二日前:蜃気楼

 洞窟の隠し部屋から転移したコロネへと、着飾った女性が駆け寄り、その腕の中へと強く抱き締めた。


「ああコロネちゃん! 私とっても心配したのよ!!」

「ただいま、お姉ちゃん」


 コロネの母方の従姉であり、この国の宰相を務める男の正妻、【史路の杖 エメテアス・ペペシュート】。

 既に三十路を超えているが、その整った顔には幼さを残し、並び立つコロネとはまさに瓜二つであった。


「うん、おかえり!!」


 満面の笑みは無垢な童女のそのものであり、故にそこから、彼女がガレ王国の裏に通じる人物であると見抜ける者は少ない。


「もう準備は終わっているわ」

「ごめんなさい、手伝えなくて」

「それは気にしなくていいのよ。コロネちゃんには、ニオさん達のお見送りがあったんだから」


 侍女を連れて先導する彼女の後に、コロネ達も続く。


 その両脇を守るのは鎧姿の戦闘ゴーレムであり、巨大な石柱が並び立つ中を進む彼女達以外には、一切の人の姿が無かった。


「召喚はすぐにでしょうか?」

「あと一日は掛かるって言ってたわ。今までここで呼んだ存在ものより、少し等級を上げちゃったからね。ちょっと込み入った術式と装置の調整が必要になったみたい」

「そうですか」


 コロネは懐から懐中時計を出し、その文字盤の蓋を開ける。


(適性の高いものがあったせいで欲張りすぎた? でも生半可なものでは、あの女の運命ドゥーム巧式フォーミュラーに勝てはしない……)


 時計の針は狂い無く時を刻んで行く。


「大丈夫よ。それにベッツイ卿が出たのでしょう。あの【華風剣】が、こういった仕事を仕損じるなんてありえないわ」

「……ええ、そうね」


 水の大神殿の暗部に属し、比類なき実績を積み重ね、裏社会では『暗殺騎士』と呼ばれ恐れられた男。

 彼はノカリテスより預けられた、コロネ達の切り札の一つだった。


「さあここよ」


 三重の厚い鉄扉を超えた先。

 その最後に現れた重厚な木の扉が、ゴーレムによって開かれる。


 その中は飾り気の無い部屋であり、しかしドアの向かい側、その一面の壁には透明なガラスが嵌め込まれていた。


 エメテアスに続き部屋の中へと入って行くコロネ達。

 そして三歩も進まぬ時に、コロネの騎士がその顔を、部屋の隅に座る一団の方へと向けた。


「どうしたの?」

「いや、彼らがな」


 その言葉に、コロネも彼らの方を見る。


 厳めしいローブを纏って眼鏡を掛け、いかにもな姿をした錬金術師姿の青年。

 ペンギンのぬいぐるみを抱えた幼い少女と、彼女をあやす黒いドレスとベールを被った女。

 その傍らには全身鎧を纏った男と、浅黒い肌の少年騎士が静かに佇んでいる。


「ああ、こちらは今回の儀式に協力して下さった方よ。色々な機材を手配してもらってね、本当に助かったわ」

「そうなのですか」


 彼らは何者なのか。

 そして彼らを何故この場所に入れたのか。


 視線でそう尋ねたコロネに、エメテアスは小さく頷いた。

 

(ああ、成程)


 詳しい話は知らない。

 しかしこれが彼らへの報酬の一部であり、最後には処分するのだという事は理解できた。


 ベールの女が立ち上がり、コロネ達へ向けて深く頭を下げた。

 それは貴族に対するものであり、彼女の身分がそうではない事を物語っていた。


 それでコロネは彼女達への興味を無くし、先に進んだエメテアスの後に続こうとした。

 しかし、傍らの騎士は食い入るようにして少年騎士を見ており、その場から動く様子が無かった。


「あら、ローネシアちゃん。彼の事が気になるのかしら?」

「はい……」


 コロネの騎士、【風豹剣 ローネシア・メルク】は、カラオン派の若手では随一の剣の腕を持っている。


 かつて水の勇者の私部隊パーティーに推挙された事があり、もしコロネが水の聖女になれなかった事による辞退が無ければ、水の勇者の騎士は彼女であっただろうと言われている。


