉が第三席だったな。最悪な事に。いや、最善かこの場合? ひっく」

「酷過ぎますわね。内戦後の醜態は聞いてましたけど、ここまでとは思いませんでしたわ」


 オリエッタはかつてグレーベルと刃を交えた事があった。


 四年前の、盃と北西大陸で名を馳せた裏組織との取引。


 盃の若手幹部達が入念な計画を立て、半年に及ぶ各国の要人達と折衝を経て、戦艦『オリエッタ』にて出動し、莫大な金と多数の商品の受け渡しが洋上にて行われた。


 法で禁止された魔導兵器や錬金薬、裏の市場に流れた美術品等、それらの総額は北西大陸の小国の年間予算三年分に匹敵した。


 そしてオリエッタが貫禄のある老人と握手をした瞬間、ボルトニア王国軍が現れた。


 乱れ飛ぶ怒号。

 それらを掻き消す暴風と剣戟の音。


 護衛と一緒に船に戻る老人を無視し、オリエッタは走りながら魔導弓を構え、魔導矢まどうしを放ち続けた。


 オリエッタが魔法を一つ使えば、或いは魔剣を一振りすれば、すぐに決着となっただろう。


 故にこそ、オリエッタは魔剣と魔法を使わないという事を、自分自身に課していた。

 そしてどんなショボい攻撃でも、何れかの急所に受けてしまったならば、即退散するとも決めていた。


 それがこの楽しい遊戯サバイバルゲームの、彼女のマイルールだった。

 

 取引相手は白旗を挙げていたが、オリエッタの船は軍の包囲から逃げ切る事ができた。


 そして。


 魔導弓を置き、甲板の上で飴を舐めながら、反省会で行う部下へのお仕置きをどうしようか考えているオリエッタの前に現れたのが、グレーベルだった。


 身体中から溢れる強大な魔力と凄烈な覇気。

 闇の中でもはっきりと解かる、強い意志を宿した瞳。


 その手に握る魔導刀の輝きに思わず唇を舐めて。


 オリエッタは迷わず魔剣を構えた。


 ……。


 ……。


「ひっく。ああ、本当にすげえ酒ばっかりだ。故郷うちの酒場じゃ、もう飲む気しねえな、これ」

「…………………………見るに堪えないわね」


 オリエッタは眉をひそめ、口元を扇子で隠した。

 ス―と山洞人のメイドが現れるが、頷くと彼女はまた姿を消した。


「分かってるわよ。ええ、消すのは始まってからって」


 ひっく。


「なあ溶滅ようめつの牙、後ろの大男は誰だ~?」

「……。【鎖竜剣 ケビラ・マハ】という。【翔砲騎 グレーベル・グスタボ・フェルナンデス・セレーゾ】だな。よろしく」


 ケビラの差し出された右手を眺めて、グレーベルの手は瓶を傾けて酒杯へ酒を注ぎ、口に浴びせるように琥珀色の液体を流し込んだ。


「……。何か気に障ったか?」

「ハッ。良い子ちゃんなこって」


 グレーベルはケビラを鼻で笑い、空になった酒瓶を右手に生み出した炎で蒸発させた。


「………………クソが。もう無いのかよ」


 ひっく。


「全く。こんな父親を持ってしまって。ボルトニアの新王の心中は察して余りあるわね」


 オリエッタが首を傾けると、その横を空の酒杯が飛んで行った。


 窓の外から鈍い音が鳴った。

 一階で騒めきが起きた。


「俺の前で、クソガキの話は、するんじゃねえ」

 

 ボルトニア王国で起きた継承戦争。

 三人の王子は死に、国土は荒廃した。

 近隣諸国はハイエナのようなまなこをじっと、ボルトニアへと向けている。


 ボロボロの内情と、緊迫した国際関係。


 それでもボルトニア王国が復興への道程を順調に歩んでいられるのは、若き新王【揺籃の守り手 フラビオ・セレーゾ】の卓越した手腕によるものだった。


 疲れ切った国民は新王の元に団結した。

 疲れ切った貴族は新王へと服従した。

 

