焚火に照らされて/剣士を目指した者 三


 前世きおくは思った。『五手乃剣』は現実となった、剣士の描いた妄想だと。


 アニメやゲームのキャラクター達が使う魔法、或いは超常の力。それらは、人間が決して現実にする事ができない神秘プロセスである。


 音速で走る、空を飛ぶ、宇宙へと出る。


 古い昔にそれを思い描いた人間は、その実現への可能性を模索し、科学の力でもって果たすことができた。


 二十一世紀という区切りの中で、科学は多くの可能性を人間に示し、可能性の究極、理想を与えていった。


 しかし、同時に科学の火に照らされ、焼かれ、消えていったものも、数多くあった。


 神話や伝説、そして錬金術や魔法といった神秘は、人間に理想を与える力を失った。


 科学に照らされる世界で、しかしそれらを信じ続ける人々はいた。


 しかし神秘は虚構となり、現実への影響力を失い、思惟の中へと消えて行った。


 そしてこの『五手乃剣』も、地球で神秘と呼ばれた力が存在するこの世界でも。


 理想を外れ、妄想の領域にあるはずのものであった。


* * *


 大岩を、イクリプスを鞘に納めたままに見据える。


「五手乃剣」


 世に在る剣士のほとんどがその奥義を秘す中で、先生は五手乃剣を秘匿せず、望む者には教えを授けていった。


 しかしその多くが一つを修得する事さえ叶わず、人間は元より、先生と同じ魔人、吸血鬼、巨人、鬼人、森人や土人など、様々な種族の者が挑み、そして剣を折っていった。


 歴史が忘れる程に長い五手乃剣の歴史で、これを完全に修める事ができたのは、先生と俺を含めて、四人しかいないそうだ。


 生まれながらの強者であり、才能に満ちた者達ではなく、何故俺が手にする事ができたのか。


 あのとき、その問いに九尾の少女が答えたのは……。


「第一手・纏放」


 抜剣の抜き薙ぎ、その力を方々へ解き、大岩の中へと走らせる。

 無数となった剣撃のベクトルが、大岩の中で混ざり、或いは弾き合う。


 納剣したとき、粉微塵となった岩の欠片が散って行った。

 残ったのは、岩から切り出されたテーブルと、その上に乗る、四人分の皿。


「すごい……」

「これは、魔法じゃない、のか? ただ、剣の技だけで、これをしたと?」


 押し切られて弟子にしたニパンが目を輝かせ、残りの二人は、呆然とテーブルを見ている。


 ただ示す結果が同じでも。


 魔法がその奥義を、事象の支配とするならば。

 剣の技は、事象の掌握をその神髄とする。


(まあ、)


 中級程度の魔法で出来る事を、奥義だの神髄だのを持ち出さなければ出来ないのが、俺なんだが。


 人を斬り、竜を斬り、数多の化け物を斬って。

 

 強さを求め、究極の存在を目指した道で、結局俺が迷ったのは。


―― ありふれた日常に生きる、父と母と弟、そして幼馴染の少女の顔が脳裏を過った。


―― 遠い異国の夕暮れの道を、先を歩く先生の影が揺れた。


(失って初めて解かる、か)


 記憶の風に触られ、鼻がツンとした。


 馬鹿らしい話だ。

 前世を合わせれば、それを継いだ俺の年齢は五十を超える。


 それなのに、この世界を生きて、邂逅かいこうする物事の全てに、初心うぶのように、動揺してしまう。


 結局だ。

 子供ガキじゃなくなるのは、年齢じゃないんだ。

 

「さて、と……」


 切り出した皿を軽くはたく。

 遠く山の端の上に、赤い太陽の姿があった。


「夕飯にするか」


* * *


 本日の夕食は、あまり質の良くない小麦粉で作ったナンに、そこらで摘んだ山菜と香草、そして適当に狩った鳥の肉を焼いて挟んだものだ。


「「いただきます」」

「ますっ」


「まだあるから遠慮せずに食べろ。キトリアまでに、あと一つ山を越えるから、スタミナを付けておけ」

「はいっ、ヨハンさん!」


 元気よく応えたニパンと、頭を縦にコクコクと頷く隻眼隻腕の少女。

 金髪の少年は、強い視線を向けて来る。


 モシャリとナンを齧る。

 味付けは地場の岩塩と、収納魔法に唯一入れていた最高級の胡椒。


 素材の味が引き立つ、野味溢れるうま味が、口の中で踊る。


(ヤパスに感謝だな)


 正体不明の怪人を気取っていた奴。『星屑の塔』の解散後、イノリさんに預けた、俺の仲間だった者達。


―― いや。


 預けたんじゃない。抱えるのが怖くなったんだ。 


(何が『聖霊になる』だ。結局、俺には不相応だったんだよ)


 何もかもが、俺には過ぎたものだったんだ。

 

