イズモ認定開拓士事務所

 ~ タケル・イズモ ~


 木の葉を揺らして夏の風が吹いている。

 膝より下を流れる川の水は、空気の様に透明で、水面をキラキラと光が踊る。

 遠くに見える山と空の景色は、自分が生まれた時から変わらない。

 

「おーいタケル、そっちに行ったぞ!!」

「わかった」


 右手に握る銛を構える。

 川を走る魚影に狙いを定める。

 

「っ」


 バシャリと水飛沫が上がった。

 銛の先は大きなフナを貫いていた。

 

「よっしゃ! やったなタケル」

「マジでけえ!」


 銛を掲げる。

 フナの濡れた鱗に、太陽の光が輝いていた。

 

 ……。


 ザアアア――――。

 

 シャワーの温度は高く、立ち昇る湯煙に足先のタイルは見えない。

 

 一瞬飛んだ意識に映った、失った光景。


 タイル張りの壁へダンッと、右拳を叩き付けた。

  えぐれ壊れた壁の破片が、湯気の立つ床へと落ちる音がバスルームに響く。

 

「……」


 一週間前の四千年級の魔剣獣との戦い、その震えがまだ自分の中に残っている。

 

 開拓者になって五年。

 砕いた違法魔剣の数は四百二十五。

 倒した魔剣獣の数は百一。

 

 魔剣は決して無くならない。

 この世界の脆弱な人類の、数多の脅威に対抗するために必要な牙だから。

 今この時も魔剣は作り生み出され、その刃を魔獣や災威に突き立て続けている。

 

 例えエラーが起きて、村の一つが失われたとしても。

 

 それは憐れまれ、そして置き去りにされる。

 

「ユキ……」


 シャワーを止め、開けた穴を魔法で直す。

 身体を軽く拭いて廊下へ出る。

 

「あ、タケルさん。さっき協会から電話が……」


 バサリと少女が抱える書類が床へと落ちた。

 

「キャアア――――!!」


 赤面して両手で顔を隠して後ろを向いた。

 

「どうしたプリシラ?」

「前、前です!! 早く前を隠してください!!」


「? ああ、すまん」


 しばらく街の外に居たから、その感覚が抜けていないようだ。

 

「子供の前でする格好じゃなかったな。失念していた」


 外で活動する開拓者の女は、この程度じゃ動じない。

 それに文句があれば、火球の一つでも放って来る。

 彼女のように反応するのは、まあ少数だ。

 

「私は子供じゃありません!! というか大人も子供も関係なくセクハラです!!」


 セクハラなんて言葉、久しぶりに聞いたな。

 

 * * *


 北東大陸のワトナ半島への途上にパンドック王国はある。

 交易で栄える王国の人口は四千五百万人に上り、その首都であるルーネ市には三百十万人が暮らしている。

 

 海に面するルーネ市は、都市結界と五重の外壁によって守られている。

 この都市の防御力と高い軍事力によって、ルーネ市は幾度も外敵を退けており、現代ではワトナ半島で最大の交易都市として、その栄華を極めていた。

 

 * * *


 ルーネ市の外壁、その最も外側である第五壁の南の区域に、自分の住居兼事務所はある。

 

 バラック建ての大きな倉庫の横に申し訳程度にくっ付いた建物であり、表にはまだ新しさの残る『イズモ認定開拓士事務所』と書いた看板を掲げている。

 

 『認定開拓士』はB級以上の開拓者が取る事ができる資格であり、これを持っていると法務や税務等の分野に仕事の幅が広がるのだ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 プリシラがデスクに紅茶の入ったカップを置いた。

 馥郁たる香りが漂うそれに角砂糖を一つ入て、ゆっくりと喉へと流し込む。

 

「本当に美味いな。外でもこれほどの物には出会ったことがない」

「おや、タケルさんがお世辞なんて珍しいですね」


 振り返ったプリシラの、ピンクブロンドのツインテールが揺れた。

 身に纏うのは王立ルーネ学院の制服であり、十七歳である彼女はそこの二年生になる。

 ある事件で知り合い、その後の紆余曲折を経て、放課後は事務所の事務員として働いてもらっている。

 

「……やっと文明の世界に帰れたんでな。街の空気に当てられれば、口も軽くなる」

「全く、素直じゃないですよね~」


 そいう言ってプリシラは茶器を片付け、自分のデスクへと座った。

 

「昨日、開拓者協会からの振り込みがありました。『鉄人獅子団』との共同依頼、その達成報酬で五百金価。魔剣獣の討伐とその引渡しで六万六千金価です」

「分かった」


「それとコノーク商会からの半期分の請求が三百金価。あといつも通りの、月末の引き落としがありました」

「ああ」


 夕暮れの事務所の中を、ペンが書類を走る音と、算盤そろばんを弾く音が響く。

 プリシラの事務処理能力は非常に高く、その速度は自分の三倍以上はある。

 時折掛かってくる電話にも笑顔で対応し、その受け答えにもそつが無い。

 

「タケルさん、協会南支部のノントン支部長です」

「分かった」


 受話器の送話口を押えたプリシラに応え、自分のデスクの受話器を取る。

 

「替わりました。イズモです」

「おうタケル、大変だったな」


 受話器から聞こえて来るのは、中年の男の、明るく野太いねぎらいの声。

 電話の先で上機嫌に笑う、オーガの偉丈夫の姿が見えたような気がした。

 

