ワトナ半島の情勢

 果てしない空の青は心を震わせる。

 原始より、人はその果て無き世界に夢を描き、幻想の翼で以て魂を遊ばせてきた。


 船の甲板の手摺に凭れ掛かり、白い雲の流れを見送る。

 船はその全体を結界に包まれており、風も寒さも無く、快適に空を眺めていられる。

 

「あ、浮遊大陸がもう豆粒みたいだよ」


 俺の隣のパーナは手摺の上に座り、プラプラとその両足を遊ばせていた。


「そうだな。ま、何事も無ければあと八時間で地上だ」


 俺とパーナは空路を使い、クソ狼とゲルトは転移魔法で先にシュワサン浮遊大陸を後にした。彼奴等あいつらは幹部としてのスケジュールが押しており、ルーネでの決行は一か月後という話になった。


「グロリアも太っ腹だよね。この船の外にもクルーズキャリッジのスイートをくれたんだから。ワトナ半島は行った事がないから、実は楽しみなんだ」

「ワトナ半島へ通じている『勇者の道』は結構面白いぞ。色々な街や風景があって、飽きる事が無かった。有名な封海側の奇岩群とか、大型海獣の巣は、道から離れているがよく見えたな」


 ワトナ半島は、古くから南鎖大陸との交易の道として栄えており、六千年前に『嵐の壁』が生まれるまでは、南北で一番栄えた場所であった。


 今では辺境へとその地位は没落したが、昨今の旅行ブームに乗っり、勇者の道を利用した観光産業が隆盛している。


 もっともそれは交易と共にパンドック王国の独り勝ち状態であり、前王の時代にそれを利用した強引な商圏の拡大を行った結果、ワトナ半島は大きな火種を抱え込む状態になってしまった。


 魔月奇糸団の第十席【鉄心王 ビリャーコフ・ノグルノグル】はその中の一つ、ノグル公国を治めている。俺は先生達との旅の折りに、公国の中枢に滞在したことがあった。その時にワトナ半島がどれだけ危うい情勢にあるのか、否が応でも理解させられた。


「クソ狼とゲルトが出張ると言う事は、いよいよもって半島は爆発するかもな」

「え、ワトナ半島で戦争が起こるってこと? 少しきな臭さはあるって聞いたことはあるけれど」


 ちらりとパーナを見る。

 蒼く澄んだ瞳が、不思議そうに俺を見ている。

 一般的な、いや半島外の認識ならば、あのワトナ五国で戦争が起こるなんて思いもしないだろう。


 ワトナ半島の軍事力は低い。

 確かに一部の国は膨大な軍事費をつぎ込み、軍の数と質を強化している。それは半島以外と比較しても決して低いものではない。

 

 しかし、だ。


 現在、半島にいる心道位は少ない。

 例えるならば、他国が核ミサイルを百発も持っている状況で、半島は搔き集めても十の数にさえ届かない状態なのだ。


 しかも武剣評価基準の最高峰、言い換えれば評価限界となる心道位の個々の実力の差には、天と地以上の開きがある。

 そしてクソ狼(武剣評価を持っていない)と比較すると、半島の心道位達の力は遥かに見劣りしてしまう。

 これも仮定の話だが、もしクソ狼が半島全ての戦力と戦った場合、勝つのは間違いなくクソ狼であると俺は思っている。


 またワトナ五国の背後には、スポンサーとなる大国がそれぞれの後ろに控えている。小競り合い程度ならばともかく、本格的な戦争となると、半島から利益を吸い上げているスポンサー達が本気で介入してくる恐れがあるのだ。

 その場合、戦火の広がりが半島だけで収まる可能性は低く、最悪は大戦規模の戦乱が起こる可能性が高い。


(だからこそ、ワトナ五国はその深い部分で密接に繋がっている)


 表ではどれだけ互いに火花を散らそうとも、それが火花で終わるようにする仕組みが、半島に根付く王家達によって築かれ、受け継がれている。


 表と裏、そしてスポンサーの意志が複雑に絡み合うからこそ、誰も勝手に大きな動きはできない。

 だからこそ事情を理解している者達は、ワトナ半島に火種の臭いを嗅ぎ取っても、それが大火になるとは考えない。


―― しかし、だ。


「あそこ、結構古い時代の遺跡が多いだろ?」

「うん。雑誌では結構取り上げられているよね。私も交易の海のレジャーサイドは、いつか行きたいと思ってたんだ」

「時間があったらな」

「ありがと。その時は水着を選ぶの手伝ってね」

「おう、是非に」


 パーナの水着姿を想像して幸せな気分になり、話を元へと戻す。


「で、その遺跡は大体が『空白の時代』のものなんだ。古代文明は滅び、その全ては聖霊が起こした洪水に流されてしまい、今に残るものはない。しかし人の記憶は別だ。完全ではないが、古代文明の知識によって作られた物が残り、ワトナ五国で秘密裏に受け継がれている」

「古代文明の残滓ざんしたる『空白の時代』の遺物。それがワトナ半島に隠された秘密であり切り札、ということ?」

「そうだ」


 グロリア達はあえて言わなかったのだろうが、魔剣獣ビースト・エッジ畏津壬丸いつみまる】と、もしくはそれに関わる何かが、空白の時代に関わるものである可能性がある。

 かつては俺も、ペシエに帰る前までは魔剣を使っていたのだ。

 百万年級の魔剣獣ビースト・エッジと称するものが、まともな手段で大人しく封じられているなどあり得ないと、それだけは理解できる。

 

「うーん、利用されちゃったかな?」

「いや、グロリアとクソ狼にそんな気は無いだろう。『この仕事は、黒翼と聖女ならできるだろう』、そう考えて割り振っただけの話だ」

「その考え方はお人好し過ぎない?」

「俺の先生はもっと無茶振りされていたからな。感覚が麻痺してると言うなら、まあ、否定はできない」


 パーナが俺をじっと見つめ、そして彼女のデコピンが俺の額を襲った。

 手摺を一回転したパーナが後ろに飛び、甲板の上に綺麗な着地を決める。


「『信じる事は考えを止めることではない。自らを正しさの天秤に乗せ、釣り合わせることだ』」

「布教か?」

「そうだよ。うん、ヨハンの性根は水の聖女として、きっちりしつけなきゃって思ったんだよ」


 パーナが俺の左手を掴む。

 華奢なその腕には、トンデモない力があった。


「遠慮してたけど、これからは少し説法の時間を入れようか」

「お手柔らかにお願いします」


 そうして俺は、引きずられるようにしてパーナに部屋へと戻され、ありがたい『水の聖霊の教え』を頂戴することになった。


 

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