記者と道化
~ ムーンクレイドル・ペーパー社 ルーネ支局 ~
『おいカーメン・ファミリー壊滅の原稿は書き上がったのか!』
『ツノメルス将軍がクレタニアに通じていただと!?』
『更地の写真ばっかりじゃねえか! もっと考えて撮りやがれ!』
『第二軍と第三軍が亡命! 裏付けはあるんだろうな! 下手な話書いて単なる名誉棄損で終わってみろ! 貴族様共の正当な報復で、うちが物理的にぶっ飛ぶんだぞ!』
『すんませんってオウム返ししてる暇があったら、さっさと撮りに行け! あと関係施設も取材して、状況をもっとはっきりさせろ! 便所紙刷るんじゃないんだからな!』
『あと将軍と犬猿の魔法士団にも取材入れとけよ! 客観的意見って事で載せれば、うちへの矛先を上手く躱せるからな!』
社内を怒号が駆け巡る。
誰も彼もが興奮した牛みたいに走り回っている。
「ったく、面倒くせえ時期に、面倒くせえ事が起こるもんだな」
煙草を吹かして、根元まで
「もっとネタが無い時に起きやがれってんだ。市場祭前ってバカじゃねえの。過労死しちまうわ」
紫煙に包まれて悪態を吐きながら、原稿へひたすらにペンを走らせる。
ペンが止まると、何十枚もの写真を吟味して選び出した一枚を、フォルダーから取り出して確認する。
そしてまたペンを原稿へと走らせる。
「あ。先輩、お久しぶりです!」
「うん?」
机から顔を上げる。
薄い金色の髪を肩口で切り揃えた、オッドアイの少女が手を振っていた。
「飛ばされたって聞いて心配してたんですよ」
今時の若者がよく使う、きゃぴきゃぴした声が耳を打つ。
王立学院に通う俺の娘も、前に外で友人達と一緒にいるのを見た時、こんな声でしゃべっているのを見て驚いた記憶がある。
「お久しぶりですねアールマさん。大変お元気そうで何よりです。いやあ、いつ見ても若々しい」
「そりゃあ十七歳ですからね! 風邪にも罹らず、元気いっぱいですよ!」
人差し指と中指をVの字に突き出された、瑞々しい肌の右手をまじまじと見る。
(手の肌にはトシが出るっていうが……。十八歳になる俺の娘よりも若そうだ、としか分からん)
「あら、じっと見ちゃってどうしたんですか? チョキチョキ」
アールマの指が、ハサミの様にうざったらしく動く。
「なあアールマさん、前にも言ったけど、その先輩というのは止めてくれないか? どうにも背筋がゾワッてして仕方がない」
「え? でも先輩が『俺の事は先輩と呼べ』って言ったじゃないですか?」
チョキチョキ。
「『ちゃん』付けやら変なあだ名がウザかったからだ。だからもう普通に呼んでくれ、普通に」
「え~」
困った顔で、口だけは楽しそうに笑う、自称十七歳のハーフエルフの女。
「あ、そうだ。先輩聞きました?」
「……何だ」
結局『先輩』呼びか。
「カーメン・ファミリーが壊滅したんですって!」
「知ってるよ」
我がMCP(ムーンクレイドル・ペーパー)社パンドック王国ルーネ支局は、それで蜂の巣を突いた所じゃない大騒ぎだ。
「じゃあツノメルス将軍がクレタニア王国と通じて
「……今お前の後ろを、若いのが叫びながら走って行っただろうが」
俺も暇じゃないだがな。
遊ぶなら
「え~と、え~と。ん~~~」
メトロノームの様にアールマの頭が揺れる。
「大体その類の話を俺の所に持ってきても意味ねえだろうが。この部署は畑違いなんだぞ」
相手をするのにも疲れた俺は、金髪頭から目を離し、書きかけの原稿の続きへとペンを走らせる。
「あ~あ。先輩も前は素直で可愛かったのになあ。社会に揉まれて、すっかりおじさんになっちゃった」
