記者と道化の戦場

 学生時代、俺は優秀な部類の人間だった。

 試験の順位では一桁より下に行った事は無く、武術においては同学年で負け知らずを通した。

 

 王立大学や軍大学に入り、官僚や将校となる未来もあったが、選んだのは記者として生きる道を選んだ。

 

 この国は王が治め、その代理人たる貴族が治めている。

 平民、いや市民との格差の是正が叫ばれ、現ノツン陛下の下ではその改革も大きく進んだ、と言われている。

 しかし、そんなものはまやかしだ。

 

 若い俺は、正義はあると信じた。

 青臭かった俺は、その信念に情熱を燃やした。

 

 自分の仕事には、市民を守る力があると思った。

 

 ……。

 

 結局どんな綺麗事を口にしても、貴族にとって市民とは、地を這う虫けら程度の存在で。

 

 金も力も無く、独り突っ走っていた俺には後ろ盾さえも無く。

 ペンだけを握りしめてブンブン飛び回っていた俺は、権力という名の手によって、簡単に地面へと叩き落とされた。

 

 * * *


 ガーガー。

 車載ラジオの摘まみを回す。

 

(この車もガタが来たな)

 

 ガー、ガー、『本日……に……が』。

 

「えい!」


 ズドンッ!


 アールマが可愛らしい声で打ち下ろした右手の手刀が、冷汗の出る音を出して愛車のラジオを叩いた。

 

「なあアールマさん。俺はこの車のローンを、先月やっと払い終わったんだが」


 近頃は、大衆の手がギリギリ届く所までの値段になった魔導車。

 しかし、大手MCPの記者といっても平である俺には、そのゼロの数に相当の覚悟を必要とし、妻への必死の土下座の末にやっと手にすることができた物だ。

 

 広大なルーネの都市の中を駆けずり回る記者の身として、これほど頼りになる物は無く、今では無二の相棒であると思っている。

 

「あ、ごめんなさい先輩。うちの姉が機械はこうして直せって言ってたから、つい……」

「次からは気を付けてくれ」

「はい、ごめんなさい」


 彼女も俺の懐事情を思い出したようで、素直に謝罪してくれた。


「……」

「……」


「……」

「……」


 気まずい沈黙が横たわり、エンジンの音だけが耳を打ち続ける。

 

かしましいのもあれだが、大人しくされると間が持たねえな)


 アールマは掛け値なしに、絶世と呼ぶに相応ふさわしい容姿をしている。

 

 学院時代には貴族や市民の出の、美しいと言われる女達を何十人と見た。

 学院を卒業して記者になってからは、方々に老若関係なく存在する、一流と称される女達と飽きる程に接してきた。


 その彼女達と比べてもアールマは別格の美女であり、彼女を宝石に例えるならば、その他は個性的な石ころと呼ぶのさえ過分という評価になってしまう。

 

 若い頃に初めてアールマと会った時、彼女はMCP社の新入りとして俺の下に付けられた。

 三年間を先輩後輩の関係で過ごし、ある事件で彼女と別れる事になったとき、俺は彼女の驚愕きょうがくの真実を知った。

 

 俺達のちぐはぐな互いの呼び方はそれに起因するが、その滑稽こっけいな有様は、俺にとっては緊張を紛らわす一助になってくれている。

 

 信号を越えて角を一つ曲がった時に、調子の悪かったラジオから、明瞭めいりょうな音声が流れ出した。


『繰り返します。本日零時に司法院よりモロ国民大臣への逮捕状が発行されました。この緊急事態には、ロカントス陸軍大臣とネリンタ魔法師団長の強い働きかけがあったといいます。また、ゲレンタ宰相は主要関係者の招集を行っており、王城は慌ただしさを時間と共に増していっています』


「直りましたね~」


 アールマの声にいつもの調子が戻った。


「査定が気になるわっ、くそ」


 若さなど大分前に失ったおっさんだが、それでも彼女の「よっしゃあ」という声に、ホッとした。


 ブレーキを踏んで減速し、シフトを下げる。

 武装した騎士や魔法士の姿が目に付き出して、丈の低い家屋の向こうには、闊歩する戦闘ゴーレムの姿が見えた。

 

 街の気配が変わり、鉄火場特有の肌がひりつくような空気が周囲を覆っている。

 

「アールマさん」

「はい」


 左の助手席に座るアールマがペンダントを取り出して、その黒い宝玉へと意識を集中させる。

 本人は「大した事じゃありませんよ~」と謙遜するが、彼女が使う索敵魔法は恐ろしい精度で以て、広大な範囲の情報を狩猟する。

 

「騎士団の機甲部隊が出動し、都市警察の特務部隊も移動中です。開拓者のS級【至閃剣 レイモン・キルヘネス】は動かないようですが、A級が五人、モロ国民大臣の山荘の包囲に加わっています」

「おいおい、マジで戦争だな。もしくは老竜の討伐か」


「王国軍の第二と第三の生き残りが、モロ大臣の元に集結しているようですね。他にも穏やかならぬ関係者の姿が幾つかありますね」

「モロに協力していたカーメン・ファミリーが潰れたのはバンザイだが、お陰で状況が読み難くなったな」


 この国で最強の名を挙げるなら、真っ先に浮かぶのが第二軍のツノメルス将軍。

 そして次点となるのは至閃剣ではなく、カーメン・ファミリーの若頭である【溶岩烈拳 ズモモン・ヂンタッタ】。

 彼らは個で軍を破る力を持っており、常人が描く盤面など、容易くひっくり返す事が可能。

 

