泉
~ ヨハン・パノス ~
あれから二か月が経った。
俺とパフェラナ、そしてゲルトルードとバルコフは猟師小屋を拠点として、風見の森での滞在を続けていた。
エリゼとの関係から始まり、ボンノウとの戦いで幕を下ろした故郷での日々は、『自分の生きる意味とは何か』という命題を、俺自身に改めて問い掛ける事になった。
愛し囚われ続けた幼馴染と、友人と思っていたその兄の裏切り。
しかしそれは不思議と俺の中に黒い感情を残すことは無かった。
「区切りが付いた、という事なんだろうな」
思いっ切り眠り、そして目覚めたような気分であり、頭は冴えて心地良い。
それはとても長く忘れていた感覚であり、
「とても……。そう、とても長い一年だったな」
泉の縁に佇み、夜の風に晒されながら、脳裏に浮かぶ血煙の景色に浸る。
剣闘大会での極限の死闘。
紙一重の先に死を覗き、『紺碧』に覚醒し、愛への妄執を焼き尽くされた、灼熱の閃光のような経験。
ダンプソンの大剣が放つ圧倒的な破壊の嵐が、ボンノウの刀の遥か高みに在る刃の冴えが、それを思う俺の背筋を震わせる。
恐怖と呼ぶには甘美に過ぎる震えに襲われ、脳髄を走った熱に当てられて、右手は自然と剣の柄を握っていた。
スラリと抜いたの剣を上段に構える。
森を空気は冷え、風の寒さが肌を打つ。
身体を高揚の熱が巡り、闇の先を見据える視線が研ぎ澄まされていく。
闇の中に、泡の様に浮かんでは消える過去の景色。
慟哭する自分の姿の連なりに向けて、踏み込み、剣を振り降した。
剣風が走る。
そしてこの場所の全ての音が途絶えた。
木々の葉擦れの音も、森に潜む生物達の息吹の音も。
残心を解き、剣を鞘に納める。
すぐ後ろから、パチパチパチと拍手の音が鳴った。
「凄い剣技だったね」
木々の影に覆われた虚空は波紋のように揺らいでいて、それを背にした青の少女が、降り注ぐ月の光に照らされていた。
「パフェラナ」
転移魔法の
少し前から、彼女はこの場所に来ていたようだった。
(前にも同じことがあったな……)
一つに集中し過ぎると他が見えなくなるのは前世からの悪癖だ。
とことこと歩み寄って来たパフェラナが俺の隣に立つ。
そして身を屈めて、左手に握る剣の刃を覗き込んだ。
「どんな感じかな?」
「手にかなり馴染んでくれて、とても使い易い。今まで俺が使った剣でこれ程の物は無かったよ」
カグヤから貰った魔導剣は残念ながら、クソ狼の天顕魔法に撃ち込んだ為に完全に壊れてしまった。
竜の角を使ったホーン鋼という超一流の素材を用いて、超一流の職人が作り上げた最高品質の魔導剣たる
帰り道で拾った魔導剣、土錬玉を持つ【
この剣ではダンプソンの大剣やボンノウの刀、そしてバルコフの魔法とぶつかり合うのは不可能だろうと思えた。
『ねえ、よかったら私がヨハンの剣を用意しようか?』
俺が剣を見詰め悩んでいた時に、
彼女と知り合ってから、それ程時間は経っていなかった。
しかし彼女の錬金術師としての腕を見る機会は何度もあり、それが門外漢の俺にさえ理解できる程に、非凡な領域にあることは確かであった。
だから俺はパフェラナに、『頼む』と頭を下げた。
『うん。任せてよ』
それから彼女は『工房』の中に籠り、剣の作成へと取り掛かった。
森の中や近隣の町から調達した素材を渡すとき以外、彼女の姿を見る事は無かった。
その時に見た彼女の鬼気迫る様相に、『これが一流と呼ばれる者か』と思わず息を呑み込み、感じ入った。
そして一昨日、天岩戸が開く様にして工房の中から出て来たパフェラナに、俺は一振りの剣を渡された。
魔導剣【
それはこれまで俺が使ってきた魔導剣とは、一線を画すほどに異質な一振りだった。
複数の特殊合金と錬金細胞が用いられており、錬金術により疑似的な命を与えられた『生きた魔導剣』であると、パフェラナから説明を受けた。
似たような魔導剣をペシエのS級開拓者の一人が持っていたが、青燐の完成度はそれとは文字通りに次元が違った。
パフェラナが作ったこの魔導剣は、自己修復ができ、独自に魔法を使って持ち主の戦闘をアシストする、という程度の物ではない。
青燐を例えるならば、『魔導剣の形をした強大な魔獣』と言うことになるだろうか。
魔導学を齧る程の知識しかない俺だが、それでも多くの魔導武器を見て来た経験から、これが現代の技術水準から大きく逸脱した存在だということは理解できた。
パフェラナの美しい少女の姿に、脳裏を過ぎった特異点という言葉が重なる。
しかし。
