剣と敗北の聖女 五
ある暖かい日の夕方。
久しぶりに神殿を訪れたイノリが、溜まっていたカタリナの仕事を手伝ってくれた。
能弁とは遠いイノリとの会話は、仕事以外の話は、一つ二つと、言葉を交わすだけだった。
「彼は五手乃剣を修めています」
帳簿を眺め算盤を弾きながらの雑談の中で、大した事では無いようにイノリは言った。
その言葉はどうしようもなく、カタリナの耳に障った。
* * *
……。
……。
二秒。
影の剣が精霊を斬り、聖銀を斬り、金剛石の戦乙女を斬り、翡翠の輝きを斬り、止まった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
砕けた鎧と斬り裂かれた服を纏い、身体中から血を垂れ流し、騎士の足元には砕けた数本の聖銀刀と、寸前に顕現した金剛石の戦乙女の残骸が散らばる。
残るのは骨の覗く左手と、そこに握る折れた脇差のみ。
―― 超級魔法【絶対征伐の影剣乱舞】。
使い手の影を媒介に、その手に触れた事の有る武器の『完全複製たる影』を多数生み出す魔法。
生成される武器の影は形の大小を自在にし、質と数は使い手の魔力と技量次第となる。
故に、人の手で打たれ生まれてから百年に満たない魔剣ではなく、中性子星より生み出され数千万の星霜を経た魔剣の王で以て、一万の分身を成した技量を理解できるからこそ、【銀風剣 カタリナ・セレーゾ】は目の前の少年に
(だがっ、私はっ、)
カタリナはそれでも刃を離さず、意志の輝きを黒き双眸に灯しながら、少年へと対峙する。
「ッ、ハァ、ハァッ」
最愛の家族に。
そして敬愛する、命の恩人たる兄に。
「ハァッ、ッ、守る、と」
* * *
カタリナの首を絶とうと放ったヨハンの
「騎士殿、実に楽しかった」
半ばより切断された刀身が地面に転がる。だが
「いつかまた死合をして頂ければと思う」
五手乃剣の技を使える者は非常に少ない。
ましてその全てを修めた者は、ヨハンの知る限り、過去も含めて四人しか存在しなかった。
だからこそ、精霊武器を使いこなし、戦略級上級魔法までも使う五手乃剣の使い手など、希少の上にも希少だった。
「抜、せ……、早漏、やろ……」
騎士の口調は粗野に。
整った顔立ちに凄絶な獣の笑みを浮かべたまま後ろへ倒れ、動かなくなった。
血に濡れる事の無かった金の刃を見て、ヨハンは愛剣を鞘に納める。
影の剣が消え、トランプの結界も消えた戦場に風が吹く。
浚われて行く土埃を眺め、ヨハンはふと右手を見た。
「忘れてた」
折れた聖銀の刀身が残っており、手もまた刀の刃を握ったままだった。
―― 剣技複合:
右腕に残る刀身へ、ヨハンは左手に持ち替えた聖銀の刀を振り下ろす。
―― 針通撃・纏放。
刀が肉と血と骨を透過。
刃が聖銀の刀身に触れた瞬間、無数へ分かれた斬撃が、刀身だけを塵よりも小さく刻んでいった。
「さて」
ヨハンは右腕を魔法で癒し軽く振るう。聖銀の粉が落ちた地面は、整えられた前庭の面影など欠片も残ってはいなかった。
上空から十五の影が飛来する。
戦闘装甲ゴーレムと、それを率いる空戦用魔導鎧を纏った岩巨人が、その手に握る魔導兵器の先をヨハンへと向ける。
岩巨人が「投降しろ」と言い、更には斜面を下りて来た神殿兵達が戦列へと加わる。
戦争、或いは大型魔獣の群れに対応する戦力を見て、ヨハンは左手の刀を地面に置いた。
しかしヨハンが無手となったのとは逆に、包囲する彼らの緊張と震えが、上から成行を見守る市民達にさえはっきりと窺える程に高まった。
(遊んだせいで時間が無いから捕まるのは無し。見逃してくれないなら斬るだけだが、後の処理でヤパスに負担を掛ける事になるしで……。そもそも穏便に済ませようにもここの伝手はイノリさんだけで、あの人の弟子を今ボコボコにした訳で……)
ヨハンはゴチャゴチャして知恵熱を出し始めた頭を搔きむしる。
「あ~~マジでどうすっか……」
「主のアホ―――!!」
「ぐほっ!?」
ドロップキックがヨハンのお尻に決まった!!