 国の姿は古き姿を破り皆が夢見た、グレーベル達が願った姿へと変わりつつあった。


「クソが……」


 だが継承戦争から始まる流れの殆どが新王フラビオの書いた脚本であった。

 自らの意志で新しい未来を切り開いたと思っていた者達は、その真実は、フラビオの駒でしかなかった。


 全てが決着した時に、フラビオは舞台裏のあらましを開示した。


 納得した者がいた。

 諦念を抱いた者がいた。

 強い怒りに我を忘れた者がいた。


 そして英雄達がフラビオへ問い詰めようとした。


―― その全てが、たった一人の鎧武者かいぶつに敗れた。


―― そしてフラビオは、龍との契約によって手に入れた力を見せ付けた。


 以降、フラビオへの問いを口にする者はいなくなった。


「あのクソガキは捨てやがった。もうあいつは俺の子供じゃねえ。ひっく。だから取り戻すんだ。俺の子供を、フラビオを。転生の奇跡を持つ聖櫃の力で」


 ドンッ!


「グゲッ?!」


 オリエッタがグレーベルを蹴り飛ばした。

 壁にめり込んだグレーベルへ、特大の水玉がぶつかり弾けた。

 部屋中が水浸しになり、ずぶ濡れとなったグレーベルが咽る。


「グホッ、ゲホッ、な、何しやがる!!」

「無様を晒すならお帰りなさい! ここにいていいのは戦士だけ! 酒浸りの酔っ払いはとっとと犬小屋へ帰りなさい!!」


 オリエッタの怒声が響く。

 今度はメイドは出て来なかった。


 グレーベルは転がり、腕を突き、立ち上がる。


「う、ウルセエ、よ!?」


 オリエッタの魔剣【暴食グラトニー】が壁を切り裂いた。


「っぶねえ。こ、殺す気か?」

「この程度で死ぬですって? 本当に」


 暴食グラトニーを避けたグレーベルの顔に、オリエッタの左拳がめり込んだ。


「堕ちましたわね」


 床に大穴が空いた。

 オリエッタが穴へ身を踊らせ、ふわりと地下の石床に着地する。


「これが英雄の成れの果て、ですか。哀れですわね。ご希望なら介錯してあげますけど?」


「うるせえ」


 瓦礫の中より。


「うるせえ、うるせえ、うっせえんだよ!!」


 抜き放たれた閃光が暴食グラトニーを打った。

 巨大な金属塊同士が打ち合う音が響くと同時、生まれた衝撃波が荒れ狂い、地下室を斬り刻んだ。

 

「あら、やっとお目覚めかしら」

「っ」


 オリエッタの笑みに応えず、グレーベルは魔導刀を鞘に納めた。


「……借りだ」

「ええ。利子も、ですわよ」


 オリエッタも暴食グラトニーを自分の影の中へと収め、替わりに扇子を出して口元を隠した。


「随分と飲んだくれてましたわね。ここであんな酷い姿を晒せるって、本当に図太い神経ですこと」

「……ちっ。クソガキと師匠から聖櫃の在り処を聞いて、覚悟決めてやって来て。すぐ始まるって聞いてたのに「しばらくお待ち下さい」ときた。三日も待てば酒を飲みたくなるってのが人情だろうが」

「……三日」


 オリエッタはここに一週間滞在している。

 外の観光を済まし、時に山や湖畔に作られた分館で歓待を受けて。


「少しいいかしら?」

「おう」

「今日は何月何日か教えてもらえる?」


「何だそりゃ。えーと確か、」


 バキッ!!


 グレーベルの答えを聞いて、オリエッタは扇子を握り潰した。


「やって、くれましたわね」


 リーンゴン、リーンゴン。


「鐘の音。始まりの合図ってか?」


 赤陽館がその姿を消していく。




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※後書き


いつもお読み頂きありがとうございます。

この章もあと少しとなります。


できるだけ早く投稿したいと思っていますが、お待たせしてしまったら、ご容赦願います。


また『エレメンタル・ブレイド ~ 神の少年 ~』も投稿してますので、お読み頂ければ幸いです。


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