十八日前:望み、迷い、踏み外していく

~ …… ~


 最も哀れな人とは誰か?

 それを唯一とする答えは無いものの、しかし愛を失った人を挙げるのに、異論を挟む者は少ないはずだ。


「見付けた、みつけたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 その写真を見た女は、その小さな口から獣じみた咆哮を上げた。

 少し草臥れた、仕立ての良い神官の服を着た彼女は、いつも浮かべていた柔らかい微笑みは消え去り、悪鬼の如き形相と化して荒れ狂っている。


 その日は乾いたガレ王国の土地には珍しく、朝から雨が降っていた。

 鳴り響く雨音と、髪に纏わり付く湿気。そして耳をつんざかんばかりの咆哮。


 それらに溜息を吐いた騎士が、隣の魔法士へと声を掛けた。なおこの部屋に居る全ての者が、、女性である。


「猊下は何か言っていたか?」

「神器が聖女の姿を映したそうだ。この写真は間違いなく本物だよ」


 彼女達の逃亡を大いに助けた、万里を見通す力を持つ神器【時の水鏡】。

 近い未来さえ見ることができるそれが効果を発揮するには、使用者が対象の一か月以内の姿を見ている必要があった。

 

「まだコンクラートを諦めないのか?」

「当然でしょ!」


 別の騎士の問い掛けは、すぐに別の誰かの声によって肯定された。


公国、そして大神殿の復興にはが要る。誰からも侵される事の無い、強い力が!!」

「あのおぞまましい禁忌の力を手にし、支配できたのはあの女だけ。くっくっく、天才と謳われた我が兄でさえも狂い死んだわ」


 錬金術師の暗い瞳が、天井を仰ぐ。


「……選ばれし才能を持つと自負する我でさえ、憎み嫉妬する事さえできない程に、あの女には遠く及ばない」

「だからでしょう! だから、コンクラートとあの運命ドゥーム巧式フォーミュラーを手にさえすれば、こんな逃亡するしかない状況も、ひっくり返すことができる!!」


 気勢を上げる元貴族の女の声に場は静まる。

 しかし一人の小さな笑い声が響き、それは次第に大きなものへと変わっていった。

 部屋の中の視線が彼女へと集中し、そこに強く咎めるものがあってさえ、笑い声は止まらなかった。


「何、その笑い?」

「いや、笑うでしょ普通に」


 此処に居る誰もを、自分さえもを嘲るようにして、言葉を続ける。


「水の聖女【青の機巧師 パフェラナ・コンクラート】。隣国である大国、ベルパスパ王国で政権争いに敗れた弱小貴族の娘。鍛冶師に転向した父とその手伝いである母と共に、首都ラーシャの片隅にて育つ。幼い頃よりその才覚を示し、異例の七歳にして、大神殿の大学への入学を果たす。そこでノカリテス様の前代であるマトナクス猊下の後見を得る」


 そこで何人かに視線を送る。


「水の大神殿が有りながら、祖国であるロシュペ公国の国力は低かった。他国からの干渉を受けなかったのは、軍事大国であるベルパスパ王国の庇護を受けてたから。でもそれをよく思わない者達もいた。特に私ような高位貴族の家の者達が……」

「……」

「迫害とまでは行かなかったけど、かなり厳しく、あなた達はコンクラートに当たっていたでしょ。私は無視するだけだったけど。で、その彼女とつるんでいたのが、【青の聖剣 リディア・シーウオーター】こと水の勇者とそのお仲間達」

「……だから何? それでも彼女は水の聖女の位を与えられたのよ。私事がどうあれ、大神殿の正統を継ぐノカリテス様に協力するのは義務だわ」

「ハァ、そんな馬鹿みたいな言葉を吐ける頭だから、私達は逃亡する羽目になったんでしょうが」


 傍らから伸びた右手が溜息を吐いた少女の襟元を握り締めた。

 鋭く細められた視線が、刺すように少女を睨み付ける。


「猊下を裏切る積もりか?」

「方針を変えようって話。あいつが没落貴族の娘だったら、スポンサーさん方もけしかけて、みんなで一緒に力押しもやれただろうさ。だけどね、あいつはベルパスパの王族だったんだ。納得したよ。私達に勝ち目はないってさ」


