黒翼の十二 一
「『自らの想像なる悪魔を殺せ。世界と向き合い神を見よ』」
「何それ。聖典?」
横から問い掛けて来るオトネと、腕の中から俺を見詰めるパーナ。
「……いや」
ただの思い付きだと言えず、気恥ずかしさから船の外へ視線を向けた。
―― もっとも恐ろしいのは、自分の心が見せる幻であり。
―― 世界は見方一つで変わる。神を見出すように見れば、どんな絶望の中からも希望を手にすることができる。
甲板の下には広大な闇が在り、町の灯火がせり上がるように近付いて来る。
人の大地だ。
「自然魔力が薄い。それにこの風の匂い。ここはガレ王国の辺りか」
「そ。この船は今、そこから独立したオビオン共和国にあるブーベル湖の上空よ。あと少しで、キトリアの町にある港に着水するわ」
「……そうか」
記憶の中に血の臭いが過り、闇を睨む俺の頬に、小さな手が触れた。
腕の中でパーナが、心配そうに俺を見上げている。
「すまん。ちょっとな、昔を思い出してた」
「うん」
労わる様に、彼女の手が俺を撫でる。
蒼い瞳は柔らかな光が揺れ、慟哭を経てなお人に優しくできるパーナを、俺は強い
「何だ?」
刺さる様な視線があり、横を向くと、頬を膨らましたオトネの顔が在った。
「べっつに~~。あの鉄の貞操を持ったヨハンがね~、お姫様を落としたってね~、マジかよ~って感じ」
「どういう意味だ、おい」
翼を不機嫌そうに揺らし、プイッ、と明後日の方を向きやがった。
視線を戻せば、パーナが探る様な目で俺を見ていた。
「……何だよ」
「「……べつに」」
船は高度を下げ続け、空の匂いから大地の匂いへと変わり、風の中に湖の匂いがはっきりと混じるようになった。
「ヨハンも魔月奇糸団に入ったか~。ま、そうなると思ってたけどね。窮屈だったでしょ? 色々と」
「……ああ」
そうだな。
戦いに疲れ、故郷で立ち止まり、町の息吹に見せられた、幸せの景色の蜃気楼。
クソ狼、悪邪、そして勇者と交わらせた刃の音色が、それへの感傷を完全に吹っ飛ばしてくれた。
前はたぶん、いつか故郷に帰るんだと思っていた。
だけど今は、もう帰れない旅なんだと
剣は、戦場に在るべきものなのだ。
「普通の幸せっていうのは、遠いものだな」
「随分ジジ臭い独り言だわね」
「ほっとけ」
「ま、ヨハンもやっとガキを卒業できたってことか。良いんだか悪いんだか」
……。
「ヨハンはもう一度聖霊を目指すの?」
「……」
「声を掛ければみんな手伝うって言ってる。ウチらは強くなったんだ。青騎士と星の聖女がまた邪魔しても、今度こそ……」
……。
「ヨハン?」
「すまん」
少し腕に力が入ってしまった。
俺を見上げるパーナと視線が交わり、過去を追うように、今は遠くなった空を見上げた。
「俺の魔剣であり、祭器であった【
「……でも」
「今の俺は黒翼だ。これも先生から継いだ大切な役目の一つだ」
あの日、全てを失って故郷に流れ着き、折れた
風も雨も斬れず、雨雲に届かなかった一振りは、確かに人間の剣だった。
「剣士としての最強を目指す。魔剣皇帝を砕き創世神を復活させる。黒翼としてな」
そうして異名を持たない【ヨハン・パノス】は立ち上がり、【最強無敵】として歩みを始めた。
そして、過去に抱いた俺自身の望みであり、人間には決して触れることができず、人間を超えてこそ手を伸ばすことができるもの。
「その先で、今度こそ、聖霊の力を手に入れる」
バサリと翼が風を打った。
オトネは何も言わなかった。
「……」
パーナも静かに、俺の腕の中にある。
船が着水し、大きな水飛沫が上がる。
空を覆うように噴き上がったそれは、しかし強い魔力の波動を受けて、霧のように散っていった。
「言うねえ、若いの」
コツン、コツンと杖が甲板を打つ音が近付いて来る。
その魔力の波動は嵐の凪いだ蒼穹のようであり、そして内にはキニュキュラやオルゴトンを凌駕する力の気配を感じた。
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