国境紛争 三

 その力を美しいと思った。

 

 創造神ゼバの恩寵おんちょうたる奇跡が、輝けるステンドグラスの光の中に描かれるように。

 一人の狼獣人の振るう破壊の力は、現実に立ち尽くして見る、白昼夢の幻想のようだった。

 

 戦場となって蹂躙された無毛の地は、土の濁流が荒れ狂う魔海と化した。

 その中を泳ぐ、塔よりも巨大な蛇身を持つ木の魔竜達が、逃れようとする者達を顎門あぎとの中へと喰らっていく。

 

 それでもなお空へと逃げることができた者達は、蒼穹そうきゅうを閉ざす風の結界の中で、粉微塵に砕かれていった。

 

 勝利を叫んでいた者達は、同じ口で救済を天へ乞い叫んでいた。

 

「助けてっ!!」


 猛威を振るう土砂の中に呑み込まれて。


「聖霊よ聖霊よ聖霊よ!!」


 防御結界など意味を成さず。


「死んでたまるか!!」


 魔竜に挑んだ者達は、己の刃を突き立てる事も叶わず、その命を喰われていく。

 

 パンドック王国の者達は強かった。

 クレタニア王国の者達は強かった。

 

 それでも、人の強さでは、あらがえるものではなかった。

 

『『ガアッ!!』』


 天顕魔法てんけんまほうとして顕現した高位存在たる巨大な水亀が、その双頭に強大な魔力を集中し、渾身こんしんの力を振絞るようにして水のブレスを放った。

 

 虚空を翔ける超高圧の膨大な水は、一人の狼獣人だけを狙い驀進ばくしんし。

 

「チッ」


 戦獣騎の右肩の付け根までを覆う、巨大な木の籠手ガントレットを纏った右拳の一撃を叩き込まれた。

 

 大地が激震した。

 

 濛々もうもうと水煙が一帯を閉ざし、それはすぐに風にさらわれて、甚大な破壊の光景が現れる。

 水亀のブレスの射線上の全ては大きく抉り取られ、それはある一点に至った所で大きく弾けていた。

 

 底の見えない爆発跡より伸びる崖のような地面の上で、悠揚と右拳の開閉を繰り返す、汚れ一つない戦獣騎の姿。

 

 彼の対面で向かい合うように佇む水亀は、その双頭を失っていた。

 

「弱い。が、エサにはなるか……」


 戦獣騎が右腕を上へと掲げる。

 伸ばされた指、手刀の形となった右手が、澄んだ輝きを持つ名剣の如き、凍てつくような気配を放つ。

 それに沿うように、籠手から緑の枝葉が伸びていき、巨大な剣の姿を形作る。

 

 その緑の剣に感じたのは、ただ一つのイメージ。

 

 世界を斬る神威しんいの大剣。

 

 灼熱した鉄のような赤い眼が狙う先を見据え、高位存在の現身うつしみたる水亀の巨体が、その視線を恐れ逃げようとする。

 

り喰らえ、ミストルティン・ドラゴン」


 ヤドリギの大剣が振り下ろされた。


 それだけで、世界の景色がズレた。

 

 彼方の雲の中に青い切れ目が見え、連なる尾根は縦一文字に斬り裂かれた。

 

 そして、狼獣人から逃れる為に一歩二歩と歩みを進めた水亀は、七歩目で身体が左右にズレ落ちて、水滴の一つも残さずに消滅した。

 

 戦獣騎が歩く。

 凄まじい覇気を放ちながら進む彼を止めようとする者は、もう誰もいなかった。


 ……。

 ……。

 

 荒れ果てた大地は、戦獣騎の魔法が収まると同時に、ただの森へとその姿を変えた。

 

 戦場の痕跡は完全に消え去った。

 むくろの一つもなく、兵器の残骸ざんがいの一つとしてない。

 

 木々が生い茂り、穏やかに緑の揺れるこの場所で戦いがあったなどと、誰も思うことは無いだろう。

 

 戦獣騎が歩みを止めた。

 

 彼の前には、草の生えた地面に膝を突き、呆然ぼうせんとした一人の男がいた。

 

