会敵 二

~ ボンバット・トトン ~


「いや、たすけて……」


 背後では倒れ込んだエリゼ君がモルモットのようにおびえている。

 紳士たる私としては彼女を支えてあげたいのだが、如何いかんせん目の前には怪物がたたずんでおり、その手に持つ強大な破壊兵器を私達へと向けている。

 中々に余裕の無い状況なのだ。


(しかしこのような醜態しゅうたいを晒すとは、エリゼ君も普通の女の子なのだなと思えてくるね。実に感慨深い)

 

 あの若さで手練手管は熟練の娼婦に勝り、エリゼ君は娼婦としてはまさに天賦の才を持っていると言える。

 彼女は男に微温湯ぬるまゆのような堕落と、熱い酒のような欲望の発露をもたらしてくれる。

 人々に希望の光を示す高潔なる聖女ではないが、寝台において男に悦楽の安寧を与えてくれる夜の聖女なのだ。


 だからこそ、ここで切り捨てたくはないのだが……。


(亜空間のアレを引っ張り出せば対応できないことも無いが、そうすれば私以外が木っ端微塵こっぱみじんだ)

(他は火力が足りないし、幻宝が振るう精霊刀に耐えられるものではない)

(私の事を知られている以上、捕縛を目的としているようだが配慮はしてもらえないだろう)

(手持ちで出来るのは時間稼ぎ位なものだが……)


 揺るぎもしない紅の剣先に冷や汗が止まらない。


(彼がを果たしてくれるのを祈るか)


 色々と都合が良いので司祭もしているが、切羽せっぱ詰まって祈る対象が聖主ではないというのが実に可笑おかしい。

 そもそも教会へと足を運んだのは、七百十五日と十時間前が最後なのだ。

 信仰心の欠片も無いので、司祭の身でありながら聖典騎士の護衛を得ることができない。 

 敬虔けいけんなる信徒の聖務を守護する役目を担い、勇猛で悪名高く、狂信的な彼らによれば私は信徒失格らしい。

 

(やれやれ。今度仕事に行くときは教会に気分程度の寄付をして、適当な聖典の音読でもしてこようかね)

 

 全く、猿神楽も余計なことをしてくれる。

 曙御前が折れたという情報を得たからこそ動いたというのに。

 

 彼の品性の無いバカ面を無性にぶん殴りたい。

 

(おかげで私は死にそうだよ)


 * * *

 ~エリゼ・ダーン~

 

 私はこの女を知っている。

 

 ラペシェリア公爵の息女に生まれ、小さな頃から数々の才能を示して、王立学院を飛び級して首席で卒業した。

 開拓者となってからは三か月でS級にまで上り詰め、武剣評価は心道位を手にしている。

 

 類まれなる清楚な美しさに心を奪われる者達は数え切れず、国内外からの求婚が絶えることは無い。

 武勲の数は枚挙に暇が無く、今はペシエは愚かスス同盟国を代表する英雄となっている。

 

 それが、私よりたった一つだけ年下のカグヤという女。

 

 普通なら遥か遠い存在として関わる事もなく、激しい嫉妬に狂う事も無かっただろう。

 しかしこの女は……、よりにもよってヨハンへと色目を使ったのだ。

 

 出会いはヨハンがバレル亭に務め出してからだと最初は思っていた。

 しかし目の当たりにした彼とカグヤの間にあった親密さは、そんな短い時間で生ずるようなものではなく、問い詰めるように聞き出したときには思わず眩暈めまいがした。

 

 内容だけではなく、ヨハンが彼女を語る、その声色についてもショックを受けた。

 

 その信頼に満ちた声が、何よりも許せなかった。

 

 だから剣闘大会でヨハンをはかったのだ。


 あの大会を使ってヨハンの名誉を地の底まで落とそうとした。

 そうすれば、輝ける存在であるべきあの女は自分の意志がどうであれ、周囲に邪魔をされて、もうヨハンに近付くことができなくなるから。

 誰からも必要とされなくなったヨハンは私だけを愛のよすがとし、その命と魂を私の為だけに費やすようになる、はずだった。

 

