VS悪邪 一

~ …… ~


「何、これ?」


 ケルラナには一瞬、それが何か解らなかった。

 身体の芯から震えるような気持ち悪さを感じ、治療魔法を自分へと使い、気付く。


(魔力の、波動?)


 避難用の防御結界を通してケルラナが感じた魔力は、その強大さも然る事ながら、人間、いや生物が放ったとは考えられない程に濁り狂った、悍ましいものだった。


「ほう」

「ペンレター様?」


 ケルラナの魔導杖の上に止まる、ペンレターが感嘆の声を漏らした。

 見た目は感情豊かな白い烏であるが、ケルラナは人間とは別次元の力を持つその本性を知っている。


「賊は中々の上物を掴んだようだな。油断していたとはいえ、この我をして、こやつが一撃を放つまで気付けなかった」

「え……」


 だからこそ、ペンレターの言葉を聞いたケルラナの顔から、一気に血の気が引いて行った。


「ペ、ペンレター様でも気付けないって何なんですか!? そんなの、私死んじゃいますよ!!」


 慌てふためくケルラナの頬を白い翼がバシバシと叩く。


「落ち着け」

「で、でも。あああ、こんな事なら火山亭の六角黒水牛の厚切りステーキ食べとくんだった……」


 ケルラナは辛うじて崩れ落ちる事はしなかったが、暗く澱んだ表情は死期を悟った者のそれだった。


「これがそういう類に特化しているだけだ。ここに集まった者共を守る事など我には造作も無い故、そう落ち込むでないぞ」

「そ、そうですか……。もしかして、戦闘能力は大した事無かったりします?」


「ケルラナ、お前が一万人束になって掛かっても、手も足も出ない程にはな」 

「何でそこで私が貶されるんですか? 一応これでも連邦じゃ最年少で……」


「別にそう言う意図ではない。そもそもあれを人に任せるのは酷に過ぎると言う話だ」


 ペンレターが翼をバサリッと羽ばたかせた。それが生み出した風に乗り、墨色の魔力洸が船の中へと走って行く。


 一瞬の事であり、ケルラナ以外にそれを見た者はいなかった。


「この船の強度を強化した。例え超級魔法の直撃を受けても、此処に居る者達が死ぬことは無い」

「おお~」


 ぽんぽんとケルラナが手を打ち合わせているのは、拍手のつもりらしい。


「ま、それ以上が来たら終わるがな」

「オーマイゴット」


 クククッと烏は笑い、少女は手を合わせて天に祈った。


 * * *


~ ヨハン・パノス ~


 前世の世界には悪魔という架空の存在があった。


 非道な人物を『悪魔のような人』と言うように、それは正の存在ではなかったが、しかし決して邪なる存在というものではなかった。


 悪魔の要素に契約を必ず守るというものがあるが、それを考えるならば、悪魔とは、人間の負の側面を映した鏡のような存在だという事もできる。


 困窮する人を助け、或いは英雄の偉業を助ける物語もあり、決して人類の敵と断じらるだけではない側面もあった。


 対して。


 悪邪とは、まごうことなき人類全ての敵である。

 

 人の苦痛と絶望を愉しみ、その死を絶対の快楽として本能に刻み込まれている。


 時に人に対して友好を装う事があるが、その存在原理は決して歪むことは無く、常に最悪の結末をその腕に抱いた者に与えている。


 何故ならば……。


「【虚栄】をその名に持つか。成程、お前を呼び出した女は、余程の外道だと見える」


 主の名を持つ悪邪の召喚など、どれ程の犠牲を積み上げた末になされたのか、考えたくもない。


 前に戦った悪邪の召喚主達は、大人数の生贄を用意するために、町の水源に猛毒を投げ入れたり、山津波を起こして多くの山村をその中に沈めたりした。

 

