国境紛争 二

 人はいつか必ず死ぬ。

 

 望み歩んだ道の果てで死ぬのか。

 外れ迷い何処と知れぬ場所で死ぬのか。

 

 それは例え魔法を以てしても、知り得るものではない。

 

 ただ。

 

 親となった者として。

 己よりも狂おしい程に大切な、分け身たる者を生み育てた者として。

 

 我が子には、その生を光の中で全うして欲しいと願った。


  * * *


 戦場の流れが変わった。

 

 押されていたパンドック王国軍が、押し込んでいたクレタニア王国軍への反攻を始めたのだ。

 

 兵は互角だった。

 将も互角だった。

 

 ただ用いる兵器において、パンドック王国は負けていた。

 

 それを覆したのは、パンドック王国軍の先頭を闊歩する、双頭を持つ巨大な水の亀だった。

 

 水亀の口が吐き出すのは、超高圧の強力な酸の水。

 

 魔法防御も魔術防御も意味を成さずに、クレタニア王国軍の全てが容易く斬り裂かれていく。

 

 飛び散る水飛沫も、それを浴びたものを、瞬く間に溶かしていく。

 

 パンドック王国軍の第二軍を統べる将軍の、秘奥たる天顕魔法が戦場を蹂躙する。

 

「あれが、……将軍閣下の」

「凄まじいな……」


 後ろに控える部下達が驚愕きょうがくの声を漏らし、チラリと振り返れば、その顔は畏怖の感情に染まっていた。

 

 彼らも私の側近になる程度には、パンドック王国から選び抜かれた、最高のエリートたる魔法士達だ。

 その彼らでも、天顕魔法の領域には手を届かせることができない。

 

 この国の現在の天顕魔法の使い手は私との将軍だけであり、有史において数えるならば十一人しかいない。

 

(……っ)


 不意に脳裏を過った過去の光景が、私の心に強い痛みを与えた。

 それを表に出さないようにと努めながら、パンドック王国へと天秤の傾いた戦場を見続ける。

 

 甲高い音を響かせて、上空を翔ける有翼のゴーレム達が水亀へと迫る。

 二十機のゴーレムが放つ、無数の砲火の光と攻性魔法の嵐。

 

 土砂が炎と共に幾つも噴き上がり、雷電がのたうつ大蛇の様に周囲を焼き尽くす。

 

『『オオオオオオオッ』』


 天顕魔法の咆哮。

 そして、水亀を中心にして膨大な水が渦を巻く。

 

 それで終わった。

 

 ゴーレム達は消え、クレタニアの兵の殆どが消えた。

 パンドック側で気勢が上がり、クレタニアから戦意が消失した。

 

 パンドック王国軍から勝鬨の声が高らかに上がる。

 

 率いるのは王の信頼厚き側近たる将軍。

 彼に付き従うのは、忠誠を誓った誉れ高き騎士達であり、熱烈な愛国心を持つ信奉者たる兵士達。

 

 十年前の王位継承の争いを制したのは、若き時より傑物と評されていた第三王子。

 その見目麗しき国王の元に国民は熱狂し、栄光の未来を想い、一丸となって王国への愛を叫んでいる。

 

「戦獣騎様」


 願う。

 

 最も頼りとした己の杖にではなく。

 聖霊にでもなく、悪邪でもなく。

 

 狼獣人の、自分よりも若い一人の男へと。

 

 血と炎と鉄の臭いが届く場所に居るのに、私の心は熱を感じない。

 

「契約の元、蹂躙じゅうりんを……」


 赤い眼が私を見る。

 空虚な老婆の姿がそこに映る。

 

 闘争の炎が渦巻く紅の中で、心の枯れ果てた私は、灰になり消え去る事を望んでいる。

 それでも。

 

(私が抱く、最後の願い)

 

 この胸に抱く復讐の成就。

 

 悪邪へと生贄いけにえを捧げるようにして、人外の遥か高みに立つ、強大なる獣へと頭を下げた。

 

「いいだろう」


― ジャラリッ ―


 鎖の鳴る音の幻が聞こえた。

 

 甲板から飛び降りた戦獣騎が地面へと降り立ち、ゆっくりと戦場へと歩いて行く。

 

 静かな歩み、静かな背中。

 

 それに、心が麻痺する程の、おぞましい悪寒おかんを感じた。

 

「閣下」


 声を掛けて来たのは、長き時を共に歩んできた戦友たる副官だった。

 

「ここが引き返せる最後の時です。あの方は、人が手を触れてよいものではなかったのです」

「ええ。そうですねえ」


 自然と、微笑むことができた。

 

「分相応。この年になってもそれを知ることはできませんでしたねえ。しかし、恐れる事無く進んだからこそ、今の地位に立っているのです。だからこそ、あの強大な存在が齎す結末を、恐れを抱きながら、見届けるとしましょう」


 ただ一人の女が負った傷など、国の前では塵芥だった。

 

 学院の主席を取り続ける平民の女は、貴族達にとって大層目障りだったようだ。

 ある高位貴族の息子に犯され、子を孕み、それでも学院を首席で卒業した。

 

 憎しみの中で産みながら、それでも我が息子を愛し、育てた。

 私は軍に入り、上へ上へと昇って行った。

 

 十年前の前王崩御によって起こった継承戦争で、私は現王の側に付いた。

 敵対する側には、かつて私を犯した男の姿が在った。

 

 首都であるルーネさえも戦火に巻き込んで、王は勝利を掴んだ。

 

 私の息子も、戦って、死んだ。

 

 そして王は、敵対した者達をゆるした。

 

「選択と集中。それは脆弱ぜいじゃくな存在にとっては優良な戦略です。しかし、平穏の中に在って過度なそれは、忌むべき害悪なのです」


 成熟した国家において、属人的な性質による善悪など関係なく、貴族は国家の寄生虫だ。

 魔導学による発展を遂げ、人類が外敵から守られた揺り籠の中で安息を享受できるよになった今、貴族制とは切り捨てるべきものとなったのだ。

 

 優秀な貴族を生み出すよりも、優秀な王を生み出すよりも。

 完成した国家の機構は、最適な為政者を生み出す事ができる。

 

「王と貴族の役割は終わったのです。でしょう?」

「ですな」


 答えたのは、クレタニア王国からの客人。

 

「貴族など、もはや国家の機能を害するだけのものでしかないですな。再分配の機能の阻害は、救えたはずの国民の命を殺しています。我がクレタニアと貴国の友好を妨げるのは、下らぬ貴族共のしがらみ……」


 両国共に、この戦場で戦ったのは、王の懐刀というべき者達。


「一掃するにはお互いに良い機会でしたな」 

「ええ。これで王を守る者はいなくなりますしねえ。新しい国は、良いものとなるでしょうか」

「良くなるかどうかは分かりませんがな。しかし我々市民にとって、納得できるものにはなりますなあ」


 莫大な、凄まじい圧力を放つ魔力洸が、一点から噴き上がる。

 私達の魔力洸とは違う、魂の色を宿した『魂彩の魔力洸』。

 

 濃い緑の色をした、沈香茶とのちゃの魂の輝き。

 

(ズモモン君もこの場所に居たら良かったのにね……)


 息子の親友であり、また私と同じように、貴族によって人生を捻じ曲げられた男の子。

 栄光の道から突き落とされた彼は、マフィアの幹部になってしまった。

 

(全てが終わったら、声を掛けてみようかねえ)

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