赤獅子と禁忌の御子/剣士を目指した者 八

 デパートには何でもある。

 小さい頃、あれはそう、前世で子供のときだった。

 黄色いスポーツカーを買ってもらって、とても嬉しかったのを覚えている。


 家ではいつもそれで遊んでいて。


 ブウブウと俺の口からエンジン音を響かせて、手を離れた車は、勢いよく廊下の向こうへ走って行った。


 ……。


「ジャン・ミック?」

「だよ。好きだったろ」


 デパートで買ったここでは最新の、俺的にはドなレトロのワゴンが、ガタンゴトンと、ノンアスファルトのクソッたれな道路を走っている。


流石さすが気が利くな。ハンドル握ってなきゃひたっていたよ」

「残念ながら主殿しか運転できないからね~。後ろの子達は論外だし、ボクは車は専門外だ。生まれてからハンドルに触れたこともないよ」


 天井の邪魔臭いプレイヤーで回るレコードが、『世界よ滅びろ! 俺が神だ!』と叫んでいる。


 アルネがそれを楽しそうに歌い、ニパンは買ってやった魔導剣を大事そうに触っている。


「ねえ。情操教育って知ってるか?」

「知ってるよ。どこかで聞いた事がある」


 年長者のゾハスの言葉が聞こえる。

 アルネとニパンには心を開いているが、俺への当たりはちょっと厳しい。


 前の車の水蒸気が当たるフロントガラスに映るゾハスの顔は、気が立った猫のようだった。


 野郎にするには、気持ち悪い評価だが。


「ヤパスが来たのには少し驚いた。先生関連の伝手つてだったから、執事かメイドが来るもんだと思ってたよ」

「まあ、ヨハンにここを紹介したのはボクだしね。正規入国者へ私刑をすれば、ここの主の逆鱗に触れる。こそ彼を知る事になるから、遠巻きに指を咥えるしかなくなるのさ」


「俺は密入国だぞ。山で襲ってきた竜をぶった斬って入った、な」

「形式は問題じゃないよ。要はここの主がどう思うかさ。君はあの紅風の剣魔の剣を継いだ者だからね。聞いてるだろ、ローナ師とあの方の関係は」


「……ああ」


―― 全力で殺し合って、友情が生まれる、か。


 前は理解できない感覚だったが、今は少し、解かるような感じだ。


「強さってさ、結局は相対評価なんだよな。自分か他人か、誰かに認めてもらわないと、分からなくなっちまう。いただきに近づけば近づくほどに、抱える強さは孤独になっていく。勝って勝って、回りに誰もいなくなって。自分にも勝って。それで最後に残る強さって、何なんだろうな」

「さあね。凡俗なボクには分からない話だよ。まあカブトなら、的を射た言葉を返したと思うけどね」


「そうだな」


 車を抜いて馬車を抜いて、建物の丈が小さくなって。

 人影が消えて、雑木の姿がパラパラと見えて。

 道が悪くなって、窓の外に、広い湖の姿が現れた。


「回りくどい事を言っても、結局皆がやりたいのは、『月にロケットを飛ばす』事だ。月が見える。月に行きたい。だからロケットを飛ばす。シンプルな話だ」

「ロケットが複雑だから、それを理解するために言葉を重ねる、か。君のいた世界であった大国の競争も、その時代も。全部がロケットの部品なんだね」


「そうだ。見えるものだけじゃない」


 こんな会話を、随分長いことしていなかった気がする。

 別れてから、何年も経ったわけじゃないのにな。


「おれのあしうらが おまえらをつぶす ちみどろのしたでなめやがれ ふー!」

「僕の剣……」

「……」


 代わり映えの無い景色が延々と続く。

 ヤパスからコーヒーを受け取り喉へと流すが、エナジードリンクが欲しくなる。


「スパイシーポーションはあるか?」

「作ろうか?」


…… 在庫切れか。


「いや、いい」


 お前、挑戦的なアレンジするじゃん。


「左様で」


 それに時間的に、今日の寝床まではもう少しのはずだが……。


「煙?」

「車からだ。トラブルのようだね」


 道の端に、一台の赤い車が止まっていた。

 助手席には少女が一人寝ており、ボンネットを開けた赤毛の男が、ガチャガチャと工具を動かしていた。


「どうしました?」

「いや~、魔獣から逃げてたら、車のエンジンが調子を悪くしまして」


 ドアを開けヤパスが外へと出た。


「よろしければボクが見て差し上げましょうか。こう見えて、錬金術を少し齧っております」

「すいません。お願いしていいですか?」


 男はあっさりと場所を譲る。

 顔は汗とすすまみれ、苦労した様が見て取れた。


「では失礼して」


 ヤパスが右手で車体に触れた。

 

