会敵 一

~ エリゼ・ダーン ~

 

 私は今、スス同盟国の港を発ったクシャ帝国の公用船に乗っている。

 しかし優雅に旅を楽しむとはいかず、迎賓室の中に置かれた最高級のソファーに臥せり、顔を青褪めさせていた。

 

「エリゼ君は船に乗るのは初めてだったかね」

「はい。ペシエ港から出る船には何度か乗った事はあるのですが。このような船に乗るのは初めての経験です」

 

 コトリと、傍らのテーブルに香茶を見たしたカップが置かれた。

 

「酔い止めの薬草をブレンドしてある。少しは楽になるだろう」

「ありがとうございます」


 カップに口を付ける。

 程よい温度の液体を喉へと流すと、心持ち気分が楽になった。

 

 ほうっと息を吐いた私に先生が頷く。

 

 それから少しの間、お互いに喋る事は無く。

 レコードが鳴らすピアノの曲だけが室内を流れた。


「銀豪剣様は、お部屋に?」


 ふと思い出したように開いた私の口が、の騎士の事を先生に尋ねた。


「ああ。傷の治療は終わったが、かんの状態が最悪だ。下手に顔を合わせれば斬られかねん」

「まあ」

「あの灰毛頭の剣士に使わせた剣、その細工が俺の仕事だと話したときは、危うく本当に殺されかけた。しばらくの間は奴と話す事もできんだろうな」


 困った事だ、と先生が首を横に振った。

 

「彼の部下達も君に非友好的なようだ。トラブルを避けるためにも、この部屋からは出ない方が良いだろう」

「はい」


 【銀豪剣 ダンプソン・ゴーバーン】は部下に大変慕われていたものね。

 

「そういえば首都に戻ったらエリゼ君には陛下のお相手を頼む。君の事を通信機で話したら、去年の事を覚えていらっしゃってね。是非に、と言われたよ」

「ふふ、喜んでお務めさせていただきます」


 ペシエは清算した。

 だから私は新たに巣を作らなければならない。

 

 クシャ帝国の首都『ゴルデン』。

 五百万の人々が蠢いており、十の城壁に囲まれた巨大なこの都市は、今もなお成長を続けている。

 世界中の人が集まり、世界中のお金が集まる欲望の坩堝るつぼ

 

 それを治める【オルゴトン・クシャ】大帝の知己ちきを得る事は、『しあわせ』への大きな飛躍となる。

 

 去年一夜を共にして、少しばかり彼の事は知っている。

 しかし万全を期すためには、ゴルデンに着いたらすぐに色々と動くべきだろう。

 情報の収集、根回し、そして買い物。

 

 限られた時間でやるべき事は多い。

 もちろん、先生も上手く活用させてもらう。

 

「ふむ……」


 その先生が窓の方を見て、訝しげな声を上げた。

 釣られて窓を見るが、特に変わった様子は無く、私は首を傾げる。


「どうされました?」

「護衛部隊の反応が消えた」


 淡々と告げられた、重大な事態の変化。

 それでも私が取り乱さないのは、先生の力を知っているからだ。


「!! 外に戦闘ゴーレムの姿が……」


 一瞬クリアになった窓の外の景色。

 そこに薄い灰色の装甲を纏った機体の姿が見えた。

 

「追手か、早いな」


 先生の呟きが終わった次の瞬間。


 音も無く。

 客室のドアと壁が、木っ端微塵になって崩れ落ちる。

 それは超絶的な剣の技によって斬られたのだと、感覚が理解した。

 

 脳裏に一人の少女の姿が浮ぶ。

 

(あの女か)


 崩れ落ちた壁の先から、微かな藤の香が漂って来る。

 暗がりから歩み出て来る人影、それはシャンデリアの灯に照らされて、明確な姿となって現れた。

 

 藤の花をあしらった着物を身に纏い、左右の腰にかれた一本ずつの刀。

 

 私より一つ年下の少女。

 

「さて、大人しくしてもらえるかしら」


 澄んだ小さな声はまるで美しい鈴の響きのようで、しかしその言葉はハッキリと聞き取る事ができた。


 腰まで届く流れるような長い黒髪。

 黒曜石のように輝く瞳。

 清流を思わせる雰囲気を纏う彼女の存在を知らない者は、スス同盟国にはいない。

 

 私を庇うようにして先生が前へと進み出る。

 凍えるような空気が部屋に満ちて行く。

 斬り合いを知らない私でも理解できる、圧倒的な殺気。

 

「S級開拓者【幻宝げんほう カグヤ・ラペシェリア】。ラペシェリア公の息女でありペシエ都市軍の将軍であるあなたが、直々にご参上とは恐れ入る」


 先生が自然な動作で腰の魔導拳銃を抜いて、銃口を彼女へ向けた。

 

「随分と無作法な真似をしてくれたな。まるで野蛮な賊そのものだ。ここはクシャ帝国の公用船であり、私はクシャ帝国大使館の駐在武官だ。貴様の行いはクシャ帝国の領域を、権威を侵すものであると知れ!!」


 低く重く暴力の匂いのする先生の声、その恫喝どうかつに対しても彼女の表情は揺るがない。

 カグヤが私達に向ける顔は、戦士の顔ではない。

 無邪気に楽しそうに、十代中頃の少女が浮かべる、年相応の笑みだ。

 

「ほんと、聖典教会の狂信者がよく言うわよ」


 カグヤが左手にペンダントを持って、それを私達へと掲げた。

 おおとりの羽と太陽、そして剣の図が刻まれたペシエ都市軍の紋章。

 

「クシャ帝国所属錬金術師【愚の獣 ボンバット・トトン】、並びに【花宝石 エリゼ・ダーン】。あなた達にはテロリストの容疑が掛かっています。スス同盟国都市自治法第八条の委任により、ペシエ都市軍特務将軍【幻宝 カグヤ・ラペシェリア】があなた達を拘束します」


 スラリと、左腰の刀が抜かれる。


「抵抗するならお好きにどうぞ。その時はすぐに斬り捨てるから」


 彼女の右手に握られた刀の、その紅い刃の切っ先が私達へと向けらえた。

 

「噂に聞く【雲水自然うんすいじねん】作の【曙御前あけぼのごぜん】、ではないな。精霊鋼より打ち出された刃の持つ、荒々しくも気高い気配。それはの刀匠の作風とは全く異なる」


 心からの感嘆を込めた、錬金術師たる先生の言葉。

 私もカグヤの持つ刀の、その刃の冴えに深く魅せられる。

 

 父の店では商いとして取り扱う事はおろか、入手する事もできなかった品。 

 天才の領域さえも超越した才能が作りし、珠玉の傑作たる真の業物わざもの

 

 恐ろしさと美しさを併せ持つ、人の手が成した奇跡たる『力の形』。


「四人の直弟子の一人、【猿神楽さるかぐら】の作品か。そういえば彼もペシエに来ていたな」


 先生の言葉にカグヤが頷く。

 

「ええ。昂火鋼こうかこうより鍛えし猿神楽が作刀」


 柔らかく笑い、そして刀のを告げる。


「精霊刀【夜叉童子やしゃどうじ】。この刃、その身で味わってみる?」


 その顔に、私は獰猛どうもうな竜の姿を幻視して。

 

「いやっ……」


 あまりの恐ろしさに立っていられず、ドサリ、と床に崩れ落ちてしまった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る