開幕へ

~ …… ~


 広大な室内は闇の中に落とされ、光は舞台の上へと集められていた。

 

「劇とは実に面白いものだな」


 船の中に作られた劇場。

 その最上級の席の背凭れに止まる白い烏が、そのくちばしから楽しそうな声を出して、傍らに座るローブを纏う少年へと語り掛ける。


「ありふれた話が人の手を加えることで、強く感情へ訴えかけるものに昇華されている。食に美という概念を付加した料理にしてもそうだが、いや、人の探求心というものは常々以て侮り難いものであるな」

「人は『満ち足りる』という事から、最も遠い生物ですからね。個で完結できないが故の定めと言いますか、今ある飢餓を満たしても、自ら更なる飢餓を外に求めてしまう」


 魔王の手によって氷に閉ざされた国は、一人の勇者の手によって救われた。

 魔王は倒され、暗い雲に閉ざされた天は開かれ、恵の陽の光が大地を照らす。

 人々の歓喜の声が国中に溢れ返る。


「弱者が強者に縋るのを咎める事はできません。しかし自らの利の為に、救われた恩を忘れて強者に石を投げる姿は、獣でさえも目を背ける醜悪なものです」


 戦い傷付いた勇者は、誰にも知られぬ場所で、一人の少女の骸を抱き締めている。

 魔王の剣から勇者を庇って命を落とした彼女こそ、勇者が何よりも守りたかった存在。

 

 貴族や僧侶や平民が混じる宴の中で、王が高らかに酒杯を掲げる。


『我らが平和に!』

『『我らが平和に!!』』


 高らかな音楽と共に天から無数の祝福の花弁が落ちて来る。

 人々の笑顔が世界に満ちる。


 そして勇者と少女の魂は、寄り添いながら、遥かなる聖霊の元へと去って行った。


 そして誰もが知る物語の幕は閉じる。


 万雷の拍手が劇場の中に木霊する。

 

 だが、誰も知らない物語を覚えている者は、詰まらなそうにして、傍らで湯気を立てる紅茶の杯を飲み干した。


「結局、何もかもが繰り返しです。後の時代から眺めれば、魔王さえも時代の生贄に過ぎません」 

「何処ぞの奴も、『戦場とは畑であり、戦士とは苗床であり、平和とはそれを啜らせて育んだ木である。民衆はその枝葉の陰で休み、その果実を喰らうが、その足は尊き骸を踏み付けている』、と書いて、当の民衆とやらに焚書をされておったな」


 烏の言葉に少年は肩を竦める。


「若かったんですよ、色々とね。まあ学ばされましたよ、人は私と同じようにとってもセンシティブな生物だって」

「フッ、お前の冗談はいつも詰まらん」


 舞台の上では今、演じた役者達が挨拶の言葉を述べている。


「さて、そろそろ動く頃合いだ。我らも行くとしよう」

「そうですね。ケルラナ、ほら行きますよ」


 少年が食い入るように舞台を見続けている少女を促した。しかし彼女、ケルラナはハンカチを握り嗚咽を上げ続け、椅子にしがみ付くようにして動こうとはしない。


「後生ですお師匠様、もう少し、もう少しだけ~」

 

 ケルラナは十代中頃の年齢ながら、草臥れた学生服を着込むその身体は女性らしく完成されており、瑞々しい色気さえもその端々に窺う事ができた。

 

「クイーン・キャロライン号の空中劇場、しかもロイヤルボックス席なんて、もう二度と座れないかもしれないんですよ!」

「イノリさんが予知した時間まであと少しなのです。あまりぐずられると、単位を考えなければなりません」

「ちょ、横暴過ぎ!!」


 慌てて立ち上がったケルラナは、見下ろす位置にある少年の顔へと、不満の声を上げる。


「そもそも新しく入った方がいるじゃないですか。師匠やペンレター様と同じなら、私がいる意味ってあります? そもそもバックアップでお二方がいらっしゃる事も、過剰戦力に過ぎますよ」

「彼はちょっと特殊でしてね。それに出て来るだろう相手を考えると、、ペンレターの助けは絶対です」


 少年が烏の方を振り向く。


「任せて貰おう。だがしかし、お前も考え過ぎる面がある。あいつの剣を継いだ者ならば、そう遅れを取る事は無いだろうと、我は思うがな」


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