聖女の話と、老兵との語らい

 前世の記憶に残る画像や映像、そして今世で出会った様々な女達。

 先生との長い旅の中でも、多くの『美しい』者達と出会った。そして故郷ペシエでも、元婚約者のエリゼやカグヤ等、別格と称すべき少女達と交流することがあった。


 美しい女達と何人もの知己を得て、経験は無くてもそれなりの耐性を得ることができた、と思っていた。


 しかし。


 目の前でブドウジュースを飲みながら、滔々とうとうと俺にダメ出しをしている青の少女には、強く目を奪われてしまう。

 普段はそれでも自然に接することができるようになったが、こうして向かい合うと、頬が微熱を放つのを止めることができない。


(ヤバイな)


 とは思うのだが、皆目改善の方法には当てがない。

 

「……なんだよ。ちょっと私も言い過ぎかなと思うんだけどね。でもヨハンの甘さに付け込んで利用しようとする人は、これからもっと出てくるようになるよ」


 パーナがグイッとグラスをあおり、長い空色の髪が揺れる。無風のカフェの中に、煌めく風の流れを幻視した。


「前にも言ったけどね。権能、特にその最上位に分類される【世界】は、魔導学に身を置く者なら、喉から手が出るほど、いや、自分の全てを引き換えにしてでも欲しいものなんだよ。そういった人達は手段を選ばずにヨハンを狙って来るよ」


 全ての属性は権能の下に在り、権能は全ての属性を使い得る。

 そして権能である【天】は支配を、【地】は生と死を、【混沌】は始まりと終わりを司るという。

 

「【世界】は決定する力を司る。それを言い換えると、世界の権能を持つ者は、この世の全てを自分の想いのままに作り変えることができる、ということなんだよ」


―― ただし本当に使いこなすことができればね。と、彼女の注釈が最後に付いた。


(普通に魔法を使うのでさえ手一杯の俺には、マジで大それた話だな)


 魔法とはこの世界のルールに干渉する技術だ。それでもルールの範囲を超えることはできず、使い手の望む現象は許される範囲の中でしか起きることはない。


 しかし権能は違うとパーナは言う。


「例えばヨハンの魔力は他者の魔法を、構造を得た魔力の集まりを消しているように見える。けれどもその本当は消しているんじゃなくて、『魔法を無にすることを決定している』ということなんだ」


 氷だけになったグラスが、トンッとコースターの上に置かれた。


「結構話が脱線しちゃったね。で、私が言いたいことは分かってくれたかな?」


 魔法の話はともかく、最初の話がヤバイ位に思い出せない。

 パーナの蒼い瞳は、真剣に俺の事を見詰めている。

 

「……」

「はあ。じゃあまた今度お話しようか。聖女を名乗る身として、迷える竜を野放しにするのは、職責に反するからね」


 沈黙は無駄に終わり、パーナはあっさりと俺の内心を見透かした。

 

「面目ない」

「いいよ。森では製作と修行で、お互い時間が無かったからさ。期間に余裕がある旅だし、ゆっくり行こう」

「ああ」


 会計をしてカフェの外に出る。

 パーナが「お花を摘んで来るね」と言い、俺は近くにあったベンチの上に腰を下ろした。


 向かいのガラス窓の外を、雲が流れて行く。

 廊下を歩く人々の姿はまばらにあり、家族連れだったり、或いは恋人同士だったりした。


(……)


 その歩く姿に目が吸い寄せられた。


 老夫婦、と一人の少女。


 老夫婦の身体には澱みなく魔力が流れ、その所作には確かな芯が通っている。上品な装いを纏う彼らは、しかしその穏やかな気配の中に、ほんの微かに戦う者の臭いがした。


 俺に気付いた主人が帽子を取り、にこやかな笑みを浮かべて挨拶をしてくる。


「こんにちは。お仕事ですかな?」


 俺も立ち上がって挨拶を返し、「いいえ、プライベートです」と答える。


「お邪魔をしても?」

「どうぞ」


 夫人と少女も会釈を交わし、四人には少しベンチが手狭になったので、遠慮しようとする彼らを断って、俺はベンチから立ち上がり、壁に背中を預けた。


「ありがとう」


 緊張した面持ちで声を掛けて来た少女に、気にしなくていいよ、と手を振った。


「見事な業物わざものですな」


 俺の腰に吊った青燐を見ながら、主人が感嘆の声を上げる。


「貰い物です。喧嘩で得物を無くした俺に、依頼主が見繕ってくれました」

「それはそれは」


 主人が苦笑する。

 ぼかして答えた内容は、新人未満の開拓者にはよくある話だ。それで泣きを見た者は、真っ当な開拓者へと育っていく。


「失礼。私も若い頃に身に覚えがありましてな。景気付けに飲んで暴れて、気が付いたら下着一つで留置場です。待ち合わせに来ないからと探してくれた妻に、それはもう怒られました」