「はいはい。おじさんは忙しいですからね~。クソ課長殿が締切を前倒しして、これを明日の午前一時には仕上げなくちゃならねえんだよ!!」
力任せに押し付けたペン先からインク飛び出し、原稿の広範囲に散ってしまった。
「チッ、魔導杖は何処に転がしたっけか……」
原稿の修正に使う水魔法の制御は結構繊細で、専用の魔導杖が無いと
先月退職した百六十歳の先輩ドワーフも、インクの染み抜きに対して『職人』と称えられていたが、魔導杖無しで完璧にできるようになるまで、二十年掛かったと言っていた。
「結構ダメージがデカいな。間に合うのかコレ……」
文字のインクと汚れのインクの識別が特に難しい。
新人は雑用として、このシミ抜きをやらされる。
体育会系で大雑把な奴程、これに精神をやられ、
「あれ? マジで何処にやった……」
引き出しの全てにナシ。
机の下には、ナシ。
「多分この辺に……」
ロッカーの中、ナシ。
「さっき飯食ったときにはあったはずだぞ……」
焦りが出て来る
「先輩~、お困りですか~?」
「すまんがお前の相手はできねえんだよ!!」
マズい。
締切。
「でも~。先輩の探している魔導杖なら此処にありますよ~」
「なんだと!?」
振り返ると、アールマの左手が俺の魔導杖をクルクル回して遊んでいた。
「それと、染み抜きしときましたんで。はい、どうぞ」
「お、おお。ありがと」
渡されたスティック型の魔導杖は、確かに俺の物だった。
「何処にあったんだ?」
「先輩が夕飯を食べに出る時、そこの本の山の上に置いたでしょ。その後ろにあったから、転がって落ちたんですよ」
「そうか。あの時か」
「眠そうにしてましたからね~。忘れちゃっても仕方ないですよ」
「そうか……。そういえば、アールマさんはいつ此方に来られたんですか?」
「ついさっきですよ。祭り前の混雑に加えて、警察やら裏の方やらがわんさか出てて、歩道も道路も、超大渋滞でしたよ~」
ホントに疲れた~、と汗一つない顔でアールマは言った。
「そうですか。ちなみに俺が夕メシに出たのは、三時間前なんですがね。『ついさっき来た』とおっしゃったアールマさんは、何処でそれを見ていらっしゃったのですか?」
「……。『ついさっき』、それが三時間前でも別に通じるじゃあないですか~」
「カーメン・ファミリーの本拠地壊滅が判明したのが、つい一時間前ですよ。それまでは出鱈目な規模と精度の幻影魔法が敷地を覆っていて、入口は【溶岩烈拳】本人と見分けが付かない、魔法兵の人形が封鎖していましたからね」
「それは言ったじゃないですか~。そこで聞いたって」
「三時間前にはマータ局長の四股不倫の件で局内大騒ぎでしたよ。一番アールマさんが好きなタイプのネタですよね?」
「えっ、何それ!? 先輩詳しく!! ……あ」
アールマの頭が、上を向き左を向き、右を向いて止まった。
彼女の視線の先にある壁掛け時計は、現在午後二十時を差している。
「アハ、アハハハハ―」
「もういいですよ。俺は原稿に戻るから、邪魔しないでくれよ」
原稿の染みは、完璧に消えていた。
俺の魔導杖を使った形跡は無く、彼女は魔導杖を持っていない。
―― 『職人』と呼ばれたドワーフは、魔導杖無しでの完璧な染み抜きを身に着けるのに、二十年掛かったと言っていた。
俺が原稿にペンを走らせ始めると、アールマは、ホッと息を吐いた。
「いや~、はは。流石は先輩。記者歴三十年は伊達じゃないですね」
「……」
流したのに、自分から話を戻すなよ、と思った。
「そんな先輩に特ダネです!」
「!!」
原稿と、握っていたペンが一瞬で消えた。
しげしげと原稿を眺めるアールマは、苦笑していた。
