VS悪邪 二
~ パフェラナ・コンクラート・ベルパスパ ~
私は超級魔法である氷の結界を展開し、その中から【最強無敵 ヨハン・パノス】と【虚栄に連なる首切り鎌 キニュキュラ】の戦いを見守る。
此処より上の構造物は消し飛び、簀巻きにした者達は戦いの前に、床の中に沈み込んで行った。
それは間違いなく、この船の関係者の仕業だろう。
脳裏に魔女の笑みが浮かんだが、実行したのは、この船に規格外の強化魔法を掛けた存在だ。
(恐らくは黒翼)
ゲルトとバルコフさん以外の、私の知らない魔月奇糸団の最高幹部の一人。
(彼女達程の力を持つ者が十三人もいれば、確かに、手を出そうという国や組織はいなくなるよね)
裏の世界の闇に生きる者達でさえ存在を知る者は少なく、知る力を持つ者は手を出す事を恐れ戒めると聞く。
――そして。
「ツアッ!」
黄昏の茜色の光を、一瞬だけ走った風が紺碧へと塗り替えた。
「綺麗……」
斜陽の光がすぐに戻り、夜を迎える風が吹く中で、紺碧を灯すヨハンの青燐が、遂に強大な悪邪の巨体を斬り伏せた。
ヨハンの革鎧と衣服は焦げ崩れ、上半身を覆う物は無くなっている。
満身創痍の身体はしかし、鋭く強大な覇気を滾らせて、その剣を悪邪だった肉塊へと油断無く構えている。
(本当に、ヨハンは凄いね)
ヨハンの魔力量は『魂彩の魔力洸』に目覚めてさえ、一般的な兵士を超えるものでは無かった。
しかも『五手乃剣』の秘奥に青燐の『多層血陣錬玉核』を用いてさえも、大級魔法を使えるまでしかその生体魔力を増やす事ができない。
直接自然魔力を使う事で威力の底上げはできるが、自然魔力は緻密な構造形成と制御を要求される、上級以上の魔法を使うのに適してはいない。
上級魔法を操る者が稀では無くなり、高出力の魔導武器や魔導兵器が戦場に溢れるようになった現代。
私達の常識で測るのならば、ヨハンは決して強者と呼ばれる者ではなかった。
――だけれども。
世に広く名を知られる者、国の英雄、或いは勇者の称号を持つ者達の中で、あの
かつて
その邪竜は三つの貴族領と一つの公国、一つの山脈を荒野に変え、四十万の諸国連合、そして私達と死闘を繰り広げた。
数多将兵が屍山血河へと果て、水の勇者の
――その邪竜ベヌ・ゲラニハでさえ、悪邪キニュキュラに比べれば遥かに見劣りしてしまう。
しかしヨハンはただ一人、ただ一本の魔導剣でその最悪の悪邪を断ち斬った。
これはまさに絶大なる偉業。
勇者の名を持たない事に、誰もが首を傾げる程の。
だが、かつて『魔法無し』と呼ばれたヨハンを望んだ者は、国を治める者達の中にはいなかった。
いや、今でもヨハンの魔力の少なさに、彼をまともに評価できない者はいるだろう。
――嘆かわしい事に、それは王侯貴族の中にこそ多い。
彼らの出自を辿れば、山賊や海賊に行き着く事もあるが、総じて言えるのは、『当時最も武力を持っていた』という事である。
血に力を求めた事は、やがて血統主義となり、狂った優生思想へと変わっていった。
個人が持つ魔力量の絶対視もその一つであり、往々にして平民階級との衝突の原因ともなっている。
『貴族の血は絶対不可侵のものである。それは人類を守る力であるからだ』
だから平民は貴族に尽くせ、と言う馬鹿は珍しくもない。
流れは生まれている。
しかしまだまだ、ヨハンのような存在を受け入れる場所は少ないというのが現実だ。
(大丈夫のようだけど……)
戦いの中で、一瞬だけ見えた陰の気配が心配になる。
ヨハンはその力に比べ、心の在り様が余りにも普通に過ぎるのだ。
この歪みが酷くなれば、やがては本人の心を殺してしまう。
実際にヨハンの話を聞く限り、ペシエでの普通の日常には、とても苦労していたようだった。
(それに、まだエリゼ・ダーン達がヨハンの心に付けた傷は残っている。私は、それをいつか癒してあげたい。無謀な戦いに巻き込んだ者として、)
――絶望の中で立ち上がった、あなたに惹かれた者として。
そう想いを確かにする。
ふと悪邪の肉塊の中から覗く、私に向けられた狂気の視線に気付いた。
(そっか、あなただったんだ……)
脳裏に浮かぶのはローブを纏った黒髪黒目の少女の姿。
仇敵の一人である錬金術師。
(「ヨハン」)
(「……分かった。見届けてやる」)
(「うん、ありがとう」)
蔵庫から球体型の戦闘ゴーレムを出し、機巧魔導杖【蒼牙】を右手に握る。
氷の結界を解いた時、茜色の冷たい風に私の髪が流れた。
荒ぶるそれを、私は左手でゆっくりと抑えた。
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