 パチリ、パチリと焚火が鳴る。


「あの……」


 水の入った木のコップが差し出される。

 残った右の瞳が、心配そうに俺を見ている。


 コップの小さな水面に映った影の差す俺の顔は、まるで亡者のようだった。


「ありがとうアルネ」

「うん」


 顔を上げる。

 心配そうに俺を見る少年と、胡散臭そうに眺める少年。


 ニパンとゾハス。


 彼らに取り繕うように笑って、これからの予定を話す。


「このまま山を越えて、ブーベル湖の近くに在る町、キトリアを目指す。そこで業者と渡りを付けて、国境を越え、この国から出る」 

「……はい」


 ニパンが頷く。

 しかし返ってきた声は重く、強い覚悟の色がその中には見えた。


「気負う必要はないぞ。国境を越えるったって、でっかい山を山岳用のゴーレム に乗って行くだけだ。もちろん正規のルートを使うから、竜共に襲われる心配は無い」


 三方を竜が巣食う、天をく巨大な岩山に。

 残り一方を、巨大海生魔獣の巣食う海への、千メートルを超える断崖絶壁に囲まれた、ガレ王国の地形。


 外と行き来するには、岩山の地下を通る、古代文明の遺跡であるトンネルを使うか、専門の『案内人』を雇い、竜の縄張りを避けながら、岩山を越えるしかない。


 トンネルのルートは、この国の子爵以上の貴族か、王の許可を得た者にしか使えない。


 そして岩山のルートは。


「その正規ルートは、一人一億ガレの出国料が要るだろ。当然、厳しい検問もありでだ。金もそうだが、俺達は貴族に目を付けられているんだぞ?」


 声音を鋭いものにして、ゾハスが俺に食って掛かる。


「一応伝手はある。俺とお前ら含めて、この国を出る程度は大丈夫だ。それに外に出てまでちょっかいを掛けて来るようなら、それこそ遠慮なくぶっ潰すだけだ」

「大きく言うもんだな」


 目を逸らして、ゾハスは俯いた。


「それが法螺ほらじゃない事を願うだけだ」

「……」


 この国を出るしかないのは、こいつも理解してはいるのだ。


 一週間前、スラムで貴族の刺客から襲撃を受けたとき。

 あの後俺は、憔悴したアルネと、傷だらけになったゾハスを、隠れ家に連れて帰った。


 彼らをニパンは、快く迎え入れた。


 アルネは貴族の玩具にされ、廃棄され処分される所を、寸前で運よく逃げ出すことができた。


 ゾハスは、元は神官の家の生まれだったが、両親が政争に敗れて処刑され、スラムに隠れ潜む事で生き延びてきた。


 そんな彼らとニパンが打ち解けるのに、時間は掛からなかった。


 そして結局、二度目の襲撃はあった。


 飼主の首を斬り落とした俺は、それをそいつの政敵の屋敷へと放り込んだ。

 あれから静かなのは、上手く『下手人探し』などやっている暇が無くなったからだろうか。


(ま、来てもまた斬るだけだ)


 雑だし穴だらけの始末だ。

 しかし俺には余裕が無いし、斬る事だけしかできない。

 

―― 矮小な俺が野望に歩む事ができたのは。


 仲間がいたから。

 彼らが支えてくれたから。


(独りは、弱いなあ)


 またパチリと、焚火が鳴った。


「そう言えばヨハンさんは、この国の外から来たんですよね。山岳用の輸送ゴーレムってどんな物でしょうか?」

「初期のは驢馬ろば山羊やぎを模した物だったそうだが、今の最新は、蜘蛛くもみたいな多脚式だ。落石も魔術障壁で弾くし、土砂に埋もれても、無傷で這い出して来る」


「へえ、凄いですね」

「まあ、ここで運用されているのは、数世代前の型だそうだからな。複数の車輪を組み合わせた、頑丈が売りのモデルだろう、多分」

「多分?」


「ああ。俺は見た事が無いからな。正規ルートじゃなくて、密入国だよ」

「え!?」

「不可能だろ、そんなの! 封海の渦と魔獣を越えるのも、竜の巣窟を越えるのも! ある程度強いのは認めるが、そんな病人みたいに少ない魔力で、あの場所を越えられるはずはないんだ!!」


「でも、見つからないようにすれば」

「不可能なんだよ。海の魔獣も竜も、特に感知能力に長けた種類が集められている。互いに争っていても、奴らの領域を通る人類種を、優先的に襲うようになっている……。そうんだよ、あいつらは!!」


 強い、ゾハスの叫び。

 それは、こいつ自身に刻まれた、恐怖を吐き出すかのようだった。


「侵入者が死ぬまで、何十、何百という数で襲って来る。特に固有能力を持つ上位古代種の力は圧倒的だ。万の数を揃える軍隊さえ、瞬殺するんだぞ」

「……」


 ゾハスは顔中から冷や汗を流し、自身の肩を掻き抱いた。

 震え、そしてその怯えが、ニパンとアルネにも伝わる。


「心配するな」


 みんなの目が俺を見る。

 それを今だけは、揺るがないように、受け止める。


「俺は斬る事だけには自信がある。そして、俺はその竜達を斬ってここに来た」


 事実であり、誇るべきものでは無い。

 それはただの八つ当たりだったから。


 そして俺にとってこれは、その程度の話だ。


「ニパン。俺は強いか?」

「はい!!」


 間髪入れずに返って来た、力強い声に苦笑する。


 故郷で、弱い俺の手を、先生は取ってくれた。

 だからここで、俺に剣を教えてくれと言った、こいつの面倒位は見てやろうと、そう思った。


「ゾハス。俺を疑うのは正しい」

「……」


「だから見定めてみろ。俺の強さを、お前の目で」

「ああ。元からそのつもりだ。駄目だと分かったら、お前が死ぬ前に、俺はアルネを連れて逃げる。それだけだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る