襲撃/剣士を目指した者 二
あの時、俺は勘違いをしていた。
俺を救い、導いてくれた、先生のようになれると。
そして、忘れていた。
俺は、自分がどんなに小さい人間かを、嫌というほどに、解かっていたはずだったのに。
欠陥という程に魔力が無かったから、強さへと執着した。
何もなかったから、何よりも上にある、聖霊という光を目指した。
藻掻き、戦う事を繰り返して。
五手乃剣を習得し、
そしてまた戦って、最後には大切なもの達を失って。
抜け殻になって、この場所に流れ着いた。
それを、俺は忘れていた。
だからあんな結末を迎えた。
* * *
「幾らだ?」
「二十一万ガレ」
外の三十倍近い相場の代金を店主に渡し、水と食料を受け取る。
「また値が上がったな。収穫はついこの間だったろ?」
「……」
大柄な店主は品定めするように、俺に向けた視線を這わせた。
影の差す目の奥に、疑念の光が見える。
「お前、外から来たのか? この国はまず、貴族が
店主の剣呑な声に、数年来使っていなかった、前世と故郷では何度も浮かべた、顔の筋肉を動かしただけの笑みを返す。
「吹っ掛けられたと思ったんだよ。隣の町に住んでても、ここじゃ余所者だ。用心するだろ、常識的に、な」
「……そうだな。ああ、そうだ」
顔の皴をさらに深くして、店主は俺から視線を外した。
「お前、嫌な笑いに慣れてるな」
「……」
それには口の端を少し上げるだけで応えた。
* * *
両手に銀貨を押し包んだ店主を後にして、路地の方へと歩く。
隙間なく、古く草臥れた石造りの建物が並び、乾き切った風が、時々、思い出したように吹いて往く。
手入れのされていない石畳の道を歩く者は、まばらにしかいない。
町閑とした町の景色の色彩は、廃屋となる寸前の、古い家屋のようだった。
(
今朝、街に出た時から、俺を付ける気配が二つあった。
俺を探るように付いて来たそいつらは、今は俺を誘導するように動いている。
(……)
それに逆らわずに歩みを進めると、やがて薄暗いスラムの中へと入っていた。
空気は澱み、地面や壁の所々には、死臭がこびり付いている。
建物の残骸が散らばる空地へと着いたとき、上下左右から、四人が剣を向けて、襲い掛かって来た。
「ま、」
空の上からは魔法の迷彩を解除して、地面の下からは魔法で土を貫いて、左右はその彼らから意識を逸らせる為に、強い殺気を放ちながら。
赤い血を撒き散らして、彼らの首が飛んで行った。
それらを斬ったのは、薄く薄く魔力を、活性にさえならない程度に纏わせた、俺の右手の手刀。
「お前ら程度、数がなければ、剣を抜くまでもないんだよ」
四本の魔導剣を掴み、それぞれへと投げる。
手応えは同時、方々の離れた場所で、刺客達の倒れた音が重なった。
(逆に相当の数を揃えられれば、イクリプスが眠っている今、魔力切れで圧殺されるんだがな)
驚愕して気配の揺れた壁の陰へと、地面を蹴って回り込む。
いかにもな黒装束を纏った男は、俺の速さに付いて来れず、右手で頭を掴み上げるまで、全く反応する事ができなかった。
「がっ、このっ、離せっ」
呻きながら手足をバタつかせるが、俺の手から逃げるには、全く力が足りていない。
「おいおい。こっちは魔法を使ってないんだぞ。そんな『渾身の力です』って感じで強化魔法を使って、恥ずかしくないの?」
男は必死に魔力を振り絞り、しかし口から血泡を吐いて、遂には動かなくなった。
「宮仕えってのは大変だよな。バカの命令一つで、溝浚いの真似事をしなきゃならねえんだから」
男を瓦礫の山へと放る。
「今回は見逃してやる。次来たら、今度は俺が斬りに行くって、飼主に伝えとけ」
