二十日前:招待状

~ …… ~


 西端諸国の一つであるガレ王国は、最も貧しい国として有名である。

 

 しかし、この地は千二百年前には、古典文化の隆盛を象徴する土地として栄えていた。

 豊な大地は富をもたらし、尾根は国を守る城壁の如くにそびえ立ち、何処までも続く切り立った崖は海からの侵入者を拒み続けた。

 平和な時代は続き、たとえ他の国々が戦火に塗れていても、ガレ王国の王侯貴族達だけは美酒を満たした杯に舌鼓を打つことができた。


 だが八十三年前に起きた王位継承戦争と、三年前に国の一部が共和国として独立し、その再統合の為に起こした戦争が、国の荒廃を決定的なものにしてしまった。


 * * *


 荒れ果てた街道を、黒いローブを目深に被った人影が歩いていた。


 の者以外に人影はなく、また獣の影も無い。痩せ細った土地には、僅かに生える丈の低い雑草が風に揺れるだけ。

 空に鳥の声は無く、羽虫が一つ二つ、迷うように飛んでいる。


 黒のローブの行く先には、少し傾斜のある丘の上に、一つの町が在った。

 

 すぐにも崩れ落ちそうな古い石造りの外壁が、町の形を閉じ込めるように囲んでいる。

 錆び付いた門扉は閉ざされており、横の勝手口には赤ら顔の門番が一人で立っていた。

 黒のローブが安酒の入った瓶を渡す。すぐにコルクを抜いた門番は、さっさと行けというジェスチャーをし、瓶底を空へと掲げた。


 開け放たれたボロボロの木の扉の横を進み、埃臭い通路を出た先には、今では古い絵画にしか見られないような街並みが、朽ちかけた家屋の連なりとなって広がっていた。


 人の気配よりも廃墟の気配が強く、それなりに大きな規模を持ちながらも、町を流れる空気はとても寒々としている。


 黒のローブは、かつては石畳だったであろう、瓦礫の残る凸凹した街路の上を迷いなく歩いて行く。


 街路から見える所に、人の姿は一切無い。時々人骨の破片らしきものが転がっているだけであり、その他には壊れた家の建材の破片が散らばるだけである。

 屋根が崩れ、戸や窓の壊れた石造りの家屋の中には、しかし微かな人の気配がある。

 それらは息をひそめ、或いは息絶えようとするものばかりであり、この町の住人と言うよりは、まるで追い詰められ迷い込んだ獣のようであった。


 町の中心に在る、一際大きな屋敷の門扉の前で黒のローブの足は止まった。

 そこへ二つの魔導槍の穂先が突き出される。


「此処に何の用だ?」


 衛兵達は血色の良い顔に、訝しげな表情を浮かべる。

 死人のような者ばかりのこの町を訪れるのは、見知った貴族や商人だけであり、故に彼らにとってはこれが初めての、衛兵としての詰問であった。


 黒のローブが、その目深に被ったフードを脱いだ。


「「!?」」


 そこから現れたのは、白い髪を流した、美しい少女の貌だった。

 衛兵達は揃ってゴクリと息を呑んだ。そしてその身体の中に、燃え盛る様な情欲の炎を滾らせる。

 彼らは共に長男の下の兄弟として生まれた。

 貴族以外が人としては扱われないこの国で、彼らもそれなりに他者を虐げて生きて来た。

 故に、この少女に暴行を加える事に対して、僅かにも躊躇することは考えなかった。

 