「『ヌメビオス王国の珍獣ヌッシーがパンドック王国に初上陸! 愛らしい長首姿に子供達が大興奮!』って。栄えあるルーネ支局の社会部、そのエースたる先輩が書くようなことですか?」
「返せ」
「前は『俺は最後まで、ペンで戦ってやる』と言ってましたよね」
「知らん」
「娘さんの事ですか?」
「……違う」
時計の長針は六の字を差していて、すぐに一目盛分だけ、先に進んだ。
「ふむ」
一歩、アールマが前に進んだ。
二歩、アールマが前に進んだ。
赤と碧の、色の違うオッドアイが、俺を見下ろした。
「『正義を貫く』のは私達の仕事じゃありません。『悪を告げ口する』のが私達記者の仕事です」
「……」
「カーメン・ファミリーは壊滅し、ツノメルス将軍は消えちゃいました。先輩においたをしたモロ国民大臣は丸裸ですよ」
「
「それはフリーの凄腕記者であるゲルトちゃんですから」
―― だから。
「我が【
アルーマこと、【ゲルトルード・アールマ】の異名は【
MCP社の雇用名簿と国民省の外国人登録簿、開拓者協会の外部閲覧用の登録名簿にも。
【風筆の歌】の異名で以て、【ゲルトルード・アールマ】は登録されている。
この人類社会において、彼女を認識する個の名前は、確かに【風筆の歌 ゲルトルード・アールマ】なのだ。
しかし。
俺は、それが偽りだと知っている。
本当の異名が【封櫃の唄】であることを知っている。
そして、だからある疑問を抱いた。
『人類社会の名前が偽りだというのなら、アールマが本当に
と。
「……信じて、いいんだな?」
「ええ」
俺が見上げているのは、ハーフエルフの少女だ。
だが、俺がそこに視たのは、強大なナニカの影だった。
「ふふ。じゃあ先輩、早速行きましょうか」
アールマの手が原稿に伸びて、すぐに丸め、ゴミ箱へと放り投げた。
「おい!? ちょっと待て、締切が!!」
青褪める俺。
それを無視して、左手に俺の襟首を掴んだアールマが、出入口へと進撃する。
すっごい力で、全く抵抗できない。
学院時代は学生剣術の王国チャンピオンだった俺が、だ。
「大丈夫大丈夫。明日には取締役会の顔が全部変わりますから、『クソ課長』さんもいなくなりますよ」
「……、そっか」
ズルズルとアールマに引きずられる俺を、誰もが注視する。
大体は無視して顔を背けるが、眉を
不快な視線が、身体中に突き刺さる。
(昔は、こうだったな)
記者の仕事に情熱を燃やし、『俺は最後まで、ペンで戦ってやる』と叫んで一匹狼を気取っていた頃は、殆どの者がこうだった。
やっかまれ、煙たがられ、邪魔だと追い払われた。
だがそれも、俺の勲章だと、前に進み続けた。
そして、『本当の権力者』に潰されて左遷された俺は、誰にも見えない透明人間になってしまった。
記者としての俺は、死んでしまった。
「なあ、アールマさん」
「何でしょうか先輩」
「俺は、記者に戻れると思うか?」
「知りませんよ、そんなこと」
女々しい質問は、バッサリと斬り捨てられた。
「でも、今は少し先輩らしい顔になってます」
「女に引きずられている、情けない今の俺がか?」
「はい!」
振り返ると、楽しそうに笑う、碧の瞳と視線が合った。
自分の頬の熱を感じて、慌てて正面へと視線を戻した。
会社の廊下が、そこに連なる部屋のドアが、後ろへと遠ざかり去って行く、不思議な光景だった。
懐旧の情が、目から溢れる。
それで、理解した。
これこそが、俺がかつて見ていたものだったと。
この光景こそが、記者である俺の、本当に進むべき道なのだと。
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