剣と敗北の聖女 四

 太陽のまぶしさが照らす坂道を、兎の奏でる笛の音が、風の輝きと混ざりながら吹いて往く。


 その彼女の後ろを子供達が行進し、彼らは大きく口を開け、勇ましくも高らかに、ザロの歌を歌い上げる。


「我らは勇敢ゆうかんなるザロの民」


「水の精霊よ、杖を携えいざ行かん」

「風の精霊よ、剣を掲げて我らと共に」


「海を越えて丘を駆け」

「聖霊への誓いを大地と空へ」


「オリーブの旗を高く掲げて」

「歌えや歌え、進めや進め」


 坂道は空へと続くように長く長く。

 道の端にはオリーブの古木が茂り、夏の風に葉を揺らしながら、木陰に休む旅人に安らぎを与えている。


 旅路の埃にまみれた服を着て、革袋の水筒から水を飲む旅人達が。


 ふと坂道を見て、笛の音と歌を聞いて。

 あかと共に身体にこびり付く疲れが、風に洗われていくのを感じた。


 光の中に洸が在った。

 空の大気より淡く、小川の水よりなお淡い覗色のぞきいろ


 魔法である。

 だがこれは祝福であると、誰もが思った。


 祈る。

 背嚢リュックを背負い直して、歩き出す。


「やあ」

「おう」


 お互いに名前を知らぬ、誰かと誰かは声を掛け合い、この行進の仲間になった。


 兎と子供達に人々の群れが続く。

 ザロに生きる者も、旅を越えて来た者も。


 道に敷かれた白貝石の輝きの中を。

 笛の音と共に歌いながら。

 皆が丘の上へと歩いて行った。

 

* * *


 坂道を登り切り、『勇気の門』を潜って神殿前の広場に到着した。


 ペコリ、とスリーピーがお辞儀をする。


「「わああああっ!!」」


 子供達が快哉を叫ぶ。

 その喜びへと惜しみない称賛の声が掛けられ、万雷の拍手が鳴り響いた。


「いいぞいいぞ!!」

「お前ら最高だ!!」

「良い日だ! 今日は本当に良い日だ!!」


 手を打ち鳴らすヨハンの目の前でも旅人達が、エルフとオーガの男達が抱き合い、歓喜の涙を流している。


 ここに居る者達は皆。


―― リーンゴーン、リーンゴーン。


 神殿の鐘が鳴った。

 