『もーぷんぷんだよ! お姉ちゃんはとっても優しいんだよ。水の聖女ちゃんを物凄く心配してて、今も涙を流しているんだよ』


 幼さの残る少女の貌が、年相応に豊かな感情を次々と浮かべていく。

 その巨体に生えた翼もぱたぱたと動き、悍ましい異形の姿ながら、コミカルな雰囲気が漂っている。


 もしコレが人の感性に許容できる姿をしていたらば、『話し合おう』と言う者もいただろう。


―― だが。


『ねえー、お姉ちゃん?』


 パカリと蛇のように大きく開いた口腔。

 その中に、まるでウオノエのように収まった何かがあった。


 手足は無く、首からの下の皮膚は焼け爛れている。唯一その原型を残す顔は、抉り取られた眼球の代わりに、色取り取りの宝石が詰め込まれ、口からは壊れた歯車のような、か細い軋り声が漏れ続けていた。


『ァ、ァ~』

『もうっお姉ちゃん! お兄ちゃんにきちんと挨拶しなくちゃ、メッ、だよ!』

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 キニュキュラの口腔の中でどす黒い炎が燃え盛る。それに焼かれた女だったモノは、凄まじい絶叫を、その口から血と共に迸らせた。


『うんうん。良くできました! キャハハハ♪』


 悪邪は楽しそうに、それはもうこれ以上は無い程の愉悦に満ちた笑い声を上げる。


「悪邪を使った者の末路としては、非常に穏当な方だな。召喚主お姉ちゃんの技量の高さが実に良く分かる」


 左足を前に出す。

 青燐の鍔元を右手で握り、正中、胸元の位置で逆手に構える。


「使い所を間違えない頭さえあれば、こんな最後を遂げる事は無かっただろう。その苦痛を情けとして、今楽にしてやる」

『え? お兄ちゃん、もしかしてボクに勝つつもりなの!?』


 キニュキュラの口では召喚主を焼く炎が燃え続けており、絶えることの無い叫びがその中から響き続けている。

 それでも悪邪の声は明瞭に聞こえ、本当にどこから声を出しているのやらと思う。

 しかしまあ、こいつ等は出鱈目な存在なので、実は身体中に発声器官があったとしても、別に驚くような話では無いのだが。


「いい加減、こちらの世界への執着を絶ってもらいたい。駆除する身としては、精神的に疲れるんだよ、お前らは。主である大王様だかスーパープレジデントだかに、『迷惑だ。永遠に引き籠ってろ』と伝えておけ」

『カッチーン! 弱い人間が真皇女帝様達に何てことを言うんだ! 許せない、いや、絶対に許さないよ!!』


 キニュキュラの目が激しい怒りの火を宿し、その翼が虚空を抉る様に大きくはためき続ける。


「聖女ちゃんを捕獲しろってお願いだったけど、うん、まずはお前を殺してやる!!」


 荒ぶる怒声のままに、蟷螂の両手の大鎌が広げられた。

 

「だろうな」


 まともな戦い方をしないのは理解している。

 正面のキニュキュラには確かに潮の匂いがある。

 しかし、それよりも遥かに強い潮の匂いが、俺の後へと凄まじい速度で回り込んでいるのだ


 左足を蹴って跳躍。

 パーナにそれが届く前に、逆手に持った青燐の切先を後ろへと突き出す。

 剣には掛け値なしの魔力を注ぎ込み、極限まで増幅された紺碧の波動が、不可視の何かを貫いて行った。


『よくもやったな!』


 キニュキュラの巨体が迫り、その両手の大鎌が振り下ろされる。


 右の大鎌の腹を青燐の柄頭で打ち付け、その反動も使いながら、左の大鎌を剣の切先で貫いて斬り飛ばす。


 しかし砕け散る破片の向こう、すぐに鎌を再生させたキニュキュラの巨体は、一瞬にして風景の中に消えて見えなくなった。


(これがこいつの能力か)


 パーナを背後に庇い青燐を構えるが、見えるものは無く、聞こえるものは無く、臭うものも無い。


 吹き荒ぶ空の風の動きに変化は無く、悪邪の放つ魔力さえ、完全にこの場から消え失せてしまっている。


(だが、)


 潮の匂いが、高速で動く悪邪の位置を教えてくれる。


 ズドンッ!!


