魔法使いの長い夢 二
町中が戦争の勝利に沸き返っていた。
長年の宿敵だった隣国を滅ぼし、領土が二倍となったのだ。
「騎士団万歳、竜騎士団万歳!!」
町の街道を歩く騎士達へ花が投げられ、空を飛ぶ竜騎士達へ祝福のラッパが鳴り響く。
「万歳万歳!!」
「よくやったぞ! お前らは俺達の誇りだ!!」
「聖霊よご照覧あれ! 私達の英雄達を!!」
誰もが笑い、樽から出した酒を掛け合った。
子供達が騎士達の後を追い、抱え上げられて騎士の前に乗せられた。
皆の笑い声が爆発した。
その一番後ろを。
鎖で繋がれた少女が歩いていた。
誰も少女の事を見ない。
誰も少女に声を掛けない。
この戦争で、一番敵を殺したのは彼女だった。
この戦争で、一番騎士達を守ったのも彼女だった。
ボロボロの姿で歩く彼女こそが、この戦いの、最大の英雄だった。
その事を誰もが無視していた。
いや、そうではない。
―― 少女は国の兵器だった。
馬や戦車、剣や弓や盾と同じ存在として扱われていて、役に立つのは普通の事だった。
「これでこの国もまた豊かになる」
「慈悲深い王様は、俺達の事を考えてくださる」
「私達は幸せだ」
* * *
叙勲が終わり、王は大きく声を張り上げた。
「我らは大きな一歩を踏み出した! 我の夢、この母なる島の覇者への道へ、確かな足跡を刻んだのだ!!」
万雷の拍手が巻き起こる。
王が片手を挙げた瞬間に収まり、代わりに、熱を帯びた無数の視線が、玉座の王へと向かった。
「我は聖霊に誓う! 我らの未来が、栄光と繁栄に包まれたものである事を! 我れこそが、平和への道を切り開く、正義の使徒とならん事を!!」
城を揺るがす程の歓声が上がった。
……。
一番古い木造の兵舎の、
部屋が外の『喜び』で揺れる。
パラパラと天井から落ちる埃を、少女は見えなくなった目で、眺める。
少女はこの町に連れて来られてから、兵器として使われてきた。
人を殺す魔法を数多く叩き込まれ、何度も魔法の実験に使われた。
戦いと実験によって、目が光を失い、耳が音を失い、鼻が臭いを失い、舌が味を失い、肌は触れたものが解からなくなった。
少女はそれを辛いと、悲しいとは思わなくなっていた。
少女は失った五感を魔法で代替する事ができるようになったが、それを必要とは思わなくなっていた。
虚ろとなった少女の心に残るのは、村での、幸せだった頃の記憶だけだった。
父が母がいて。
姉とポットと一緒に、友人達と森の中を歩いた記憶。
あの木の実が美味しかった。
あの木の実は酸っぱかった。
ポットが川で捕まえた魚を焼いて、みんなで食べた。
ぽつりぽつりと、少女の中に、失った景色が浮かんでは消える。
―― 虚構と現実の境目が消える、その夢の世界だけを支えにして、少女は持つことができていた。
そして夢の最後にあの、終わりの日の景色が現れた。
(!?)
少女は魔法を使う。
光と音を感じ、床の上に立ち上がった。
部屋の中にあるただ一つの窓からは、青い空が見える。
それが、あの竜を見た日の空に重なった。
少女は自分を縛る鎖に魔法を使った。
魔力を拡散させ、魔法を封じる鎖は、あっさりと粉々になった。
―― 少女を強い予感が襲ったのだ。
窓へ魔法を放ち、壁に大穴を開けた。
兵舎の裏の、スラムの悪臭が混じった風が、屋根裏部屋の埃を巻き上げた。
少女は足元に広がる、兵舎の壁の向こう、汚泥の世界へと
糞尿の混じった泥の道の傍らには、死体と、死体と見分けがつかない生者が横たわっていた。
ここ数年続いた内乱と戦争。
王位継承から始まった戦火は、王の敵を焼く為に、国の民から財を奪っていった。
王と貴族達が美辞麗句を並べようとも、民とは結局、彼らの家畜でしかなかった。
彼らは誰も、民の権利など考えもしなかった。
民に財産権は無いから、必要とあれば根こそぎ財を奪う事ができた。
民に責任を負わない、要は民には為政者を罷免などできないから、王や貴族が
貴族が民を奴隷とし、あるいは
民の為に怒りを声にする、『心ある貴族』というものも、存在はしていた。
彼らは非道を行った貴族を糾弾し、
誰も貴族という制度を壊そうとはしなかった。
だから何度でも悲劇は起きた。
幸運にも『心ある貴族』の目に留まった、
王と貴族の慈悲に、気まぐれな優しさに
(お姉ちゃん?)
