因縁 一
ただ一瞬。
夜を迎える天空の景色が変わった。
天翔ける豪華客船クイーン・キャロライン号の甲板は消え、周囲に置かれた無数の
俺以外に人の気配は無く、膨大な数の座る者のいない客席が、四方を覆うように閉ざしている。
そして、この空間を見下ろす高みへと聳える、炎の姿を彫り込まれた太く巨大な柱の上に、俺の視線は吸い寄せられた。
背中に生やした四翼、神話の武器を持つ四腕、そして鎧を纏う鍛え上げられた体躯を表した石像。
生まれ故郷では飽きる程に見たモチーフ。
この世界を司る八聖霊の一柱。
火と戦の聖霊【バルケン】。
脳裏に浮かんだ、ただ一度だけ足を踏み入れた場所の過去の光景が、今に重なる。
「スス同盟国首都ペシエ、火の大神殿」
―― 俺の運命が分かたれた場所。
「決闘祭儀場」
カシャンと、鎧の鳴る音が聞こえた。
篝火の灯りの奥から、それはゆっくりと近づいて来る。
一つ、また一つと歩みが重なり距離が縮まる度に。
吹き付ける嵐のような気配は強まり、凄まじい闘気の圧が俺へと襲って来る。
敵意は無い。
殺気は無い。
しかし、剣を構えずにはいられない。
「お前か、ここに俺を連れて来たのは?」
黄色い全身鎧を纏った存在が、その兜を縦に揺らした。
―― 肯定。
右腕が上がり、伸ばされた人差し指が、俺の横に浮くパーナの戦闘ゴーレムを指した。
『治療しろ。それまでは待つ』
腕を下げて悠揚と立ち、背中に背負った大剣を抜くでもなく、ただ俺の行動を待っている。
「頼む」
白い球状の機体から霧状になった外用ポーションが噴き付けられ、伸びてきた管の先の針が左腕に刺さり、複数の薬液が身体の中に送られて来る。
『ピピッ』
十数秒が経ち、ゴーレムの
「……」
外傷と身体の中の不調が消えた。
悪邪の魔力は魔法を阻害するので、以前の戦いでは治療に難儀したが。
「ありがとう」
『ピ』
ゴーレムに礼を言い、全身鎧へと再び青燐を向ける。
「さて、お前は何者だ?」
この状況で俺とパーナを分断した以上、敵であると見ていいだろう。
あの悪邪のように、カラオン一派に与していると考えるべきだが、それを迷う程にこの男は異質だった。
カラオン一派が狙うのは、古代文明の力を手にしたパーナの方だ。
しかし彼の視線に感じる執着は、俺の方へと向いている。
そこに込められる熱は、ただの障害物に向けるものにしては、余りにも過ぎた熱さを感じるものだ。
『……』
俺の問いに答えは無く。
男は背より抜いた大剣を両手へと握った。
(その剣は……)
男の全身より瞬時に魔力洸が噴き上がった。
それは淀みなく力強く、
振り被られた聖銀の大剣は、その切先を俺の方へと傾けた、特徴的な上段へと据えられる。
―― クシャ式戦剣術・
「……」
青燐を振り被り、俺もまた上段の構えを取る。
呼吸を自然のものとし、血肉の脈動を最善のものへと整える。
守りを捨て、奇道を見ず、真っ向の攻めへと意識を向ける。
『ククッ、良いのか、それで?』
男が笑う。
馬鹿にするように、或いは楽しむように。
大英雄【銀豪剣 ダンプソン・ゴーバーン】が誇る無双の怪力を知らぬ者はいない。
ましてや俺はその彼と剣を打ち合わせ、血肉にその刃を受けたのだ。
魂には、その圧倒的な強さを刻み込まれている。
嵐に人が立ち向かうことは、勇気とは言わぬ、ただの愚かさだ。
紺碧を手にしても、俺が白銀の嵐の前に立つ人であることには変わらない。
それでも。
「否は無い」
この手に握るのは黒鋼の剣ではなく、青燐なのだから。
『クハッ、最高だ!!』
男が踏み込み、同時に初めて潮の匂いを嗅いだ。
その全てが
紺碧の剣閃と白銀の剣閃が混じった。
光と共に過ぎる時間の中で、紺碧と白銀は心音二つの間だけ拮抗した。
そして白銀が紺碧を押えるように、僅かにその切先を下げた。
―― 『上段一剛像斬りの構え』は二つの剣を備えている。
上段より振り下ろす第一の剣『人斬り』は、踏み込み、そして特に腰の力を利用した剛の剣だ。
相手の攻防ごと叩き斬る凄まじい一撃だが、しかし真に必殺となるのは、続く二の剣こそである。
男の上半身が沈み、白銀の切先が俺の眉間を捉えた。
―― 第二の剣・象斬り。
それは確殺の間合いより放たれる、速さを極めた突きの一撃。
『人斬り』に剣を取られ、または抑えられた相手に守りは無く、剥き出しとなった身体へと、『象斬り』の突きは打ち込まれる。