 お互いに目配せを交わし、少女が口を開く前に彼らは襲い掛かった。


 * * *


 コンコンと部屋のドアを叩く音がした。

 部屋の中では、赤みの掛かるマホガニーのテーブルを囲んだ男達が、お互いの手に持つトランプを睨みながら、葉巻を吹かしていた。


 再びコンコンと扉が鳴る。

 チッと舌打ちした軍装の青年が傍らの魔導剣を握り、その切先から躊躇無く、風魔法の砲弾を放った。


「おいおい、俺の屋敷だぞ?」


 大穴が開いた入口を見て、一人の男が言った。

 この状況から、ノックをした者は確実に死んでいるが、彼の頭に有ったのは、屋敷を無断で壊された苛立ちだけであった。


「すまんすまん。邪魔されてつい、な。弁償するから、後で家に言付けてくれ」

「ならいい」


 壮年の男が葉巻の灰を落とす。


「そう言えば、アレはどうなった?」

「別荘に行かせたよ。ゴミみたいなのがわらわら付いていたから、ここに置くわけにはいかなかったからな。臭くてかなわん」


「いいのかよ? 神官を粗末にすると聖霊の罰が当たるって言うぞ?」

「下らん。それにだ。使い勝手があるからと、宰相閣下に押し付けられはしたが、管理の仕方まで口を出されてはいない」


「ああ、そう言えば宰相はお前の叔父だったよな。で、奥さんが熱心な……」

「そう言う事だ。本当に、出しゃばる女は面倒で好かん。女など男の道具であれば良いのだ」


「まあ、酷い言い草ね」


 紫煙揺らめく空気の中に響いた、冷たい少女の声音。

 男達の顔が瞬時に強張り、バネが跳ねるようにして、それが聞こえて来た窓の方を向いた。


 白い髪。

 白い翼。

 そして白いエプロンドレスと、黒いメイド服。

 彼女が投げた二つの塊が放物線を描き、男達の前に落ちて転がる。

 それらは断末魔の表情を刻まれた衛兵達の首であり、それを認めた青年が魔導剣を抜剣した。


「ギャアアア!!」

「な!?」


 それを握る右手ごと細切れにされた青年が絶叫を上げ蹲る。

 血の臭いが部屋の中に噴き上がり、それを少女は面倒そうに見て、思い出したように後ろのカーテンを広げて窓を開けた。


「ちょっと臭うので開けさせてもらいますね」


 葉巻の紫煙と血、そして青年から漂う排泄物の臭いが、シーリングファンの木の羽によってゆっくりとかき混ぜられていく。

 

 そこに開け放たれた窓から埃っぽい風が入り、午後の褪せたの光が、アンティークの家具達を照らし出した。


 その光景は、窓辺に断つ有翼の白と黒の美しいメイドと、そこに終わり往く町の静けさが重なり、古い時代の写真の色褪せたような雰囲気を醸していた。


「……俺達に何の用だ?」


 壮年の男が少女に問い掛ける。

 皺の刻まれた顔を、幾つもの汗が、その肌を伝い落ちて行く。


「情報を売りに、です。いきなり襲い掛かって来なければ、ウチもこんな対応をせずに済んだんだけどね」


 窓から離れた少女が歩み寄り、テーブルの上に数枚の写真を広げた。


「あなたならこれを良いお値段で買うだろうなあ、と思いまして」

「これは!?」


 モノクロの画像に写るのは、青年と少女の姿。そして少女の方にこそ、男が驚愕の声を上げた理由があった。


 彼らが血眼になって探し求めている存在。

 水の聖女という世に知られた姿の裏に、ある錬金術師としての顔を持っていた少女。


、もっと欲しいのでしょう? あなたも、も」

「……いいだろう」


 男は懐から出した小切手帳に、さらさらと数字を書き込み、その一枚を千切って少女に渡した。


「確かに。お買い上げありがとうございました。領収書はご入用ですか?」

「不要だ」


 ニコリと微笑んだ少女が、更に一つの封書を写真の上に置く。封蝋には翼を持つ月の紋章が刻まれていたが、男の記憶には思い当たるものが無かった。


「ここに半年分の彼女の動向が記されています。ご確認ください」

「……用が済んだなら出て行ってくれ」


 陽炎のように少女の姿が揺れ、瞬きをする間もなくその姿が消えた。

 男は強い眩暈を覚え、ふらついた自分の身体を、投げ出すようにして椅子の上へと降ろした。

 心臓が激しく動き、噴き出す汗は止まらない。動くのも辛い中で、ふと青年が静かな事に気が付いた。

 精一杯動かした視界の中で、事切れた首無しの死体があった。

 三つの首が血溜まりの中で、揺れる陽の光に照らされて、白く濁ったまなこを何処かへと向けていた。

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