死体の衝撃で、瓦礫が崩れ落ちるより早く、
―― 偽悪にさえならない八つ当たりだ。
弱者を甚振り敗北を忘れようとする無様を、醜悪だと、
(ああ、本当に。ゴミ溜めに相応しい
無為に佇み、戦いの空気が散る程の時間が過ぎた。
周囲の陰から、集り潜むスラムの住人達の目が覗いている。
屋根の上から、壊れた窓の陰から、物陰の暗がりから、ハイエナのように息を潜めて、獲物である刺客達の死体を狙っている。
「気を付けろよ」
誰も聞きはしないだろう忠告を残して、外へと向かう俺の後ろで、死体を漁る音が鳴り響く。
背後で少しづつ、潮の匂いが強まっていく。
微かに風の流れに逆らう自然魔力の流れ。
静かに、潜むように、異質な呼吸をする魔導機構。
彼らは、それに気付かずに、争いを響かせる。
殴り殴られ、傷付け合い、唸り怒声を上げながら、爆弾を奪い合っている。
飛んで来た塊を避けると、目の前の地面を、俺と同じ年齢の少年が、泥塗れになりながら転がって行った。
「ハァ、ハァ、ハァ」
ボロボロの姿で、荒く呼吸を繰り返す。
血走った目で、
別段珍しいものではない。
どの世界にもいる、底辺で這い
「そこに転がってると死ぬぞ」
濁った瞳が俺を向く。
「あの死体の武器や鎧な、あと一分位で爆発する。この辺りを軒並み吹き飛ばす威力はあるから、今から走ってギリギリだな」
多分だが、タイミング的に、使用者の魔力が切れたら動くようになっていたのだろう。
ただ、お粗末な細工のせいで、すぐにドカンとはならなかったようだ。
「おま、え、は」
「何でそれを言わなかったか、何で止めなかったか、か? そんな事、お前も解かっているだろう?」
あの剣の一振り、あの鎧の一つで、ここの住人を何十人と買う事ができる。
そんなものを目の前に置かれて、こんな場所に住まざるを得ない奴の、誰が我慢できる? 誰が俺の忠告を聞ける?
「お前も、俺にそんな目を向けてる時点で、
「っ!」
「ほら、時間切れだ」
魔力の気配が変わった。
投げ出して逃げる奴はいるが、鈍い奴や子供は、それらに必死で食らい付く。
―― 魔導機構の呼吸が撥ねた。
赤く染まっていく剣や鎧の姿に、流石に誰もが気付き、慌て、放り捨てて逃げ走る。
だが、もう手遅れだ。
錬玉核に入った罅が広がり、終わりがその姿を溢れさせる。
逃げ惑う大人達に弾かれて、少女の一人が、地面へと倒れた。
「アルネ!!」
少年の叫びに、少女は絶望した眼で、『お兄ちゃん』と唇を動かした。
―― そして遂に、錬玉核が爆発した。
眩い程の光に襲われて、間に合わなかった者達が、一瞬の時間の中で、歪んだ絶望の表情を浮かべる。
(希望があるから、絶望がある)
生死を掛けた戦場から、普遍的な日常の中まで。
白く輝く美しい雪原に隠れるクレバスのように、深い奈落は潜んでいる。
そこに善悪は関係なく、時に強弱さえも意味を成さない。
一瞬の暗い浮遊の中で、人の感情の全てを漂白して、終わりへと迎え入れる。
その解放の時こそが、人に与えられる真の救いではないだろうか。
(マジでクソみたいな思考だな。鬱屈が溜まり過ぎてる)
イクリプスを抜剣し、爆炎と爆風が彼女達を呑み込もうとする瞬間に、納剣を終えた。
まるで、鞘鳴りのカチンッと響いた音が散らしたように、炎と風が散っていく。
「お前が、助けてくれたの、か?」
その問いに答えずに、踵を返して歩いて行く。
偽善ですらないこの行いを、言葉にすることに羞恥を覚えたからだ。
ただ、少年が向けた視線の強さはしばらくの間、背中にこびり付いていた。
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