歴史には、堅牢を誇った第十二魔王の将軍でさえ、この突きによって葬られたと記されている。
―― 成程、潮の匂いさえ置き去りにしたこの一撃に、貫けぬものなど無いだろう。
あの剣闘大会決勝の日。
ダンプソンは『上段一剛像斬りの構え』を使った。
しかし俺は奇道の剣で以て、真っ向からの打ち合いを避けて行った。
試合の結果こそ勝ったが、【ヨハン・パノス】は剣の勝負において、尻尾を撒いて逃げたのだ。
聖銀の大剣に対するには、剣が悪かった。
正面から打ち合うには、それに向き合うべき心が疲れ切っていた。
言い訳は幾らでもあり、その全てが先生から継いだ『五手乃剣』への侮辱であった。
古き月の王の血を引くローナ一族に伝えられた『五手乃剣』は、守護の技であると同時に、献身の修行となるものでもある。
それはつまり、保身こそはまず捨てるべきものであり。
その先にしかこの剣技の先を見ることはできない。
目の前には白銀の切先があり、それがボンノウの刀の白の切先と重なった。
「ハハッ」
笑った。
今ここに、絶望は無かったから。
船で出会った老兵の言葉が、脳裏に蘇る。
『ならば剣に聞くと良いでしょう。これ程に良き剣ならば、あなたを支え』
水の聖女より貰った魔導剣【青燐】はこの手に、砕けずに、有る。
『きっと道を見付ける手助けをしてくれます』
―― 剣技連続・
紙一重先に聖銀の大剣の切先は迫るが。
――
力を喰われた大剣の切先が鈍る。
――
青燐の抑え込まれている力を解き、羽毛のように大剣から解放された青燐と共に、空へと舞うように
『!?』
剣撃の力の殆どを失った『象斬り』の技の終わり。
死に体となった男へと、青燐を打ち下ろす。
男は辛うじて大剣を青燐の剣筋に回り込ませたが。
――
音は鳴らなかった。
大剣の剣身が半ばより分かたれて、地面へと落ちた。
心眼の極みたるこの技は、物理魔導において、絶ち斬れる道を見出すことができる。
それが至高の一つと言われる聖銀であろうとも、だ。
青燐を中段に構えた俺に、男は左手で兜を押えて後ろへと下がった。
『数多の強者を葬り、あらゆる魔法を破り、幾つもの名剣に打ち勝ってきた、この銀雷を斬った、か……』
それは忘我の中で呟かれた言葉のようにも、
『貴様、名は?』
大剣を蔵庫に納め、無手となった男は、鋭さを増した視線と共に、そのような問いを放ってきた。
魔力の白銀は輝きを減じていくが、それに反するように、男の纏う覇気は増していく。
(あの時はダンプソンから名乗ってくれたな……)
押している
(あの器量の大きさは、俺の生涯において尊敬すべきものだ)
今この場で、聖銀の大剣に、白銀の魔力の輝きに。
カチン、と青燐を鞘に納める。
「俺の名は【最強無敵 ヨハン・パノス】。魔月戴く黒翼に名を連ねし、【
『……』
それを聞き、呆然としたように固まった男は、次の瞬間に爆発した。
『クク、アーハッハッハッハ!!』
身体中を震わせ響き渡る、爆音の哄笑。
『まさかまさかだ! 黒翼、魔月の黒翼か!! いや、納得だ! 人の世に貴様の剣の場所など在りはしないだろう!
酷い馬鹿笑いで、また失礼なことを言ってくれる。
白銀と聖銀に敬意を払い、ぎりぎりの内容を込めてした名乗りに対する返しがこれか。
(もし俺がクソ狼なら、超級魔法の十発は撃ち込んでいるな)
そもそもクソ狼を引き合いに出すまでも無く、普通に無礼だぞ、これ。
今斬ってやろうとは思わないが、腹立たされた報いは何かをくれてやりたい。
その俺の勘気を察したか、まだ身体を笑気に震わせながらも、男はこちらへと向き直る。
『クク、許せ。あいつも馬鹿正直だったが、成程、気に入る訳だ。まあだからこそ、エリゼに付け込まれたのだろうがな』
「……」
―― 正直不意を突かれた。
『顔つきが変わったな。では我も名乗ろうか』
両手が開かれ、左右に割れた兜が落ちる。
篝火の明かりの中に、なお眩い黄金の髪が広がる。
獅子を思わせる顔に輝くのは、濃い赤の瞳。
「我の名は【金獅子 オルゴトン・クシャ】。光の勇者にして、西南大陸にて覇を唱えるクシャ帝国を統べる者だ。見知り置け神の走狗よ」
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