 しかし溶岩烈拳には、魔法士団を統べるネリンタ団長との繋がりがある。

 利で以てカーメン・ファミリーをき、情で以て溶岩烈拳を説くというシナリオも、決して難しいものではなかった。

 だがカーメン・ファミリーは溶岩烈拳と共に、正体不明の何かによって消されてしまった。

 単なるマフィアの抗争の結果というなら簡単な話であり、NCPの中でも、競合関係にあった隣国の『アゲマドン会』が犯人だと主張する者もいた。

 

 それを俺の勘はノーだと告げる。

 

(あれはそんな可愛いモノじゃない)


「先輩、どうかしましたか?」


 知らず、隣に座るアールマを見ていた。

 

「いや……」


 俺達が今追っているのは、モロ国民大臣だ。

 額をパチンと叩いて、意識を本来の仕事へと戻した。

 

 アールマの指示によって、俺の魔導車は騎士団と警察の検問を回避して、モロが立て籠もる山荘への道を直走る。

 

「一時停止を二十秒……。出してください」


 十字路の先を戦闘ゴーレムが走り去って行った。

 進む度に、騎士や警察の人員の密度は濃くなっていくが、俺達は捕まらない。

 

「なあ……。アールマさんがこの事件の黒幕じゃないだろうな?」

「まさか。こんな美少女に悪人が務まるわけないじゃないですか。前に占い師のバイトもしていたので、その経験から得た技ですよ」

「そりゃ凄い占い師だったんだろうな。今からでも復職しろよ。記者よりも余程向いてるぞ」

「ま! 酷いわ。こんな記者になる為に生まれたような私に、記者以外になれだなんて。しくしく」


 向かいの空で爆炎が爆ぜた。

 

「始まった!!」


 戦端が開かれたのだ。

 強い魔力の波動が走り、次々と攻性魔法が放たれる。

 

 その中を飛翔するゴーレム達がぶつかり合い、向かい来る者を砲火が穿ち、交差する敵を刃が斬り裂いて行く。

 

 流れ弾が此方の方にも着弾し、飛び散った道路の破片が俺達の方へと降り注いで来た。

 

 ハンドルを切って切って切りまくり、シフトレバーをぐるぐる回し、アドレナリンの放出のままにアクセルとブレーキのタップを繰り返す。

 

「晴れ所によりゴーレムの残骸が降って来るでしょう。お出かけの際には防災頭巾をお忘れなく♪」


 ベコンッと音がして、天井の一部が低くなった。


「この前ローンが終わったばっかりなのに! クソッたれが!!」

 

 これが終わったら、絶対に会社へ経費申請してやるぞ!!


「つーかアールマさん! 手が空いているなら結界でも張ってくれませんかね!?」

「あ、そうでした」


 アールマが懐から魔導短杖を取り出して魔法を使うと、車体を防御結界が覆った。

 

「最初から、してくれよ」

「すいません。ナビに集中し過ぎてました」


 車の正面から劫火ごうかの壁が迫り、避けられずにその中を走り抜ける。

 結界があと少し遅かったら、俺達は灰になるまでローストされる所だった。

 

「あーもうっ、出るぞ!!」

 

 炎を抜けた時、そこに戦場が現れた。

 

 数刻前までは、瀟洒しょうしゃな建物が立ち並ぶ別荘地だった。

 それが今、散らばる瓦礫がれきえぐれ果てた地面が続く、広い焦土の原と化していた。

 

「状況は、こっちの方が優勢のようだな。アールマさん、運転代わってくれ」

「あ、はい」


 助手席に移り、カメラを戦場へと向け、シャッターを切る。


 地上の戦いは騎士団と魔法士団、そして開拓者達がモロ側の軍勢を押していた。

 そして空では、一機のゴーレムが次々と他のゴーレムや戦士達を、その手に持つ大剣で斬り裂きながら飛び回っている。

 

「あれは【魔剣殺し】の【アームド・ジオゴブリン】だな。噂には聞いていたが、本当に強いな」


 A級開拓者【魔剣殺し タケル・イズモ】が駆る戦闘装甲ゴーレム。

 彼の実力は並みのS級開拓者を凌駕しており、極大の脅威たる魔剣獣ビースト・エッジさえ、単独で討伐することができるという。

 

 前にインタビューしたときに、「国からの拘束が強くなるので、S級にはならない」と彼は答えていた。

 

「おお~。これはもうすぐ決着するのではないですか?」

「だな」


 俺達が話している間に、モロ側のゴーレムの最後の一機が地面に落ちて爆発した。

 勝鬨かちどきが上がり、地上の戦闘もモロ側の敗北で決着したようだった。

 

「これで終わりか」


 カメラのフィルムを交換しながら呟いた俺の言葉に、アールマが首を振った。

 

「いえ、出てきますよ……。今!」


 山荘の立つ丘陵の頂上から、何かが空へと翔け上がった。

 一瞬だけ目が捉えた、閃光のような速度で飛行するそれは……。

 

 美しい、青い竜の姿をしていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る