身体を覆うには足りない
少女は駆け寄って、姉へと手を伸ばした。
「……よかった。生きてたんだね」
もし少女が魔法を使えなかったら。
離れた人間の心臓の音を聞き分ける
彼女は姉の言葉を聞き取る事ができなかっただろう。
(お姉ちゃん! お姉ちゃん!!)
心の中で叫んでも、少女の口は、声を出すことができない。
喉は潰れ、話し方など、とうの昔に地獄の日々の中で失った。
「元気、そうじゃないけど、それでも」
(お姉ちゃんっ!! お姉ちゃんっ!!)
少女は話し方を、必死で思い出そうとする。
脳が焼き切れる程に、魔法の構成を何百、何千通りと試して、今この瞬間に、声を取り戻そうとする。
「会えて、良かった」
(お姉ちゃんっ!! お姉ちゃんっ!!」
姉の瞳の、微かな光が、消えていく。
「お姉ちゃん!!」
「良い、夢だった。最後に、会えたんだから」
小さな笑みを浮かべて、命の火が消えた。
「あっ……」
少女の腕の中で姉は、すぐに冷たくなった。
「おい、いたぞ! こっちだ!」
武装した兵士達が駆け寄って来て、少女を囲み、槍の穂先を突き付けた。
「こんなめでたい日に脱走しやがって」
「おい、刺激するな。鎖が無いのが見えるだろうが」
怒り、恐れながら、兵士達は少女を罵倒する。
「何だってこっちに来てんだよ。悪臭が服につくだろうが」
「もうじき管理官の魔法使いが来る。絶対に逃がすなよ」
やがて一台の馬車がやって来て止まり、窓の
「本当に逃げ出している。大方、これを哀れんだ
同乗していた彼女の弟子達が、素早く鎖で少女を拘束する。
「いつも陰気だけど、今日は一際ね。何があったのかしら」
魔法使いの視線が、姉の方へと向いた。
「これかしら? 死体なんていつも見てるでしょうに。分からないわね」
「それ、燃やしておきなさい」
「「はい!」」
杖が向けられる。
「やめてっ!!」
鎖を振り切った少女の目の前で、姉の身体は、一瞬で灰となり、風に
カチャリと馬車のドアが開き、魔法使いが、硬い樫の木の杖を持って進み出る。
「よくも!!」
手に握る杖に力を込めて、それを少女へと叩き付けた。
「ッ」
「よくもよくもよくも、私の顔に泥を塗ったな!!」
何度も杖を、
「あの鎖は私の研究よ! 作り出すのにどれ程の時間が掛かったと思ってる! 陛下がお褒め下さり、お前に使えとおっしゃっていただいた物なんだよ、その鎖は! 陛下の私への信用を傷付けやがって!!」
少女が身体中から血を流す姿を見て、流石に弟子達が止めに入るが、魔法使いは彼らを振り払って、さらに杖を振り下ろす。
「この欠陥品が! この欠陥品が!!」
「……」
「はぁ、はぁ、はぁ。いい、お前は処分する。種を付けて、新しいのを生ませてから、私が直々に処分してやる」
魔法使いは振り返り、弟子の一人を指さした。
「お前、やれ」
「え、俺が、ですか?」
「そうだよ。やれ!!」
足の進まない弟子を、魔法使いはさらに怒鳴りつける。
「さっさとやれ!! やれば
「っ、わかり、ました」
弟子が少女へ、手を伸ばす。
「まあそんななりでも、貴族の男が抱いてくれるんだ。むしろ私に感謝して欲しい位さ」
少女が仰向けにされる。
「しっかりと夢を見な。もしかしたら、悪夢かもしれないけどね。フフフッ」
―― 夢?
