後悔と覚悟
~ ボンノウ・イッシン ~
夜への準備が始まる、夕方の店内。
その控室で、僕は大学生の青年と向かい合っていた。
一通りの質問が終わり、『じゃあ明後日からよろしくね』と声を掛けた。
『はい!』と力強い声で青年は頷き、そのまま雑談へと移った。
有名大学の学生である彼が、この店に入った理由は学費を稼ぐ為。
弁護士を目指す彼には、お金も必要だったが、勉強の為の時間も必要だった。
おまけに実家への仕送りの必要も出て、だから僕の店の門を叩いたと彼は言った。
『俺はビッグになります!!』
丸刈り頭に安いスーツを着た彼は、力強い言葉で、自分の夢を語った。
* * *
「では承諾してもらえるかしら?」
「いいよ。ヨハンの首に懸けた賞金は全て取り下げる」
これでヨハンの未来は、エリゼ・ダーンの思惑から抜け出した。
彼女とデバソンは逃げたけど、もうヨハンの未来はあのような形にはならないだろう。
一息吐いた僕を見て、目の前の魔女が微笑む。
「これであなたの望んだ未来は達成できたわね。目を掛けているのは知っていたけど、それを加味しても、大盤振る舞いじゃないかしら」
「同郷の好だからなね。こんな魔境のような世界で迷っている後輩がいたら、手を差し伸べるのは、人として当然の事じゃないかな」
「強突張りのあなたらしくないし、その程度が理由なら余計に納得できないわね」
魔女の懐疑の視線を無視する。
「ったく、パーナの奴勝手しやがって。後始末にどれだけ苦労したと思ってやがる」
黒髪蒼眼の男が、悪態を吐きながらバリボリと煎餅を食べ続けていた。
「殿下もお疲れ様でした」
「ふん。あんなものは鼻歌やりながらでもできる。俺を誰だと思ってやがる」
グビグビとほうじ茶を流し込み、プハーッと息を吐く。
「それよりもパーナが
「ええ。MCP社の方で『特殊な戦闘装甲ゴーレム』として解説を載せるし、盃の方でも裏に話を流しておくわ」
「開拓者と貴族に流す情報も、MCP社と歩調を合わせようにするよ。それでも勘付く者はいるだろうから、探りを入れて来る者へは、『ベルパスパ王国の軍事機密』であり、『国家間の機密事項』として対応することを約束しよう」
男は頷き、傍らの白装束の少女が深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「はい。それに私達とパフェラナの関係は、身内のようなものと考えています。全力を尽くす事をお約束いたします」
次の瞬間、少女の手に現れた刀の切っ先が、魔女の首元に突き付けられていた。
「ご助力は感謝します。しかし深入りはやめていただきたい」
「は~、信用無いわね。単なる言葉の綾よ。お互いに守るべき距離へ踏み込んだりしないわ」
……。
「その言葉お忘れなく」
少女が刀を鞘に納め、煎餅を平らげた男が立ち上がる。
「ま、可愛い娘の為だ。お前らがダメだと分かったら、俺も覚悟を決めてクソ嫌いなアイツに土下座する。お互い色気を出さずに行こうや」
そして少女と共に部屋から出て行った。
「だそうよ。私も忙しいから失礼するわね」
魔女から呂色の魔力が溢れ、転移の魔法陣を形作る。
「一つ質問いいかな?」
「うん? まあいいわ。百年振りの顔合わせだしね」
手短にね、と魔女は付け加える。
「ヨハンを手に入れた君は、創世神の封印を解くつもりかい?」
「ええ、それが私の悲願ですもの。何たって、」
続けようとした言葉は途切れた。
「凄い殺気ね。戦争でもするつもり?」
「この世界の滅びを企むならば、それも是だね」
自分と魔女の周囲に隠れていた者達が姿を現した。
ドレスを纏った紅髪の吸血鬼が笑い、盲目の山洞人の僧侶が魔女を庇うように立ち塞がる。
「大丈夫よユウスイ。カディも剣を抜こうとしないで」
第三席【
第九席【紅滅の牙 カレディナ・ジュノーク】。
その彼らに対峙するのは、直弟子である【幻宝】と【不知火】の二人。
「私はただ義務を果たそうとしてるだけ。もしあの子が世界を滅ぼすというのなら」
魔女は背を向け、そして転移の魔法が発動した。
呂色の魔法陣が消えた後には、三人の姿は無かった。
ただ、魔女が去る寸前に残した言葉は、確かに聞こえた。
『黒翼が止める。その為に私の魔月奇糸団はある』
と。
* * *
青年はホストとして頑張って働いていた。
真面目で愛嬌のある彼は、その頭の良さも加わって、店の内外の人間に愛されていた。
しかしある時から青年は店に出てこなくなった。
しばらくして警察が現れ、青年は殺されたと知った。
よくある『痴情のもつれ』であり、青年と同棲していた女が犯人だった。
二十歳のその女は、所謂『夢見がち』な人間であり、働くことも学ぶこともしていなかった。
面会したときにその女が喚いた、『彼は私の事を解かってくれなかった!!』という叫びが、耳にこびり付いた。
青年を貶し、青年の甲斐性の無さを貶し、自分達の商売を貶した。
目の前で喚く肉の塊に、吐き気がして仕方なかった。
こんな醜悪な塊に、青年が殺されたと思うと、ただひたすらにやるせなかった。
商売柄、女について多くの事を知ることができた。
唾棄すべき、自己愛に塗れた、普通の女だった。
もし、この女の存在を青年が殺される前に知っていたならば。
自分がやれたことは多く有っただろう。
そうすれば青年は夢を叶えて弁護士になり、相応しい女性と添い遂げる未来があったかもしれない。
店の人間は大切な仲間だった。
そして、仲間が殺されたのは、青年が初めてだった。
後悔の念は深く。
それは死ぬまで、死んでもなお自分の心に残り続けた。
* * *
開拓者よりも深い闇に身を置く者達から多くを学ぶことで、ヨハンの危なっかしさも少しは良くなるだろう。
そして、魔剣皇帝へ続く道を歩むならば、『世界』の権能を持つヨハンは、大きな力を得る可能性がある。
今の所、魔月奇糸団はヨハンの成長にとって有用だ。
しかし、グロリアがヨハンをただの捨て駒として利用するならば。
その時は。
「僕の手で。魔女と創世神を斬り捨てる」
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