 少年騎士へと歩みを進めたローネシアが、その右手を彼へと差し出した。


「私は【風豹剣 ローネシア・メルク】。水の大神殿の復興を掲げる【白鳥の旗 ノカリテス・カラオン】猊下の麾下の騎士だ。一目見て貴殿が持つ力量に感服した」


 ローネシアは非常に自尊心が強く、へりくだるという事は滅多に無い。

 

 まして、付き合いの長いコロネでも、このような振る舞いを男に対して行ったというのは、全く以て覚えが無かった。


 コロネの胸がチクリと痛んだ。


(これは嫉妬、なのかしら?)


 エメテアスは微笑みながら見守り、黒衣の女は動こうとしない。

 錬金術師がチラリと見たが、すぐに興味を失ったようで、隣に座る少女の前で炎の人形劇を始めた。


「……」


 少年騎士は差し出された手を見て。

 詰まらなそうに顔を逸らした。


「!!」


 ローネシアの顔が、怒りで一気に赤く染まった。

 掌はすぐに拳に変わり、肘が後ろに引かれ、


「っ」


 喉元に突き付けられた、聖銀の魔導剣の切先によって止められた。


「無駄だ。弱者は身の程をわきまえろ」


 少年騎士の顔はローネシアを向いておらず、感情なく放たれた彼の言葉さえ、その実は彼女の方を向いていなかった。


 その余りの屈辱に、誰よりも真っ先に、コロネが反応した。


「よろしいでしょうか?」


 コロネは腰から魔導杖を抜き、それを右手に強く握り締めた。

 魔導機構が作動して、水錬玉に青色の強い魔力洸が灯る。


 殺気さえ纏って足を踏み出したコロネの首を、一筋の銀色の光が撫でた。


「「!?」」


 コロネの首、その白い肌に赤が垂れる。

 それはあたかも巻かれた糸のように見える、刃によって付けられた細く長い傷だった。


「この距離を保て。次は落とす」


―― お前らの首を。


「貴様!!」


 遂に激高したローネシアの右手が、左腰に吊った魔導剣へと伸びる。


 カランと音が鳴った。


 ローネシアの右手は空を掴み、斬り落とされた魔導剣の柄が、コロコロと床の上を転がって行く。 

 

「もう一度言う。次は首だ」

 

 少年騎士が剣気を放つ。

 それに当てられて、部屋の中が静まり返った。


 パンパンッ。


 凍り付いた空気が、その拍手によって散った。


「ほらほらチャナーク、剣を仕舞いなさい」


 黒衣の女の指示に、少年騎士チャナークが剣を鞘へと納める。


 そして膝から崩れ落ち、震えながら座り込むコロネへと、黒衣の女が、黒い絹の手袋に包まれた右手を差し出した。

 

「どうぞこちらを」


 その黒い手を、コロネは震える両手で掴み取った。


「あ、ありがとう、ございます」


 何とか立ち上がったコロネは、黒衣の女に、小さく頭を下げた。


 そして、それを押し止めるように、黒衣の女はその両手を振った。


「どうか頭をお上げください。私などテペテン枢機卿ご息女、しかも水の聖女様の候補にまでなられたお方に、そのようにしていただける者ではございません」

「そのような事……」


 コロネは服を整え、黒衣の女へと改めて向かった。


「私の名は【清誓の杖 コロネ・テペテン】と申します。どうか私の友となってください」


 真っ直ぐに向けられたコロネの声、そして言葉。

 黒衣の女はベールの奥で息を呑み、そして小さくかぶりを振った。


「参りました……」


 そして、黒いベールが開けられた。

 

 現れたのはとても美しい少女の顔であり、そこには朽葉色の瞳が輝き、亜麻色の髪が流れていた。

 

「故あって名を明かす事はできませんが」


 コロネが頷き、黒衣を纏った少女が頭を下げる。


「私の事は、どうぞ【蜃気楼ミラージュ】とお呼びください」


 彼女の顔は伏せられて。


 その微笑みを見れた者はいなかった。

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