 彼女達は小国とはいえ、高位貴族に生まれて、水の大神殿の上層にいた者達だ。

 裏の世界にそれなりの伝手を持っており、それを使ってパフェラナへ手を出していた。

 しかしその全ては失敗に終わった。

 そしてパフェラナの側に凄まじい早さで情報が手繰られてしまい、危機的な状況に陥ったことは、一度や二度ではなかった。


 神器たる時の水鏡の力と、協力者達を切り捨てる事で辛うじて逃れる事ができたが、それも限界に近付いている事は、彼女達の誰もが理解していた。

 既に有望な支援者や協力者は無く、そして今日まで肝心のパフェラナの行方さえ見失っていたのだ。

 

「コンクラートは諦める。私達はこの大陸から逃げる。じゃないと本当に終わるよ」

「……」


 襟元を掴む力が弱まる。

 しかし。


「いいえ」


 拒絶の声が響いた。

 咆哮を上げていた神官が、虚ろを湛えた目を上げる。


「コンクラートさんがベルパスパの王族だった? 別にいいじゃないですか。私達は別にまつりの為に動いているわけじゃないんですから。ただ信仰の為に、でしょう?」

「だから言ってるだろ、勝てないって。私達が全員で突っ込めば、何とかコンクラートに届くかもしれない。しかしそれで詰みだ。ベルパスパ王国のカウンターを喰らってコンクラートは奪い返され、ノカリテス様の首がパスバグロン王都の広場に晒されて、全てが終わるぞ」


 重く、そして強く放たれた言葉。

 しかし神官は首を横に振った。


「いいえ、いいえ! 確実にあの女を手に入れる方法があるわ!!」


 その視線が錬金術師の方を向き、狂気の視線に晒された彼女がビクリと震えた。


「わ、我に何か?」

「あなた、召喚装置が作れたでしょ?」

「ええ、はい。それが我の専門でした故に……」


 言葉の終わり、何かに気付いた錬金術師が神官を凝視する。それは聖職にあるものにとって、絶対にありえない選択肢であり、触れる事さえ許されない禁忌だった。


「あなたのお兄様がの参加者だったなら知っているはずでしょう? 公然と解放された禁忌のわざに、錬金術師が手を出さないはずがないもの」

「…………」

 

 目を伏せ、顔中から大粒の汗を流す錬金術師。その異常に誰もが口をつぐみ、彼女へと視線を向ける。


「あれはダメだ、ダメなんです!! 人が制御できる存在ものじゃない!! 我の兄もその一端に触れただけで身体を奪われて狂い、最後は聖騎士に首を刎ねられました!!」

「なら大丈夫じゃない。ここにも一人、聖騎士様がいらっしゃるのだから」

「違います! あれは、あれは」


 錬金術師は頭を抱えて床にしゃがみ込み、余人には聞き取れない言葉の呟きを、焦点の合わなくなった目を血走らせながら繰り返す。


「無理でしょうか?」

「そうね……」


 聖騎士は考える。


 真達位の上の方の力を持つ自分なら、聖女は抑えられるだろう。

 しかし運命ドゥーム巧式フォーミュラーを出されたらそれが不可能になる。膨大な火力を誇るアレに対して、自分は圧倒的に相性が悪いのだ。


 そしてその考えを神官に告げる。

 対抗して召喚する存在にしても、急所が分かっているならば、制御を外れたとしても恐らく処分できるだろう、とも。


 対人戦闘に関しては無敗を誇る聖騎士の言葉に神官は頷いた。


「分かりました。その辺りも上手くやるようにしましょう。あとは、」


 準備にはかなりの人数を必要とするのだが……。

 大人達だけでは足りそうにない。

 

「そうですね。子供達にも頑張ってもらいましょうか」

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