黒翼と光の勇者 一
~ ヨハン・パノス ~
導きの賢者の口は閉じ、しかし箱の中の歯車は回り続ける。
古いレコードに聞こえるような
そして、それに混じり合いながら、遠い時代の誰かの声が、遺された言葉を語り出した。
『……、汝に有りし……を聖霊は語らぬ。しかし我ら……、受け継いだ……歴史の残滓が、汝の異質なる……示すものを残して……』
『『……能』』
『それは人に……た奇跡なり。それは人が至りし夢が……欠片なり。それは人が……を……した……』
『
* * *
クシャ帝国は西南大陸の大半を制しており、魔導を取り入れた各産業の先進性は群を抜いている。
また、人口は十億を数え、その殆どは肉体的に
巨大な経済に支えられた獣人の軍は非常に強大であり、クシャ帝国が国際社会に持つ影響力は絶大の一言に尽きる。
そして今、そのクシャ帝国の皇帝にして光の勇者たる【金獅子 オルゴトン・クシャ】がたった一人で、俺の目の前に立っている。
覇気を漲らせ、射貫く様な視線を放ちながら。
「それで皇帝陛下。要件は何でしょうかね?」
オルゴトンの剣技は天下無双と響き、魔法は唯一無二と呼ばれるものを持っている。
属性適正は『光』と噂されるが、実の所その真偽は不明。
しかし死を超越させる力を持つという『霊帝魔法』は、多くの武勇伝にその活躍が描かれている。
曰く、古代の賢者を呼び寄せ、その知識を語らせた。
曰く、古代の英雄の力をその身に宿らせ、超常の力を顕わした。
それを総合すると、シャーマンが使う力の様な効果があり、それは今の戦いからして間違いの無いものであった。
―― まさしく、神話の中に値する戦士。
だから折角青燐を鞘に納めたのに、無駄になりそうで困る。
柄に触れる左手は小さく震え、どうにも離せそうにない。
オルゴトンがその笑みに呆れを含ませた。
「くくく、聞いてはいたがな。成程、それが貴様の……。魔月の者は、つくづく文明社会とは相容れぬ
「……」
呟いた積りだろうが、野太い声はよく聞こえるのだ。
「しかし野放しにするには影響が大き過ぎる、か。ならばやはり」
赤い眼が鋭さを増した。
「【最強無敵】よ、我が軍門に下り配下となれ。銀雷を斬った貴様の価値は、百万の軍に値する」
オルゴトンの口から出たのは、余りにも意外な言葉だった。
俺は完全に虚を突かれ、手の震えも止まってしまった。
「正気か?」
「無論だ」
オルゴトンが蔵庫から出したメダルを放り、それを受け止める。
右の掌に収まったそれの表には、『太陽を背にして
それはクシャ帝国の象徴であり、金の色彩を持つこれは。
「帝室近衛隊の騎士証……」
細かな傷が付き、くすんだ表面の様子から、長い年月を使い込まれた物であると解かる。
そして裏には【銀豪剣 ダンプソン・ゴーバーン】の名が在った。
「どういうつもりだ」
「我が
「……」
「堕ちた月の黒翼。何よりあの『
「だが、その力を魔月の為ではなく、人の世の為に振るうと言うならば。我は意義有るものとして受け入れよう」
強く重い、覇者の声。
「そう言えば……」
かつての旅を思い出す。
熱い日差しの中、帝国で見た幾つもの神殿。
「光の勇者様は神殿の教義に熱心だが、」
そしてそれら神殿を包み込む、産業軍事に纏わる建造物に形作られた、威容を誇る巨大な都市。
「それ以上に現実をよく見ているという話だったな」
白銀の消えた姿に尋ねる。
「ダンプソンはそこにいるのか?」
「いや」
首が横に振られた。
「今の死合いに『満足した』と言い、既に彼岸へと旅立った」
「そうか……」
オルゴトンの様子は何も変わらなかったが、微かに寂しげな気配を感じた。
「ありがとう。お陰で本当の意味で、ダンプソンと剣を交えることができた」
「よい。
下げた頭を戻し、そして改めてオルゴトンと向き合う。
伝える。
「誘い、感謝する。しかし俺が、俺の剣が歩む道はここにある。パーナの願い、父の願い、そして師の願いはこの先に在り、その果てに至るまで、俺が曲がることは無い」
「そうか」
オルゴトンの顔から笑みが消えた。
「ならば我は貴様を斬らねばならん。皇帝として、何より光の勇者として」
太刀が抜かれ、盾が構えられる。
それらは人の世に
龍玉鋼から鍛えられし黄金の精霊刀。
史上最高の刀匠である【雲水自然】が作。
銘、【黄龍天】。
クシャ帝国の至宝にして、帝位継承の証たる黒き
銘、【エターナル・エンパイア】。
青燐を抜かない俺を睨み、一瞬で間合いを詰め、黄龍天を首の横へと振るった。
「貴様、何故剣を抜かなかった」
「けじめとする為だ」
その主君の想いを無為にした事。
そして今までの、昔に囚われ過ぎていた俺への決別。
「今日は本当に色々あった。自分というものが難儀なものだと、改めて思い知った」
黄金の刃は確かに俺の首を斬ろうとした。
だが斬撃の威力は技が喰らい、精霊刀の力は俺の『世界』の魔力が打ち消した。
チクリと感じる少しの痛みは、それを上回ったオルゴトンの技量の証。
「俺自身の無様を知って、じゃあ俺にできるというのは、それに少し気を付けるだけだ。長いようで短い人の命」
俺には長命種のような寿命は無い。
前世と同じ人間で、だからこそ人の世の生き辛さという奴は、本当に骨身に染みている。
「せこせこしながら渡れるような、簡単なものじゃないってな。ならば気にせず、一気に駆け抜けてやる」
それが俺の、この場での決意。
聖女に老兵、悪邪に英雄。
彼らと向き合って、それでやっと答えを出す俺の、何というコスパの悪さ。
口角を上げる。
オルゴトンが跳躍して間合いを広げた。
「化物が人間みたいな事を言う」
「俺は人間だ。今までも、そしてこれから先もな」
刺し貫くような赤い視線が、俺の視線と交わる。
「貴様のその左手」
柄に触れるだけだった俺の左手は、震えながら、今はしっかりと握り締めている。
「まるでエサを前にした竜のようだぞ」
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