帰還

~ ヨハン・パノス ~  


 組織の先輩による手荒い歓迎を終えた俺は、その先輩であるゲルトルードと共にパフェラナのいる猟師小屋を目指していた。


「へえ、じゃあ先輩は旅人なのか」

「そ。他は基本はバイト。今は社主のお願いで記者をやってるの」


 俺達は結構な速度で森を駆けているのだが、目的地まではあと三十分は掛かりそうだった。

 

「おっと出て来たよ。次は後輩君の番だからね」

「了解しましたっと」


 眼前の景色が歪み、大きく広げられた翼の羽ばたきによって、纏った迷彩魔法の効果も散り消える。

 現れたのは四つの翼と巨大な目を持つコウモリの魔獣。

 

 ヒグマ程もある巨体が、軽やかな身のこなしと共に、凄まじい速度で俺達に襲い掛かって来た。

 

『キイイイイイイイッ』


 甲高い叫びと共に、コウモリの姿が幾重いくえにも増える。

 魔獣が使う幻影魔法の精度は非常に高く、見た目から真偽を見分けるのは中々に難しい。

 

 だが、それは俺には意味の無い事だ。

 

「はっ」


 カチンッ、と抜剣と納剣がほぼ同時に終わり、その二つの音は重なって一つの音の様に響いた。


 ピュー、とゲルトルードが軽く口笛を鳴らす。

 

「いいの?」


 背後を振り返った彼女が、『魔獣の素材を回収しないのか?』と聞いて来た。

 

「魔力がかなり濁ってた。魔生石も相当に『穢れ』を貯め込んでるだろうし、持ち運びや浄化の手間を今は掛けたくない」


 簡単な事だが、それでも時間が少し掛かってしまう。


「あらそう」

「……」


 はっきりとした立場ではないが、今の俺はパフェラナの護衛のようなものだ。

 グロリアが居るので身の危険はないだろうが、急げるならば急いだ方がいい。

 

 幸運にも魔導剣を拾ったので、強化魔法の気配に引き寄せられた魔獣と出くわしても、素早く対処できるようになった。

 なのでもう俺は殊更に気配を隠してはいない。

 

「……何か胸騒ぎがするんだよな」


 ぼそりと呟いた俺の言葉の後から、ゲルトルードが口笛で下手くそな流行歌を吹き鳴らした。


「先輩」

「何かな後輩君?」


「まさかとは思うがパフェラナ、水の聖女に団長殿はちょっかいを出さないだろうな?」

「ん、ん~、さてね~。でも昔から言うじゃない? 『箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるかは分からない』ってさ」


 グロリアがいつものお気に入りを弄るように、パフェラナに軽くちょっかいを出すかもしれないとは考えていた。

 女同士であり、万が一にも俺やバルコフのような『男同士のご挨拶』のような事はありえないだろう、と。

 

「そう言えば社主はお茶の用意をしていたかな。ここに来る前にニカシャ達が事務所の茶器を出していたし」

「……嫌な予感がする」


 この世界には俺やボンノウ以外にも、古い時代、地球から来た者達がいた。

 俺達のように転生した者、或いは転移によって来た者達の姿は、各地に伝わる歴史の記録の中にその痕跡が残っている。


 茶道もまた、その数多ある文物の中の一つだった。


 長い時間を掛けてこの世界の文化の中へと溶け込み、今では社交における必須の教養として数えられ、貴族はもとより平民にも嗜む者の数は多くいる。


 歓待の意は変わらずに残っているが、しかしここ西端地域で生まれた流派において、穏やかならぬ茶の席も生み出された。

 平民と貴族が向かい合っての、或いは戦場の最後の交渉等で用いられ、作法を違えれば死を覚悟すべしというその流派の席は、俗に『刃を持たぬ死合』と呼ばれている。

 

―― グロリアはどの意味でパフェラナと向かい合うつもりなのか。


 穏やかな席となれば良いが、予感はそれを否定する。

 