 この戦場で唯一生かされた男であり、パンドック王国軍を指揮する将軍だった男。

 公爵の家に生まれ、学院では次席を取り続け、後に親友たる第一王子と共に現王と争った男。

 

 王国最高の魔力量を持ち、心道位を得ていた彼は、継承戦争を終えてから王に赦され、数々の実績を積みかさてその側近の地位へと納まった。

 

 今では国中から多くの信をその身に受けており、妻と息子、孫達に囲まれる幸せそうな偉丈夫の姿の写真が、大衆紙に載ったこともあった。

 

「……化け物が」


 焦点の合わない眼が戦獣騎の方へと動き、死人のような、生気を失い掠れた声を口の奥から零した。

 

 それをどうでもいいと無視した彼は、左手をパチンと鳴らした。

 

 映像の視点が変わる。

 

 正面から向き合うようにして映る、この世で最も憎い存在の顔。

 

「そうか、お前か……」


 ここまで力の無い声を聞いたのは、姿を見たのは初めてだった。

 自信家で傲岸不遜。

 生まれと整った容姿もあり、多くの人達を惹き付けていた。

 

「復讐、か?」

「それ以外に何がありますか?」


 コレに産まされた我が息子も、コレとの戦いで死んだ。

 

「ここに戦場はありませんでした。よって、ここに戦いはありませんでした。あなたと、あなたに付き従う者達はクレタニア王国と通じ、パンドック王国から出奔したのです」

下民ゴミの女狐、通じていたのは貴様だろうが。いいぜ、俺を殺せ」


 熱の戻った眼が、私を睨み付ける。

 あの犯されたときから、この眼には随分と怯えてきた。


 そして、それを表に出さないように、歯を食いしばってきた。


「だが覚えていろ。貴様の裏切りを陛下は見逃さない。正当な裁きの元に、貴様は必ずその首をねられるのだ!!」


 ただ今は、この血走った目が、とても可笑しかった。

 

「ふふ、あ―っはっはっ。面白いわ、本当に面白い。よもやあなたの口からそんな言葉が出るだなんて!! まるで歌劇に出て来る忠臣みたいじゃない!!」


 腹の底から笑いが込み上げてくる。

 そんな綺麗なものとは掛け離れたクズでしょうに。

 

「そんな心配をあなたがするなんてねえ。暴虐と裏切りの人生を歩んできたあなたが!! ええ、でも大丈夫ですよ。陛下も、あなたの家族も!! すぐにあなたと同じ場所に送ってあげますから」

「何だと!?」


 流石に立ち上がり私へと襲い掛かって来たが、一歩を踏み出す前に足をもつれさせ、顔から地面へと転んでしまう。

 震えながら泥だらけの顔を上げる姿が、実に滑稽だった。

 

「貴様には!! 王国の軍人としての誇りが、王への忠義は無いのか!?」

「それは王といえども、誠意があってこその話でしょう? 私の一番許されない場所で裏切った相手に、忠義などあるものですか」


 継承戦争の結末。

 王側で最も戦功を上げた私は、王にコレの処刑を願い出た。

 

 爵位も恩賞もいらない。

 ただ、コレだけは殺してくれと。

 

 涙を流し、地に頭を擦り付け、必死に懇願こんがんした私に王は言った。

 

『ならん』


 と。

 

「戦火の絶えぬ、このワトナ半島に位置するパンドック王国にとって。争い疲弊した国を手に入れた王にとって。あなたの力は必要不可欠だったのでしょう。でもね、あなた達はもう不要なのです」


 コレは虚空にある私の姿を、ただ震えながら睨むだけしかできない。

 天顕魔法を破られたフィードバックのせいで、動く力は残っていないから。

 

「この国は生まれ変わります。争いを生む愚かな『たっとき血』を絶やし、市民の意志によって国家を適切に営むのです」

「貴様は!!」


 目はこれでもかと血走り、顔には狂ったような怒気が満ちていた。

 

 それを見て、区切りとした。

 

「戦獣騎様。ありがとうございました」


 戦獣騎の右手がひらめいた。

 

「待ってくれ!!」


 懇願こんがんの叫びを一つだけ口から出して。

 綺麗に断たれた仇敵の男の首は、ボトリと地面に落ちて転がり、その顔を汚れた泥にまみれさせた。

 

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