 振り上げた青燐が不可視の鎌を払い、続く別の鎌を振り下ろした剣身で弾き飛ばした。


 船上を縦横無尽に駆ける剣と鎌の刃が神速の攻防を奏でる。

 茜色の風が流れる虚空に衝撃波の花が咲き乱れる。


 剣戟は数秒で万を超え、斬り飛ばした鎌の数もすぐに百を超えた。


(鎌よりも俺の剣の方が速い。刃の威力も僅かに俺が上回る。しかし魔力は圧倒的に……)


 キニュキュラの口から放たれた黒い劫火のブレスへ、剣技・揺鐘で喰った十万回以上の剣戟の力、その全てを込めた右踵回し蹴りを叩き込む。


(こいつが上!!)


 蹴り割ったブレスの炎、その陰から襲い来る尾の形をした潮の匂い。

 右足を踏み込みへと変えて床を打ち、振り下ろした青燐で迎え撃つ。

 

『っ!』

 

 刃が捉えた重過ぎる手応えと、風の中に見えたキニュキュラの動揺。

 超級魔法並みの灼熱の残火が俺の身体を焦がし、強い痛みを覚えるが、構わずにその先の悪邪へと突き進む。

 

 激しさを増した鎌の連撃を流し払い斬り捨てた時、潮の匂いを纏った無数の何かを感じ、突撃の勢いをそのまま後ろへの跳躍へと変えた。


 その俺の目の前を、床を跳ねた何かの火花が、幾つも幾つも瞬いて行く。


『……もういい』 

 

 離れた場所の景色が流れ消え、そこに再び悪邪キニュキュラが姿を現わした。

 

『もういい、もういいよ。何でこんな虫けらに、ボクが面倒な思いをしなくちゃならないんだよ!』

「そんなに不快なら棲み処の穴倉へ帰れよ」


『しかも虫けらがボクに生意気な口を利く! ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく!!』

 

 キニュキュラの瞳孔が細まり、その顎門が開く。

 炎の中でもがき苦しむ召喚主が、その断末魔の声を繰り、何かを話始めた。

 

 いや。


(魔法の詠唱!!)


 キニュキュラから噴き上がった莫大などす黒い魔力に、暗く重い潮の匂いが、逆巻く渦のように走った。


―― 悪邪の使う魔法は絶大だ。


 そもそも悪邪とは、こことは別の世界に満ちていた力が、主たる【十三人の奴隷】によって個を持ち、それが分かたれて生まれた存在である。


 一つの個が持ち得る力のスケールは、定命の生物とは、余りにも桁が違う。


 下級の悪邪でさえも、その本来の姿においては、最低でも惑星一つ分に相当するエネルギーを持っているのだ。


 辛うじて人類が対抗できているのは、この世界に現れる必然として受肉を要する悪邪が、生贄となった器によって、行使し得る力を制限されているからである。


 しかしこのような強大過ぎる存在は、通常は世界間を往き来することが殆ど不可能なのだ。例外は聖霊が許したものだけであるが、悪邪はその例外に当たらない。


(だが、二柱の聖霊を欠いて均衡を失ったこの世界には、在り得ざる隙間が生まれてしまった)


―― 故に外法にて、ここに悪邪が現れる。 


 流れた冷汗と共に踏み出した足は、キニュキュラの翼から放たれた羽の弾幕によって止められてしまう。


「っ!!」


 俺に当たる物は全て斬っているが、それでも鎌の数十倍を超える羽の数の勢いに押されて、全く前に進むことができない。


 射線の中にパーナがいないのは幸いだが、しかし鎌と尾程ではないにせよ、非常に重い一発一発が、俺の手数と体力を削っていく。

 

