刺客襲来 一

 長いパーナの説法が終わった。

 部屋を出た俺達は、窓から赤みを帯びた光の差す廊下を歩いて、食堂のあるフロアへと向かっていた。


 ふと、横をすれ違った男女が持っていた、劇のパンフレットが目に入った。


「『雪の勇者物語』か。どこでもやってるんだな」


 原作は古い小説であり、王侯貴族には不評だが、庶民の間では根強い人気を誇っている。

 悲劇的な結末を迎えるが、魔王へ立ち向かう勇者と名も無き少女の物語は、読む者の心を奮い立たせてくれる。

 

「面白いとは思うんだがな……」

「ヨハンは好きじゃないの?」

「バッドエンドは嫌いなんだよ」

「そっか」


 廊下に設えられた鏡に映る、夕日に照らされたパーナの横顔。

 蒼い瞳は、何処か遠くを見ているようだった。


「うん、私も昔は綺麗だなって思ったことがあったんだけどね。皆は平和になった世界を喜んで、勇者達の望みは果たされたんだって。でも……」


 彼女の言葉が途切れる。

 そして、再び開いた口から、重い声音が紡がれる。


「勇者だって死にたくはなかった。勇者だって幸せになりたかった。だから、勇者達の骸の上で咲く無数の幸せを、綺麗だとは思えなくなったんだよね……」


 虚空を眺める彼女は、多分、幼馴染である【青の聖剣】の事を想っている。


「ふふ……。何か、本当に聖女っぽく無いよね……」


 肩を落とし虚ろな声で力なく笑うパーナ。

 だから俺は、空色の髪を掻き乱す勢いで、彼女の頭を撫でた。


「ヨハン?」

「他の聖女は知らないがな、パーナはそれでいい」

「……」

運命ドゥーム巧式フォーミュラーで火の大神殿をぶっ壊して、魔女と殴り合うのが、俺が知っている水の聖女だ。嫌いなものを嫌いだと言えるのが、俺の相棒たるパフェラナ・コンクラート・ベルパスパという女だ」

 

 流れ落ちる清流のようなパーナの髪。

 それは俺の左手で、かなりぐちゃぐちゃになってしまった。しかしそれを気にせずに俺を見上げた顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「ありがとうヨハン。そうだよね。国だろうが大神殿だろうが魔女だろうが、知った事かって啖呵を切るのが私なんだ」

「だな」


 言っている事は凄まじく物騒だが、パーナが元気になったのでヨシとする。結構飄々とした所のある彼女だが、やはり弱いものもあり、気を付けていこうと改めて思った。


「さてヨハン。一応言っとくと、女性の髪の手入れって、結構大変なんだよ?」


 パーナの両手が、がしりと俺の左手を掴み取る。


「お、おう」

「頭を撫でられるのは凄く好きなんだけどさ、加減はきちんとして欲しいと、私は思うかな?」

「すみません。手伝わせていただきます」

「ふふ、お願いしますね」


 女性の髪が如何に繊細なものかを、水の聖女様によって、俺はみっちりと教え込まれたのだった。


 * * *

 時計の針が進み、俺達は少し急いで歩いていた。

 そして途中、廊下の先から歩いて来る集団の姿に、ふと目が留まった。

 

 様々な仮装を纏った女達。

 まるで劇の中から出て来てたような出で立ちに、先程目にしたパンフレットが脳裏を過ぎった。


(空中劇場の関係者だろうか)