 誰もが手を振って別れ、目指す場所へと足を向ける。


 神殿の中へ。

 墓地の先へ。


「ばいばいスリーピー!」

「ヨハンもまた遊ぼうね!」 


 ヨハン達も手を振り返す。

 母親に連れられた子供達は、墓標の連なる向こうへと去って行った。


「さて、俺達も行こう」

「はいっす」


 スリーピーが軽やかにヨハンの肩に飛び乗った。


 神殿へと歩く人の連なりは途切れない。

 高まり爆ぜた熱は去り、穏やかな信仰の熱が流れて行く。


 ヨハン達も彼らの中に混じり、神殿へと続く石階段を登って行く。


 気が乗ったままのスリーピーがヨハンの右掌の上に片足立ちとなり、また笛に口を付け、息を吹き込んだ。

 先程とは違う厳かな聖曲の音色が踊り、少なくない参拝者達が階段の途上で跪き、そのまま祈りを捧げていく。


 階段を下りて来た神殿騎士がこの光景に目を丸くして、スリーピーへ視線を向けた。


 問いかける視線にヨハンは左手で龍の印を切る。

 それに神殿騎士は頷いて、風の聖印を切って広場の方へと去って行った。


 彼を見送ったヨハンは、そのままスリーピーを掌に乗せ、程なく階段を登り切った。

 すると異様な人集りがヨハンの目に飛び込んで来た。


「俺達のボルトニアはボロボロになった! 国の守護を放り出し、欲望のままに争った王子や貴族のせいでだ!」


 群衆の中からは、ガラガラの男の声が響いて来る。


「王は、貴族共は! 俺達からなけなしの小麦まで税として奪い、贅沢を貪って、さも自分達は良くやっていると、善政を敷く名君を気取っていやがった!」


 貴族の耳に入れば、命を取られるであろう、明確な不敬の言葉。

 常ならば巻き添えを恐れて距離を置くはずの人々は、しかしその殆どが場を去ろうとはしなかった。


 むしろ騒めきと共に、はっきりと群衆の熱が上がっていく。


「主、これって……」


 笛から口を離したスリーピーの言葉に頷き、ヨハンは後ろを振り返る。

 先程すれ違った神殿騎士が広場の端でパイプを口に咥え、左手をひらひらと振っているのが見えた。


「仕方ない、行くぞ」

「はいっす」


 群衆の中を誰一人触れることなくすり抜けて、輪の中心へと進み出たヨハンの目に、殺気立つ神殿兵とそれを従える女騎士が映る。


「王や貴族共が自分達の身内の死を悲しんだ時に、俺達の身内や仲間は墓にさえ入れず、戦場で腐った肉の塊になって蛆虫どもに食われていた!!」


 渇き、燃えるような声を吐き出す隻眼隻腕の男。

 神殿騎士達と対峙する彼の右手の肘より先は無く、身体中に巻かれた包帯からは赤い血が滲み出ている。

 

 満身創痍の姿はしかし、血走る褐色の瞳と貌に宿す狂気の相が、微塵も弱さを感じさせはしない。


「王に災い在れ! 貴族に災い在れ! こんなクソ共に金の冠と絹の衣を与えた聖霊に災い在れ!」


 残った左腕が、全てを薙ぎ払うように振るわれ続ける。


「俺は願う! 俺は望む! 剣に斬られ汚泥おでいの中に沈んだ同胞よ! 荒地に打ち捨てられた敗北者達よ! 立ち上がる時は来た! 託宣が下されたのだ! バルケンではない、オリナギではない、イルカラードではない、マルナイルナではない、ヌニトではない、カロペーではない、ブダトアではない! 我らの聖霊が現れると!!」


 握り締めた拳が、天へ突き挙げられる。


「蝕は顕現し、龍は目覚めた!!」

「偉大なる聖霊の御前で、よくも吠えたものです」


 女騎士が腰に下げた刀の鯉口を切るが、男はそれへ侮蔑の笑みを返す。

 