 懐かしそうに語る主人の横で、ホホホと笑う夫人の目は笑っていない。

 

 それに気付いているのかいないのか、「本当に、無茶や馬鹿ばかりしていました」と主人は話を締め括った。


「ここへは家族サービスですか?」

「ええ。引退してからも、あれこれとすることがありまして。それで思い切って時間を作り、妻と孫と一緒に旅の空に逃げてきました」


 ニヤリと笑った皺だらけの顔に、悪ガキの面影が見えた。


「大変ですね。いや、後を押し付けられた方達が」

「ククク、それが老人を忙殺した若者達の報いというものです。老兵は去るのみ。そこに腕いっぱいの書類を押し付けられるなど、馬鹿な話でしょう」


 皺だらけの左手を握る。

 力強い魔力洸の灯るそれは、分厚い鉄板さえも余裕で貫きそうだった。


「ふぅ、強化魔法が骨身に染みますわい」


 彼の腕に夫人が治療魔法を使う。


「すまんな。……あの頃は、体一つで何処までも行けると思っていました。階級もどんどん上がり、いずれはあの天座殿さえも超えてやると。けれども私の手は遥かに届かなかった……」

「彼と戦ったことがあるんですか?」

「一度だけね。手も足も出ませんでしたが、満足しました」


 穏やかに思い出の欠片が語られる。

 自由と、そして何よりも最強を目指した彼の半生の旅は、そこで決着した。


「ホントに無茶苦茶ですからね、あのハゲの強さは。俺も一度ボコボコにされましたが、拳の一つはぶち込んでやりました」


 剣士として今度は剣をぶち込んでやります、と呟く。

 勝てる姿は全く想像できないが、それでも俺の意地として、一撃はやってやるぞと思う。


「……そうですか。あなたは、強いのですね」


 目を見開いた彼の言葉に、俺は首を横に振った。


「強くは、無いです……。いつも進むべき場所が分からなくなって、グルグルと迷っています。自分で覚悟を決めた道にさえ、不安に怯えてしまう事があるのです……」


 皺の刻まれた彼の手が、俺の腰にある青燐を指さした。


「ならば剣に聞くと良いでしょう。これ程に良き剣ならば、あなたを支え、きっと道を見付ける手助けをしてくれます。考え込むよりも、武をその身に宿すならば、がむしゃらに走った方が、答えは出るものです」

「……でも、それが間違いだったら?」


「人生の選択など、正解の方が少ないものですよ。それにたとえ間違いを選んでも、その先には正解の道が隠れているものです。まあ、しがない老人の経験談ですが」

「いえ、とても……」


 抱えているものが、少し軽くなった気がした。


「ありがとうございました」


 皺の刻まれた顔に、小さな笑みが浮かんだ。


「さてと、あなたのお連れさんが戻って来たようですよ」


 離れた手洗いの入口から出て来たパーナの姿見えた。


「お話できて良かったです」


 俺の言葉に、彼は笑う。


「私もです。今はカルナド王国の王都にある協会支部にいますので、良かったら訪ねて来てください」


 彼は【炎斬剣 イニクス・ヌトラーナ】と名乗り、俺も自分の名を名乗った。


「ヨハンさん。剣闘大会での戦い、実に見事でした。ゴーバーン卿、そしてイッシン卿との戦いを、私は生涯忘れません」

「あ……」


 ペコリと会釈をして。

 彼は妻と孫と共に歩いて行った。


「ねえヨハン、彼と何の話をしていたの?」

「……ちょっと自分の道についてな。何と言うか、為になった」


 少しだけ、憑き物が落ちた気がする。

 それは彼が第三者であり、また自分の戦いを認めてくれたが故か。


 見ると、パーナが頬を膨らませていた。

 そんな顔をしていても、彼女はとても可愛らしい。


「私の説法はスルーするのに、誰だか知らないお爺さんの言葉はよく聞くんですか?」

「いや、まあ……その、あれだ」


 パーナに見惚れているからだ、と言うには、俺のレベルは低すぎた。


「少しお話しましょうか。これは聖女の沽券に関わる問題です」

「……お手柔らかに頼む。あと俺の弁明も聞いていただければ嬉しい」


 怒る彼女に逆らえず、俺は部屋へと連行される。

 故郷の空に浮かぶ大陸から、海を渡り陸を行く船の旅路は長く、時間はたっぷりある。


 それを嘆きながらも、心は晴れた気分に包まれていた。

 

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