「ありがとうございます。しかし、今回はそこまで大変というものではありませんでした」

「ガッハッハ。四千年級の魔剣獣ビースト・エッジの相手をして、そう言えるのはお前だけだ。俺なら尻尾巻いて逃げてる所だ」


「元S級開拓者らしくない言葉ですね。お疲れですか?」

「アホが。魔剣獣ビースト・エッジなんてこの世で最も会いたくないものの一つだろうが。三千年級でも一歩間違えれば、簡単に喰われちまうわ」


 魔剣獣ビースト・エッジは、全身のほぼ全てが鋼でできている。

 地中では様々な鉱物を喰らい、年月を経るごとに、その姿と魔力は大きく強化されていく。

 

 人類の生息圏である地上に出て来ることはまず無い。

 しかし、地上に現れた魔剣獣ビースト・エッジは他を圧倒する災厄となり、町や村を力の限りに破壊する。

 生まれたばかりである千年級の魔剣獣ビースト・エッジにさえ、B級開拓者の私部隊パーティーでは対抗することができない。

 

 おまけに二千年を超えた魔剣獣ビースト・エッジは、そのしもべである剣化獣ソード・カースを大量に生み出すことができるのだ。

 

「有識者と名乗るやからは、S級開拓者は単独で六千年級を相手取れるとか言ってやがる。そのボンクラ共には、マジで『ボケナスが!!』って怒鳴りつけてやりたいぜ。鉄の城をぶっ壊すって程度の話じゃねえんだ。ずらって並べた戦術魔導杖の一斉射撃でさえ傷一つ付かない、不壊の鋼の山が襲って来るんだぞ。それも魔法やら特殊能力やらをバンバン使ってだ」


 声には隠しようのない震えが混じっていた。


「確か支部長は、四十年前の八千年級との戦いに参加されてましたよね」

「ああ。S級で生き残ったのは俺だけだったよ」


 五人のS級と十七人のA級、そしてB級以下では三千人が死亡し、二万人の都市軍と特務騎士達が死んだ。

 ルーネ市、いやこの国の開拓者協会と軍事は麻痺してしまい、社会は大混乱に陥ったという。

 

「どうやって勝ったんですか?」


 当時の事をノントン支部長が話すのを聞いたのは、これが初めてだった。

 

 自分はまだ五千年級までしか戦ったことが無いので、是非とも参考に聞いておきたいと思った。

 

 そう、いずれ戦う時が来る存在なのだから。

 

「……」


 受話器の先の声が途切れた。

 チクタクと、壁掛け時計の秒針が回る音が聞こえる。

 一息吐いたプリシラが、「う~ん」と伸びをした。

 

「……勝ってねえよ」

「支部長?」


 ボソリと呟かれたのは、沈み切って覇気を失った声だった。

 だから、それが一瞬、誰のものか解からなかった。

 

「ボロ雑巾ぞうきんになって、土を被ってくたばってた。俺以外も皆そうだった。生きているか、死んでいるかの違いはあったがな。俺達の死力を、この国の全力を、あの魔剣獣ビースト・エッジは退屈そうに叩き潰しやがった」

「……」


「戦場跡の大穴は今は観光地になっているだろ。今の若い奴等やつらは旅行や何やであそこに行って、笑顔で写真を撮って来るらしい。だが俺は、写真でも絶対に見ようという気は起きん。あの地獄がはっきりと脳裏に蘇るからだ」

「……。じゃあ、どうやって魔剣獣ビースト・エッジを殺したのですか?」


 そう、個体名【スプニーサの破滅】はその戦いのときに死んでいる。

 遺骸いがいは徹底的に破壊され、空の浮島うきしまから魔法によってこの星の外へと捨てられた、と協会や国の公式記録には残っている。

 

「魔人の男が斬った。一刀両断でな。泥土の中で、俺は自分の目を疑ったぜ。白昼夢かよっ、てな」

「勇者ですか?」

「いいや。ただ、この国の奴じゃあなかったな」

「彼の名前は?」

「分からん」


 ……。

 

「話がれちまったな。俺が電話したのは、来月の『ルーネ開港市場祭』の件でだ。例年通り、善良な一般市民じゃない奴等もわんさかやって来る。A級の【魔剣殺し】には、是非とも警備の依頼を受けて貰いたい。いや、ルーネの市民として、絶対に受けろ!」


 ノントン支部長の声に活力が戻った。

 

「マフィア共、取り分けこの国最大の『カーメン・ファミリー』の動きが活発だ。若頭の【溶岩烈拳ようがんれっけん】に関する報告の数も増えている。心道位に相当する奴への対応で、S級のレイモンは手が離せんようになるだろう。とにかくいつも通りに人手が全く足らないんだよ!!」

 

「了解しました。けれども善良でない方々を相手にするんです、報酬は割増になりますからね」

「まあ規定通りには出すからな、よろしく頼むよ」


 依頼主がルーネ市なので、安くは無いが高くも無いお値段で、と。


「はあ、仕方ないですね。貸しということにしときます」

「すまんな」


 簡単な挨拶あいさつを交わし、通話を切ろうとした。

 

「……深紅こきくれないの風」

「え?」


 不意に放たれたノントン支部長の呟き、それを聞き逃しそうになった。

 

「いや、何でもない。じゃあな」

「あ、はい」


 今度こそ電話は切られ、受話器からはツーツーと鳴る音だけが聞こえていた。

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