 鍛えられた出立ちに、役者も大変だなと思う。

 劇中で魅せる動きの全ては、決してだらしない身体では行えない。

 特に魔法が当たり前のこの世界において、役者から舞台裏まで、演劇に携わる者には高度な魔法の技能が要求されている。


 彼らとすれ違おうとしたとき、その中にいた一人の男が振り返った。


「もし! そこのお嬢さん!」


 声量のある声に呼び止められ、俺達の足が止まった。


「あの、何かご用でしょうか?」


 立ち止まった俺達に歩み寄って来たのは、改めて見ると、実に胡散臭い男だった。

 金縁の眼鏡を掛けて、皺ひとつないスーツを着込み、腰には装飾過多の魔導剣を納めた鞘を吊っている。


「おお、おお! やはりそうだ! あなたは実に美しい。あなたの前のではどんな花さえもその蕾を閉じて、隠れ潜んでしまうことでしょう!!」


 大げさな手振りと身振りで、パーナへの賛辞を述べる。


「……ナンパでしょうか?」

「いいえ、いいえ。私にあなたを手折るなど、例えこの身に鎖を打たれても、できはしないでしょう。高貴で神秘的な、例えるなら


 次の瞬間、パーナの手に機巧魔導杖が現れ、切っ先に生み出された氷の穂先が、金縁眼鏡の喉元へ突き出されていた。


「答えなさい。カラオン法王は何処ですか?」

「お~、水の聖女様は控え目な方と聞いていましたが。いやはや、まるで猪のような気性をお持ちのようだ」


 これだから坊主共の報告は信用ならない、と男が呟く。

 

「私はお前の戯言ざれごとに付き合う気はありません。知らぬと虚言きょげんを吐くならそれまでです」


 パーナの殺気が鋭さを増す。

 正直、ここまで切れた彼女を見たのは初めてで、俺は呆気に取られてしまっていた。


「知っております。私は猊下げいかの所在を知っておりますとも。ええ、だからこそ」


 パチンッと、金縁眼鏡が指を鳴らした。

 女達が白い仮面を被った黒衣の姿へと変わり、虚空に開かれた蔵庫から異形の大蜘蛛が次々と姿を現わした。


「あなたには一緒に来ていただきたーい!」

「!?」


 金縁眼鏡はパーナの穂先から軽やかに逃れ、黒衣達の後ろへと跳躍した。

 武器を構えた黒衣達が前へと進み出て、大蜘蛛と共に、俺とパーナを包囲する。


「パーナ。一応確認するが、これは敵か?」

「うん。私と姉さん達を裏切った、水の大神殿のカラオン法王、その彼女の配下だよ」


 最初のやり取りにはカラオン法王が使う符丁が混じっており、『青薔薇』はパーナを、『閉じられた花瓶』は水の大神殿を差すと教えてくれた。


「了解だ」


 魔導剣【青燐】を抜く。

 その青い剣身を見た金縁眼鏡が、感嘆の声を上げた。


「流石は、流石は我が水の大神殿が誇る聖女様! 何て……、何て何て美しい剣をお作りになったのでしょう! その聖剣が、そんな凡百の下郎の手にあるなんて、私は耐えられません!」


 グネグネと身体を揺らし、奇声を上げる金縁眼鏡の男。

 その奇怪な言動が、記憶の中の情報と一致する。

 

「水の大神殿は変質者に『聖騎士』の称号を与えるんだな」

「あら、お分かりになって?」


 金縁眼鏡の動きがピタリ、と止まる。

 細められた目から、探る様な視線が、強く向けられてくる。


「剣闘大会の話は、少しだけ耳に入れる事ができたのよね。ほら、あそこ写真禁止でしょ。おまけに私達って、謂われ無い罪で、指名手配が掛かってるじゃない。ペシエの情報を手に入れるのには、本当に苦労したわ」


 金縁眼鏡も魔導剣を抜く。

 金銀宝石をあしらった、波打つ剣身を持った細剣。確か『フラムベルク』と呼ばれる物だったはずだ。


「私の可愛い影ちゃん達を倒せたら相手をしてあげる。お前達! コレは殺していいけど、聖女様は傷つけるんじゃないわよ!」


 黒衣達と大蜘蛛達が動く。

 それは静かで無駄がなく、研ぎ澄まされた動きであり、闇の世界で戦い続けてきたことを強く匂わせる動きだった。


 俺とパーナの死角に回り込み、俺には黒衣が毒を塗った短剣を、パーナには大蜘蛛が吐き出した糸を放ってきた。


(しかしまあ、随分と)

 

 五手乃剣。


「低く見られたものだな」


――剣技複合・【纏放てんほう】【針通撃しんつうげき】。


 横に薙いだ青燐の一振り。

 解き放たれた不可視の斬撃が縦横を走り、心眼の極みにて魔法と物理の防御を擦り抜ける。


 短剣と糸は斬り落ちて、黒衣と大蜘蛛はその身の防御を抜かれ、微塵みじんとなって床の汚れになった。

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