―― 剣技複合・


 両手で渾身の纏放を放ち、悪邪の羽を蹴散らして僅かの時を稼ぐ。


―― 水袷みずあわせ


 黄昏を流れる自然魔力を喰らい、限界まで増幅させた俺の魔力を、上段に構えた青燐の青い剣身へと集中させる。


―― 理念自在の縁起。


 その上に更に、この空で搔き集められるだけ掻き集めた自然魔力を上乗せする。


「!!」


 水錬玉に五つの陣の流れが現れ、紺碧と共にその魔力洸が回転する。

 ぜる限界まで青燐に集中させた暴れ狂う魔力を、一心に魔法へと変えていく。


 だが、その魔法の構成を形作る俺の詠唱が、悪邪の魔法の発動に、絶対的に間に合わない。


(詠唱無しで放つ俺の魔法の強度で、キニュキュラ上級悪邪の魔法を斬ることができるか?)

 

 キニュキュラの口の中で黒く濁り踊る極大の劫火。

 その僅かな余波だけで、悪邪の周囲を眩い数多のプラズマが現れ、踊り暴れ回る。


―― これが放たれた瞬間、俺も船も消滅するだろうと、そう確信させられる破滅の予兆の光景。

 

 長き刹那の間を駆ける俺の思考の中に、悪邪の嗤い声が差し込まれる。


『キャハハハ! 君はがんばったよ~♪ でも最後は結局ボクの勝ち♡』


 悪邪が放つ醜悪な魔力洸が更に高まる。

 それが走馬灯のように、俺の記憶を呼び起こした。

 

 濁り荒ぶる魔力の渦の中に消えてい行く

 折れ、砕けた魔剣。

 絶望に呑まれた俺を、嘲笑う悪邪。

 

 俺の過去、そのかつて見た景色が流れて行く。

 絶望の画の中に、しかし一筋の光が差し込んだ。


 空が輝き、海が輝く。

 死を越えて、なお伸ばした手が光を掴む。


 遥か遠くに、何よりも近くに。


 俺の命の横で、紺碧の光が微笑んだ。


―― そうだ、もうとっくに。

 

「【呵々絶衝】!!」


 剣身に紺碧の魔力洸が爆発した。

 キニュキュラが黒い太陽を顕現させ、向かい来るそれに、紺碧の風を纏った青燐を振り下ろす。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 莫大な濁り狂う熱量の凄まじい圧へ、比べて小さな紺碧の風が向かう。

 荒れ混ざる二つはしかし、紺碧がゆっくり、ゆっくり黒へと食い込んで行く。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 刃が炎の先へと目指し進む。

 裂き別れて行く黒い劫火が、俺の真横を流れて行く。


―― お前ら悪邪に見せる絶望など。


「無い!!」


 紺碧の風が悪邪の黒い太陽を斬った。


『!? このっ!!』


 船の両翼を黒い炎の津波が去って行き、空を黒く焼き焦がした。

 

 剣が拓いた道の先にキニュキュラの口が開く。黒い炎を湛え、鋭い牙を光らせた顎門が俺の頭上から覆い被さって来る。


 青燐の柄を握る右手のすぐ下に、

 剣身を右肩に担ぎ、右足を踏み込みと同時に青燐を振り下ろした。


「ラアッ!」


 どす黒い莫大な魔力を纏いよろう悪邪の巨体の中を、紺碧の右袈裟斬りが走り去る。


『っ』


 キニュキュラの左頭上から右脇下に剣を抜き、続く左逆袈裟の刃を右胴から左肩へと跳ねさせる。


 刹那の間の連撃。


 そして、まだ姿形を残す悪邪に向けて、柄を握る両手の間を離し、上段で青燐を振り被った。


『この下等存在が!!』


「ツアッ!」


 左足を踏み込み、正中へ青燐を振り下ろした。


 黄昏の向こうまで雲が断たれ、星の瞬きが現れる。


 吹き荒ぶ天空の風の中に、閑たる間が訪れる。

 

 キニュキュラの巨体が彫像のように固まり止まる。

 

 青燐を下段に構え残心を取る俺の前で、悪邪の巨体は左右に割れて、バラバラになった上半身と共に、床へと崩れ落ちて行った。

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