 多くの準備を積み重ね、血反吐を吐くほどに運命系の未来予測の魔法を使った。

 

 なのにヨハンはあの青い巨人にさらわれてしまい、今はカグヤが私へと精霊刀の切っ先を突き付けている。

 

 気が狂いそうなほどに腹立たしいが、しかし私には打つ手がない。

 

しゃくさわる。本当にこの女は癪に障る)


 その女を前にして、無様に震え続ける私。

 それは無力を装う為であり、また私の本心でもある。

 

 戦い方など学校で受けた魔法護身術しか知らない。

 殺気のようなものなどさっぱり解からないが、しかしそんな私にさえもカグヤの気配の恐ろしさは理解できる。

 

 藤柄の着物とそれに合わせた軽鎧を纏う姿は、S級開拓者の凛とした風格を備えており、こうしてわざと醜態を晒す私を見ながらも、黒い瞳は嘲笑あざわらうことなく私達を捉えている。

 

「お願い、殺さないで」


 これで油断を誘えれば儲けものだったが、案の定眉一つ動かさない。

 静かに陽炎かげろうを立ち昇らせる紅の精霊刀への恐怖は本物なのに、だ。

 

(本当に、あなたは何でも持っているよね)

 

 精霊武器は、一国の王でさえ手に入れることが至難を極める、現代魔導学の最秘奥の結晶。

 材料となる精霊鋼の作成もまた非常に難易度が高く、天才と呼ばれた人物達が挑戦して失敗したという噂をよく耳にする。

 むしろ一つとして作り出せずに、その生涯を終える者が普通なのだ。

 

 その精霊鋼は別名を『精霊の卵』といい、精霊を生み出す触媒としての強力な力をその内に秘めている。

 

 指輪にしつらえられる程の小さな精霊鋼の塊からでさえ、人よりも強い精霊を生み出す事ができる。

 豆粒のような大きさの精霊鋼を一つ使った、非常に高価な『守護精霊の装飾品』を手に入れて身に着けている王侯貴族や大富豪もいるが、そうした用途に回される精霊鋼は精霊武器とするには質が足りない物であり、所謂いわゆる『天才の失敗作』と裏では呼ばれている。

 

 数多の人の上に立つ彼らでさえ、『天才の失敗作』を手に入れるのがやっと。

 

 故に精霊武器を作る事ができたという栄誉は遥かな高みにあり、錬金術や武器に携わる者達にとって見果てぬ夢ともなっている。

 

 その夢は底なし沼のようにして、多くの者達をその無明の底へと呑み込んでいく。

 私の客にも何人かいて、その全てが悲惨な最期をげている。

 

 中でも特に頭一つ抜けていたのは、【炎炉えんろつち ヅヌトン・ジックス】という男だった。

 

 ドワーフの鍛冶師であり錬金術師でもあった彼は、ペシエで最も有名だった巨匠であり、その作品は多くの高位開拓者や王侯貴族から非常に高い評価を受けていた。

 

 私の常連のだったA級開拓者達や伯爵以上の貴族達が、自慢げに彼の作品を携えていたことを覚えている。


 ヅヌトン翁は引退して息子に工房を譲った後、精霊武器の研究へのめり込んでいった。

 最後の一年は完全に正気を失っており、客として私の元へ足を通わせていた好々爺こうこやの姿は見る影もなくなっていた。

 

 町外れに作った専用の工房に引きこもり、幽鬼の様にやつれた顔に落ちくぼんだ眼をぎらつかせて、一心不乱に鎚を振るっていたヅヌトン翁。

 私の胸の中で彼の息子は「父が恐ろしい」といつも嘆いていた。

 狂気に憑り付かれたヅヌトン翁の手は、その全てを費やしても精霊武器に届くことは無かった。

 

 弟子達の前で最後の失敗作を叩き折った彼は、金属の煮え立つ溶鉱炉の中へその身を投じたという。

 

 ……。

 

 だから私は知っている。

 精霊武器がどのような価値を持つ物かを。

 それを手にすることが、どれほどの意義を持つのかと言う事を。

 

(私はこのカグヤという女が嫌い)

 

 私が持っていないもの、持てないものを全て持っているから。

 

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