 騎士の一瞬の踏込み。

 刀身が抜き放たれ聖銀の輝きが走る。が、それは黒い剣身の金の刃に阻まれ、瞬いた火花と共に甲高い金属音を鳴り響かせた。


「一度だけ言います。邪魔をするな剣士」

「お怒りごもっともです。しかし敢えて願います。剣を納めては頂けないでしょうか?」

「……」

「清浄の場たる神殿を争いの血で染める事は、神殿の教義にも触れる事と存じます」


 ヨハンが神蝕の王イクリプスで刀を払うと、騎士は宙で身を翻し、木の葉のように静かな着地を決めた。


「剣の七王の一つ、神蝕の王イクリプス。成程、あなたが師匠の言っていた祭主なるやからですか」


 殺気は静まり、刀の切先は下げられているが、ヨハンを視る黒い双眸の鋭さは変わらない。

 何よりも、ヨハンの鼻は潮の匂いが強まるのを感じ取っていた。


「一応は隠しているので余り口にしないで欲しいです。更に言えば、俺はイノリさんに呼ばれてここに来ています」 

「師匠があなたに依頼を出したのは知っています。ですからあなたが祭主と言うならば尚更、」

「っ」


 ヨハンを包むように展開した大級魔法の業火は、しかし神蝕の王イクリプスの星域の効果によって瞬時に消滅する。


「甥を殺される前に、あなたをここで仕留めます!!」


 続く投擲された苦無くないを斬り捨てたヨハンの上に影が落ちる。

 ヨハンが視線を向けると同時、騎士の脇差が頭上より振り下ろされた。


「風よ」


 翡翠色の刀身からが噴き上がる。


「抉り喰らえ!!」

「精霊刀か!」


 莫大な風が刃となってヨハンを襲った。

 星域で減衰されてもなお有り余る力がヨハンに叩き付けられる。


―― もしこれを受けたのが神蝕の王イクリプスでなかったら、神殿から半径五百Mは底の見えない大穴となっていたであろう。


神蝕の王イクリプスを知っているから使ったか、それとも諸共を巻き添えにしてでも俺を消そうとしたか、まあ何にせよ」


 風を斬り裂いた黒い剣身が弧を描き、脇差の翡翠色の刀身を絡み取り、騎士の手から虚空へと奪い去った。


「良い使い手だ」


 神蝕の王イクリプスと刀の刃がぶつかり、迸った衝撃波が土煙を吹き飛ばした。


「そう言えば名乗りはまだだったな。俺の名は【ヨハン・パノス】。御存じの通り『星屑の塔』の祭主をやっている」

「くっ」


 黒い剣身に抑え込まれていく聖銀の刀身。

 力比べで分の悪さを悟った騎士は後ろへと跳躍し、風となって戻って来た脇差を左手に掴んで距離を開けた。


 神蝕の王イクリプスを左手片手中段に構えたヨハンに対し、騎士は右手の刀を頭上に、左手の脇差を正面へ置く霞の構えを取る。


 その荒れ果てた地面に立つ彼らから周囲を守るように、透明なトランプの図柄が結界を形作っていた。


「あなたの仲間ですか」

「そうだ。万が一、騎士殿の剣が俺の首を刎ねたとしても、逆上して襲い掛かるような奴じゃない事は保証する」


 騎士の魔力は僅かも漏らす事無く、その左手の脇差へと集中している。

 量、質、そして制御。

 その全てが超一流のものであり、大国の頂点に立つ強者達と比べても遜色の無いものであった。


―― だからこそ。


 青い目を少し細めて、ヨハンの口角が上がる。


「行くぞ」


 ただ一歩で音を遥か置き去りにした神蝕の王イクリプスの突きが放たれた。


「くっ!!」


 脇差に黒い剣身が逸らされる。

 カウンターで打ち込まれた刀はヨハンの革の籠手を裂き、しかしそれで止まった。


「聖銀の刃は魔法的守りを容易く破る」


 翻して刀身を掴んだヨハンの右掌からは、一滴の血も出てはいない。


「だがそれだけだ。むしろ刃に付加的な効果を持つ、ありふれた魔剣だった方が面倒だった。理由は、イノリさんの弟子なら分かるだろ?」

「っ、そうですね。あなたが私の剣の道の先に在る事は理解しました、が!!」

 

 刀から手を離した騎士が上空へと逃れる。


夏天かてんの宴に集いし精霊よ」

「握り携える矛と共に舞え」

「風と火の演舞で我が敵を供せよ」


 膨大な魔力による呪文構造が、刹那で上級魔法を完成させる。


「【祇騎矛奏陣しきむそうじん】」


 風と火の矛を持った五千の精霊が顕現し、ヨハンへと襲い掛かる。


「折角の対軍魔法だ。こっちも相応のもので応えよう」


 絶えず全方位から襲い来る精霊の矛を捌きながら、ヨハンは自らの魔剣に意識を集中する。


「させません!!」


 騎士の投げた脇差が流星となり、それを弾いたヨハンに一瞬の停滞が生まれた。


 さらに、殺到する精霊がヨハンの視界から騎士の姿を隠す。


「五手乃剣・行ノ二ぎょうのに

「ははっ、出すか」


 潮の匂いで騎士の位置を把握しているが、しかし無数の精霊を斬り捨てた神蝕の王イクリプスの防御が間に合わない。


 土煙の中から現れた騎士の洸を宿す黒き魔眼と、ヨハンの視線がぶつかる。


―― お前、楽しそうだな。


 そんな呟きが重り響いて。


 聖銀の切先が走った。


「針通撃!!」


 星域を抜けた刀身が防御に掲げたヨハンの右腕を貫き、心臓へと刃を進め、止まる。


「影の刃よ 在れ」


 神蝕の王イクリプスの魔力を使った超級魔法【絶対征伐の影剣乱舞】が発動。

 ヨハンの影が一万の神蝕の王イクリプスの剣身となって精霊ごと周囲を蹂躙し、「主、タンマ、タンマっす!!」という決死の形相で結界を維持するスリーピーの悲鳴が上がった


* * *


 海底に眠る、古代の人々が作り上げた都市の遺跡。

 人魚達でさえ訪れる事の無いその場所には、古代の秘宝が迷宮ラビリンスの奥に眠っており、相応しき者が訪れるのを静かに待っている。


「へえ、東端群島にはそのような場所がるのですか」


 町の中を走る魔導車の中。

 フラビオは胸の高鳴りを感じながら、ジットンの冒険話に耳を傾ける。


「おうよ。複数の意味不明な古文書を解読して都市の場所を割り出して、海に潜って魔獣と戦いながら辿り着き、強固な封印をぶち破り、変なゴーレムをぶった斬り、罠を潜り抜けて謎を解き、そして俺様達は遂に秘宝を手にしたってわけよ」

