黒翼の十二 二

 オビオン共和国は一年前にガレ王国の東に生まれた、人口八十七万人の小さな国だ。


 ブーベル湖が国土の十分の三を占めており、その湖岸に主要な町の殆どがあった。


 独立戦争の中で町の半数は消えてしまったが、幸いな事に、首都ブーベルを含めた七つの町は大きな損害を受けず、終戦の日を迎える事ができた。


「結構人が歩いているな……」


 魔導車リムジンの窓の外に見えるキトリアの景色。

 連なる街灯の下を多くの観光客が歩いており、街道沿いに出された飲食店や屋台は、それぞれが活気に満ちている。


「ふむ。ヨハンは前に来た事があるのか?」

「ああ。丁度ここが戦争でごたついている時にな。他に比べればキトリアはマシだったが、それでも町中に血の臭いがあったよ」


 向き合った座席、の背凭れに座る白い烏へと答える。

 頷きながら優雅に嘴でケーキを食べる様は、とてもコミカルに映る。

 もしこの姿をぬいぐるみにして売り出せば、結構な数を捌く事ができるかもしれない。


(その辺り、後で交渉してみるか)


 テーブルに出された玄米茶を飲む。

 喉を通り、腹の奥に入る度に、優しく滋養に満ちた味が、身体中に染み込んでいくようだった。


「美味い。いや本当に美味い。茶自体もそうだが、それを淹れた手並みが、また際立っている」


 烏の横に座った学生服の少女が、ペコリと頭を下げた。


「そうであろう。ケルラナの茶の腕前は我も認める所だ。生まれ出でてより永き時、数多の土地を巡ったが、ケルラナ程の才は見た事が無い」

「へえ」


 感嘆の声を向ける俺達に、ケルラナは「ハハハ……、ありがとう、ございます」と言い、紅く染まった頬を右の人差し指で掻いた。


「我が友たるケルラナこそ、この世で茶を極める為に、生まれるべくして生まれた者だ!! カーハッハッハッ!!」

「いえ、違いますよ?」


 小さく呟かれた抗議の声は、烏の哄笑の中に消えていった。


「でも本当に美味しいです」


 俺の横のパーナが「ほうっ」と息を吐き、紅茶のカップから唇を放した。

 幸せそうな可愛らしい微笑みは、しかし濡れた唇が妖しい程に艶めかしい。


「良かったら今度、淹れ方を教えていただけないでしょうか?」

「はい。あの、私なんかでよろしければ……」


 二人の美少女が微笑み合う、実に尊い光景が現れる。


 それを眼福と頷くと、向かいのオトネのジト目と目が合った。

 

―― コホン。


 * * *


 魔導車リムジンはキトリアの町を走り抜け、やがて湖岸に建つ、大きな館の中へと入って行った。


「さて戦いで疲れておろう。ここでゆっくりと休みたまえ」


 数寄屋造りの館の中、趣深い木の回廊の上を、着物姿のメイドに先導されながら進んで行く。


 外には月明りの下に広大な庭園の姿が浮かび、所々に置かれた石灯籠の灯火が、夜の陰を柔らかく照らしている。


 離れた場所には他の客達の姿も見え、思い思いに、この夜の庭園の美しさを楽しんでいた。


「……」


 目の前をパタパタと飛ぶ白い烏が、その実、この国を片手間に滅ぼす事ができる怪物だと、誰が思うだろうか。


 魔月奇糸団第十二席、【魔幻のペンレター】。

 禁忌の地として知られる『竜嵐山脈浮遊島』の主にして、魔獣の究極たる『劫亢こうこうの座』に至りし存在。


 魔力はボンノウを上回るものが感じられ、纏う潮の匂いは澄んでいるが、そこには果てしない深みを嗅ぎ取る事ができる。


(もし俺がペンレターと戦えば)


「まあ我が百回中、九十九回は勝つであろうな」

「声に出していたか?」

「いや。そんな気配を出しておった」


 ……。


「俺に一回の勝算があると?」

「逃げも勝ちであろう」


 ペンレターの言葉に肩を竦める。

 そもそも、逃げられる気さえしないのだ。

 

「過分だな。その評価は」

「今はな。精進してを取れるようになるがいい。我が同胞たるとはそいういう事だ。それに我程度に臆すようでは、聖霊に至るなど、まさに夢物語の話よ」

「……そうだな」

「うむうむ。努めるがよい」


 白い烏の紅い瞳が俺を向く。


「何せ魔剣皇帝ゼバ・ベクスーラは。この我よりも強いのだからな」

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