「ありがとうパフェラナ。この剣が有れば、俺はこの先を戦っていける」
【最強無敵 ヨハン・パノス】にとっては、それだけの話だった。
「そっか。良かった」
パフェラナがにこりと笑った。
それは、
ちなみに。
俺が森で拾った土錬玉を持つ魔導剣【
拳一握り分も残らなかった黒焦げの需們の破片を見たクソ狼は『チッ』と舌打ちし、俺との壮絶な第二ラウンドの殴り合いを繰り広げた。
結局その喧嘩は、本気で怒ったグロリアによって俺とクソ狼がぶっ飛ばされることで終了した。俺達は全身包帯巻き状態でベッドの上で過ごすことになり、パフェラナの治療魔法を受けながら一週間を過ごす事になった。
クソ狼、グロリア、そしてボンノウや先生の領域で戦うには、自分の持つ全てが人の領域を遥かに超えて行かなければならないと、改めて思い知らされた。
「私の得意分野は機械生命だから、魔導武器はあまり扱ってこなかったんだ」
少し不安だったんだよ、とパフェラナは言って、懐から出した短剣をクルクルと右の掌の上で回した。
「最高の兵器は、同時に最高の芸術品でもある。その領域から、私はまだまだ遠い」
はい、と彼女から差し出した短剣を受け取る。
一切の飾りが無い、木の柄と青い剣身だけの代物。
しかし……。
「これは!?」
吸い付く様に手に馴染む。
極限まで整えられた重心のバランスが、短剣自体の重さを全く感じさせない。
「【酒海鋼】を使っているのか?」
精霊鋼の一つであり、変化の青を顕わす物。
「うん」
極限まで澄み切った剣身は、まるで清流を覗き込むようであり。
刃の中の青い輝きが、流れるように移ろっていく。
短剣の中に精霊の微かな気配を感じるが、それに反して、刃が放つ潮の匂いはとても強かった。
神殿や王城の地下に神器として厳重に封じられていても、不思議ではない代物だった。
「【猿神楽】の異名を持つ、刀匠であり錬金術師の作品。銘は【鏡小町】。とんでもないでしょ?」
「ああ」
この短剣を打った者を評するのには天才という言葉でさえ、甚だ役不足と感じる。
あえて言うならば、【猿神楽】という異名をこそ、唯一無二として称えるものとなるだろうか。
「今はまだ届かない。けど、私は錬金術師として、『いつか超えてやる』って思ってる」
「そうか」
遥かなる星空を見たパフェラナに、『お前ならできる』と、そんな月並みな言葉は出なかった。
その場所に至ることがどれ程の苦難の先に在るか。
いや、人の手で届く領域とさえ言えるのか。
この短剣はそのような隔絶を、作る側でない俺にさえ、自然と抱かせる凄みがある。
だが。
「頑張れ」
パフェラナに掛けた言葉も、自然と俺が抱いた想いだった。
「ありがと」
驚き、ふふっと柔らかく
「私にはね、色々と隠し事があるんだ」
楽しそうな口調で、寂しそうに語る。
「俺は気にしない」
蒼い瞳を見つめ、ただ告げる。
「言いたくなったら、聞かせて欲しい。言いたくないなら、それでいい」
パフェラナの気持ちをこそ大切にしたいと、そう思う。
「それは私があの時ヨハンを助けたから? 私が言うのもだけど、かなり不誠実な事をヨハンにしていると、私自身も思っているよ?」
「最初の問いには肯定だ。後の問いには、それでもいいと、俺は思っている」
逆に俺は。
「【最強無敵】を背負う俺が進むべき道を、至るべき場所を示してくれた事を。心から深く感謝する」
今よりも遥かに遠き時代に生まれ、埋もれた伝説の中より蘇った、人知を超える存在。
【魔剣皇帝 ゼバ・ベクスーラ】。
それを聞いた時に。
そして、パフェラナから青燐を受け取った時に。
俺の身体は、奥底より湧き起こった、圧倒的な熱に支配された。
「俺は生きる意味を見失っていた。師でり目標であった【鏖風奇刃 ハリス・ローナ】は死んだ。愛を得たと思ったら、それは甘く苦い毒酒の幻想だった」
パフェラナに助けられ、生き延びても、自分の目指す場所は分からなくなってしまった。
「進むべき道を見失った。だから強さを希求すること、そしてパフェラナへの報恩。これを残る人生の在り方としようとした。水の聖女の剣として、この命を使おうと思った」
俺の目の奥を見詰めてくる彼女の蒼い瞳へと、そう覚悟を応えた。
「……本当に。ヨハンって呆れるほどにお人好しだよね」
「そうだろうか?」
「ちょっと普通には見かけないんじゃないかな、って位には」
「……そうか?」
「うん!」
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