少女の視界に、自分の拘束具を脱がそうと、四苦八苦する青年の姿が映る。
右を見れば兵士がいて、左を見れば兵士がいて。
少女を壊し抜いた女が、立っている。
そこに少女の大切なものは無い。
ここににあった、少女の大切なものは無くなった。
悪夢だ。
酷い悪夢だった。
だから。
(起きなくちゃ。この悪い夢から、起きなくちゃ)
少女は
だから少女の心は、現実を離れて、別の場所へと手を伸ばした。
重なり合う世界、その遥か高い場所へ。
手が触れる。
それは少女の魂の影に重なる、強大なる怪物。
少女が怪物を見て、怪物が少女を見る。
お互いの瞳に映る、無限の万華鏡の中で、二つの魂が共鳴し、一つの
―― その意味を古い時代の言葉で表せば、『天と結ぶ』といった。
「……っ」
「何だ?」
少女の発した魔力の波動に、自分のズボンに手を掛けた青年は、戸惑いの声を上げた。
それはあまりにも異質な魔力であり、凄まじい悪寒を覚えるようなものだった。
「早くしなさい。私の推薦状が欲しい人は、あなた以外にも大勢いるのよ?」
「くそっ」
青年には女を嬲る趣味は無い。
そしてここまでボロボロになった少女の姿には、全く反応する事ができない。
それを憧れの王女の姿を脳裏に浮かべ、無理やり何とかした彼は、その勢いのままに、少女を手にようとした。
「?」
何かが青年の中に入り、その中にあるものを奪っていった。
「ぁ」
そして彼は糸の切れた人形のように崩れ落ちて、もう二度と、起き上がる事はなかった。
そして同じように、少女を囲む兵士達も倒れていった。
「え、何?」
魔法使いが
彼女には意味が分からなかった。
何故なら彼女の魔法は、その領域に届いてはいなかったのだから。
「うつのうみをたゆたう ふめつのものよ」
「むげんをゆめみる あまねくものよ」
「ながれゆくいのちのことわりをつかみ」
空が一瞬で陰り、莫大な魔力が渦を巻く。
地面が激しく鳴動し、たまらず魔法使いは転倒した。
地震など全くない土地だった。
だからこれを初めて経験した住民達は、収まりようのないパニックとなった。
「お、お前が原因か!」
魔法使いは少女へ杖を向け、岩の砲弾を放った。
しかしそれは、少女へ届く前に、虚空へと溶け消える。
「な、なんなんだ! お前、何をした!?」
少女はゆっくりと立ち上がる。
彼女のいる場所だけが、揺れてはいなかった。
(長い、夢だった……)
少女の中から、激しい勢いで魔力が無くなっていく。
(お父さんがいない。お母さんがいない。ポットがいない。リーちゃんやメルちゃん、バカのダットがいない)
それはこの町に連れて来られて、拷問のように詰め込まれた、魔法の知識が
だから解かる。
この
「助けて、助けて、助けて」
頭を抱えて、魔法使いが震えている。
彼女の弟子達は、魔法使いを見捨てて、
(無駄なのに)
目覚める為に、空へ手を伸ばす。
けれどもそこに、光は無い。
「むさぼりたまえ」
あばら屋が魔法使いの上に倒れた。
運良く? 運悪く?
それは魔法使いの下半身だけを潰して、魔法使いが死ぬことはなかった。
「た、助け……」
魔法使いが、少女を見る。
(わかるよ)
(痛いよね。苦しいよね。辛いよね)
(でもね)
(そんなの、普通だよ)
少女の魔力が尽きる。
そして古き時代に、秘奥と呼ばれた天顕魔法が完成する。
「【宇天の
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