「なるほど」


 そう呟き、パチンと指を鳴らした。


「魔晶石が仕様以上に過熱して、ボイラーに穴を空けていました。多分魔獣から逃げる時に、魔力を込め過ぎたのが原因でしょう」


 車の右ドアには、大きな蹄の跡が残っている。


「あ、言われてみれば……」

「魔力量の多い方によくある事例ですね。緊急使用で、思わず過剰な魔力を込めてしまうそうです。普段使う分には運転手の魔力は必要ないので、パニック時に思わず加減を誤ってしまうのでしょう」

「おっしゃる通りです。いや~失敗しました」


 男がゴシゴシと袖で顔を拭った。


「本当に助かりました。ありがとうございます」

「いえいえ」

「こういった事は妻の方が得意なのですが、よく眠っていて。ちょっと恰好を付けようと。御迷惑をお掛けしました」

「はっはっは。そういう心構えは大切だと思いますよ。一人朴念仁を知っているので、特に」


 おい、何故俺を見る。


「お連れの方も、申し訳ありません。お時間を頂きました」

「気にしな!?」

 

 振り返った男の顔には、見覚えがあった。

 ヤパスを見ると頷き、肯定する。


「ふぁ~、よく寝た~。あれ?」

「あっ、お目覚めだね、ハニー」


 大きく背伸びをして、助手席の少女が身を起こした。

 黒いドレスを纏った、黒髪黒目の少女。

 

(大剣位の上位の力はあるな。だがなんだ? 彼女の芯に有る、異質な潮の匂いは?)


 車から降りた少女は、トテトテと歩き、ヤパスにお辞儀をした。


「車を直して下さって~、ありがとうございます~。凄い腕前ですね~」

「お褒めいただき、ありがとうございますお嬢さん。あなたの腕も相当だと、お見受けします」

「うふふ~、そんな~」


 ヤパスの言葉に少女が笑う。

 ゆるふわ系の容姿に反した、目を引く赤黒いルージュが、その笑みにとても似合っていた。


「……」

「? どうしましたヨハンさん?」


 イクリプスを掴んだ右手を離した。


(厄種としては特大だが、俺がどうこうする話じゃないか)


 座席に座ったままも失礼なので、ドアを開ける。


「可愛らしい奥さんですね。ここへはご旅行で?」

「ええ。ブーベル湖周辺の遺跡群は素晴らしいですからね。仕事も片付き、丁度お互いに時間が取れたので。新婚旅行も兼ねて」

「そうですか。羨ましいですね」


―― きな臭いな。


「いや~、はっはっは」


 男の隣に来た少女が、綺麗なカーテシーを行う。


「主人がお世話になりました」

「っと、そうだ。挨拶がまだでした。これは失礼」


 男は恥ずかしそうに、コホンと咳をした。


「私は【赤獅子 ナハニーク・ルグライオ】と申します。クシャ帝国の大学で、教鞭を取らせていただいています」


 ルグライオ家は、現皇帝の【金獅子 オルゴトン・クシャ】を輩出した名家であり。

 ナハニーク自身も、臣民等級の最上位である『九公爵』の一人に名を連ねていた。


(確か、金獅子の三男だったな)


 そして、俺がガレ王国ここに来る前には、ナハニークが結婚したという情報はなかった。


―― それにこの少女の顔は。


 俺が知るクシャ帝国と、その周辺にある国々の有力者達の子弟、その誰のものとも一致しない。


 何よりもまず彼女が纏う戦いと死の臭は、社交界に身を置く令嬢達の化粧の臭とは比べ物にならない程に濃く、禍々しい物だ。

 

「我は【ベアーチェ・オースター】と言います~。ルグライオ家の者ではありませんが~、ナハ君の妻をしています~」


 この二人の組み合わせがもたらすものは何か。

 少なくとも、『平和』でない事だけは、間違いないだろう。






//用語説明//


【臣民等級制度】


 クシャ帝国における市民の権利と義務を定める制度。

 獣人が興こし、現在も獣人が多数を占めるクシャ帝国においては、個人の実力(主に戦闘力)がそのまま社会での地位に反映される。

 そして戦、或いは財務等の国への貢献の度合いによって、『公爵~男爵』のいずれかの称号が一身専属のものとして与えられる。


 特に九人しか与えられない『公爵』は絶大な権限を有する。

 例えば帝国内の選挙において公爵一千万票、侯爵五百万票、伯爵百万票、子爵十万票、男爵百票の選挙権を持つ。

 この投票権の数は年間を通してのものであり、例えば公爵がA選挙で百万票を入れたら、残りの期間で投票できるのは九百万票という事になる。


 なお伯爵以上の爵位持ちは、帝国内の各州や各都市の好きな選挙に投票できる。


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