魔法でライフル弾より速く、おまけにインパクト時の衝撃を魔力に変換した蹴りはヨハンの揺鐘で吸収できず。
ゴーレムの足元までヨハンは転げ、『ヒイッ!?』と操縦者が悲鳴を上げた。
* * *
「ドゥームフォーミュラー、ですか?」
フラビオの問いはただ、初めて耳に入った単語を聞き返すものだった。
「ああ。ある特殊な機兵の総称で、今から凡そ九千万年前に作られた物だ」
ジットンの目が鋭さを増し、右手の皇金の腕輪が少し音を立てた。
「聖霊の試練なんて言うから何を話すかと思えば、そんな太古のポンコツが何になるってんだい。高く売れるって話なら、博物館の考古学者か暇な物好きにでも持って行きな」
「全く、これだから
―― 歴戦の傭兵は語る。
かつて二千万の人口を数えた帝国があった。
小国の公爵家に生まれた男が王となり、皇帝となってできた国であった。
破竹の勢いで周辺諸国を制圧し、次の獲物にと、小さな山国を選んだ。
交易路から外れ、また軍事的な意味の殆ど無いその国が選ばれたのは、皇太子の初陣として安全だろうと考えられたからだった。
形ばかりの降伏勧告。
王族と貴族の男子は全て処刑し、女子は全て奴隷と成るべしと、帝国の陣地へ交渉に訪れた若い王へ、皇太子は淡々と告げた。
激高した王をあっさりと殺した皇太子は、王が乱心したと嘘を吐き、王国へと襲い掛かった。
十万の帝国軍は次々と町や村を焼き、破竹の勢いで王都へと迫った。
そして王都を眺める丘の上で、一人の少女が立ち塞がった。
彼女の紡ぐ声が向かい風に乗り、不思議と明瞭に、地を鳴り響かせ駆ける帝国軍の全ての者達の耳に届いた。
「王の妻たる」という言葉があったのを騎士達が聞いた。
先頭の騎士の槍が届く寸前に膨大な魔力が現れ女を包んだが、誰もが『魔法が発動する前に女を殺せる』と思っていた。
そして、「
怪物の一撃が、帝国軍を粉砕した。
十万人の内、生き残った者は百人に満たず。
皇太子とその側近は、肉片さえ残さずにこの世から消えた。
―― このすぐ後に帝都が落ち、歴史の中でこの帝国の名前が出る事は二度と無かった。
「もしかして、ジットンさんの故郷の話でしょうか?」
「ああ。口減らしで兵士になって、初めての戦がそれだ。運良く生き残ったが奴隷になって、自由を得るまでマジ苦労したぜ」
「その、ドゥーム、フォーミュラーかい? そんな大層な罰当たりの代物、城にいた錬金術師の爺さん達から、一度だって聞いた覚えはないさね」
王直属の近衛騎士を務めていたカミラは、国家機関の錬金術師や宮廷魔法士に魔導兵器について尋ねる機会が多々あった。
近年の魔導学の発展は速く、むしろ騎士だからこそ、知識の更新は必須の事だった。
「激烈に希少な上に、その存在を知り得るのは、そこら辺の
「……」
「知らねえ生き方をしてきたってのは、カミラ、お前の人生が幸福だったって証拠だ。ここでの話も今日の酒に流して忘れちまいな」
「……じゃあ何でその鍵をフラ坊に渡したんだい? 返答しだいじゃ、あんたの薄汚い首が、身体から落ちる事になるよ」
「そりゃ、必要になるからだよ。
「……知ってたのかい」
「知らなけりゃ、俺はフラビオを守る為に動いただろう。つーか俺の同乗を許したお前の狙いはそれだったんだろ?」
「……ああ」
「実際与太話の類だからな。昔から詐欺師の定番として『神器』の発見があるが、これも傍から見りゃそれとどっこいだ。そりゃ魔法も奇跡みたいなもんだが、結局は人の技だ。神や聖霊の奇跡とは別もんだ」
「僕は……」
「止めねえよ。つーか
魔導車のクラクションが鳴る。
――
窓からは、夕暮れの穏やかな赤の光が差し込んでいた。
果物ナイフでリンゴを刻み、精緻な聖霊の彫刻を作り出したイノリにフラビオは苦笑した。
少し雑談をして。
―― ザロは滅び。
―― グレーベルとルシアとカタリナは死に。
―― フラビオは絶望の中で鎖に繋がれる。
「まずこれが覆る事は無いでしょう」と
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