「……」


 パフェラナ達の気配が近い。

 

「まあ心配しなさんなって。あれで社主も平和主義者だからさ。殿下に対してドンパチなんてしないって」

「実に楽観的な予測だな先輩」


「それに殿下に何かあれば、後輩君は彼女の方に付くでしょ?」

「ああ」


「後輩君を迎えに来てその連れにちょっかい出して、それで激オコになった後輩君に離反されるようじゃあまりに恰好が悪過ぎるでしょ。社主も一応それなりに体裁は気にする方だから、多分恐らく大丈夫だよ」

「物凄い不安になる言い方だな……」


「まあ社主はかなりの気分屋だからね。雨でも晴れになるし、晴れでも雪になる人なのも本当の所だし」

「……分かった」


 余計心配になった。

 

「飛ばすぞ」

「アイサー」


 速度を更に上げる。

 深部の魔獣でさえも、もはや俺達の速さを認識することはできない。

 

 枝を蹴って最後の跳躍。

 森の木々を遥か下へ、風を切る先に小さく猟師小屋の姿が見えた。


 * * *


 放物線を描いて俺の目に映る風景が変わっていく。

 空へ、そして空から森へ。

 風鳴りの音と共に視界の中の縮尺は変化して、目前に迫った地面に音も無く着地を決める。


 にはそれなりに自負があり、数少ない俺の自慢できるものである。

 

「よっと」


 続くゲルトルードも音も無く着地を決めた。

 

「……」

「どしたの後輩君?」


「来るぞ」


 俺達の目の前に魔力の流れが生まれ、眩い光が周囲を照らした。

 風が吹き、魔力洸が散る。

 

 全てが収まった後にはボロボロのブルー・クラーケンと、長刀を手に持つグロリアが姿が在った。

 

「これは、一体どういう状況だ」

「さあ?」


 薄れゆくブルー・クラーケンの実体の中からパフェラナが姿を見せ、クルクルと長刀なぎなたを回したグロリアがそれを虚空へと納める。

 

 彼女達に歩み寄ろうとしたが、その間の張り詰めた闘気によって、踏み出そうとした足は止まってしまった。

 

「こえ~」

「うんうん。女の戦いだね」


 結構本気で、しかし小さく呟く俺の横で、ゲルトルードは暢気のんきな感想を漏らす。

 その姿をちょっと尊敬した。


 パフェラナの膨大な魔力とグロリアの凶悪な魔力がぶつかり合う。

 一歩。

 また一歩。

 

 お互いに歩み寄る彼女達の覇気に呑まれて、ただ傍観する俺と楽しそうに見守るゲルトルード。

 

 あと一歩で鼻が触れ合う距離まで進んだ所で歩みが止まった。

 パフェラナは見上げて、グロリアは見下ろしている。

 

「私に掠りもしなかったわねパフェラナ」

「その肌を覆う厚化粧が硬すぎて、気付かなかったんじゃないかなグロリア」


 アハハハ。

 フフフフ。

 

 ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッン!!

 

「おいおい」

「あらら」


 青色の魔力洸を纏うパフェラナの右拳と、呂色の魔力洸を纏うグロリアの右拳がぶつかり、巨大な空気の爆発が起きる。

 土埃が吹き飛ばされて綺麗に消え去った後には、土の抉れ荒れ果てた地面が現れ、その上で聖女と魔女が拳を打ち合った姿で立っていた。

 

「流石だね」

「そっちこそ」


 お互いに拳を下げて、そしてその手で握手を交わす。

 

「次こそは」

「ええ。いつでもあなたの挑戦を待っているわ」


 すっきりした顔で獣の様に笑う彼女達。

 

「なあ先輩。何があったと思う?」

「戦いを通して一つの友情が生まれたんだよ」


 俺は呆然として、ゲルトルードはうんうんと頷いていた。

 

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