「あんたの仲間のバカ共で、サンドロ以外にそっち系が解かる奴っていたっけ? イネスとカルモは裏方だし、ジャイル達兄弟は実戦バカだったでしょ?」


「いや。今回はあいつらとは別行動だった。私部隊パーティーを組んだのはバカザルだ」

「ああ、彼ですか」


 ハンドルを握るサンドロが頷いた。


 ジットン曰く腐れ縁。

 サンドロにとっては遥か高みに在る好敵手。


 最初は敵として出会い、次に協力者となって、最後はボルボル傭兵団の仲間の一人となった。


 冒険に次ぐ冒険。

 旅の中で目にする異邦の風景。

 大成功もあれば、時に失敗もあり。


 ジットンも、サンドロも、傭兵団の仲間達も。


 抱える傷を超え、生きる事が輝いていた日々だった。


「元気でしたか?」

「ハッ、変に思い詰めてやがって、つまんねえ面が更に陰気になっていやがった」

「……そうですか」

「あのおっかねえ姫さんが側にいるんだ。そんな心配すんなって。大丈夫だよ俺も喝入れといてやったから」

「はい。しかし団長の元気付けは、私達のような錬金術師には少々堪えますからね。程々にして下さいよ?」

「考えといてやるよ」


 幅の広い往来の角を曲がり、魔導車は路地裏へと入る。

 荒れの目立つ石畳の道に車内の揺れが強くなった。


「ザロに着いた時にも思ったが、かなり荒れているな。表以外の細かい所を整備する余裕は全く無いって状態か……」

「はい。一ヵ月前、第二王子ハファエル様が母上と祖父様おじいさまに恭順を求めてこの町に来ました。そしてその日は、父上と第一王子様叔父上が決闘を行う日でした」


 車窓の外を流れる家々の石壁のそこら中に、真新しい傷が刻まれており、瓦礫となっている場所もちらほらとあった。


「一方的な通告が行われ、その三十分後には攻撃が開始されました。裏切った騎士達によって都市結界の出力は最低となり、ほぼ無防備となったこの町は、戦術魔導杖の一斉砲撃を受けました」


 カミラは【虎舞槍こぶそう】に抑えられ、ザロの騎士団は圧倒的数のハファエルの騎士団に劣勢。


 政治不介入の原則により、風の神殿は動けず。


 フラビオも戦闘装甲ゴーレムで町の防備に当たったが、機体は撃破され、敵騎士の刃を喉元に突き付けられた。


「城の城塞結界も破られ、ザロは落ちたも同然でした。しかし」


―― 神殿騎士団副団長であり【翔砲騎】の妹、【銀風剣 カタリナ・セレーゾ】が参戦した。


「カタリナ様のおかげで僕達は生き延びました。でも……」


 生来、カタリナは身体が弱かった。

 十歳の時には死病を患い、セレーゾ家は方々に手を尽くしたが、その全てが意味を為さなかった。


 ギリギリでイノリの試練を達成したグレーベルが間に合い命を繋いだが、成人してもまだ、時々寝込む事がある。


「力が欲しいと思いました」


 碧眼に強い光が宿る。

 そのフラビオへ、ジットンは一つの鍵を渡した。


「これは?」

「それで神殿の封印書庫が開く。聖霊の試練を越えれば資格を得られる」


 フラビオの手の中の鍵を見たカミラは、詐欺師を疑うような視線をジットンへと向ける。


「大の神殿嫌いのあんたが、何でそんなものを持ってるんだい? しかも聖霊の試練にまつわるなんて希少品を」

「偶々手に入れただけだ。それにこの鍵は方法を知ってりゃ、一端の錬金術師なら誰でも作れる程度のもんだ」

「団長、それはまさか……」


 フロントガラスを見詰めるサンドロの声が畏怖の感情に揺れる。

 魔導車が坂を上る。


運命ドゥーム巧式フォーミュラーへ至る始まりの鍵だ。必要と思ったら挑戦してみればいい。ま、試練だけなら命は取られないから、そこは安心しろ」

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