封櫃の唄

 魔法の輝きが、木々の間から流れ来る森の風の中に消えて行く。

 地面に突き立てた全ての魔導武器の錬玉核が色を失い、パリンッと音を響かせて砕け散った。

 

(マジでコストは最悪だよな。自分の財布だったら絶対使いたくないわ)


 二級品の錬玉核でさえ金剛石こんごうせきより硬く、溶岩の中に落としても壊れない。

 精密な魔導機構も、その中に錬玉核を組み込んだ時点で状態が固定される。

 一般に言うところの『錬玉核の加護を得た』状態であり、その魔導機構は錬玉核と同じ程度に壊れなくなり、また狂わなくなる。

 

 この現代魔導学の傑作たる錬玉核だが、そのトンデモ性能が故に価格はトンデモなく高い。

 

 新人の開拓者等の錬玉核を買えない者達は、代わりに一昔前の安価な『円咒璧えんじゅへき』を魔導機構に入れている。

 

「大級魔法を使うのは、ホントに久しぶりだったな」


 両手の掌を見る。

 

 魔力が無くて、だから魔法が使えない。

 あがきながら剣を振るって。

 でも魔法は遠くに在って。

 

 それでも諦められず。

 傷だらけで蹲っていたときに、奇跡的な巡り合わせで得た奇縁。

 

 深紅こきくれないの風との旅。

 

 その始まりと終わりの場所であるこの森に、俺の中の『魔法使い』は確かに存在している。

 

「魔法はからっきしの魔法使い」


 剣を抜き、風の中に踊らせる。

 たわむれる小鳥のように、冴える刃が光を切って体中を飛び回る。

 

 左小指で柄頭を弾き、空を舞った剣を左手で掴んで。

 両手で構えた剣を、最後に一つ振り下ろした。

 

 剣風が走り。

 草木の葉が、さわさわと穏やかに揺れた。

 

「されど最強無敵の剣士なり」


 戻った故郷のペシエでは、どっぷりと愛という幻にかった。

 そしてそれを無為むいと知らずに、ただ惑い求めていた日々を過ごした。

 

 今となっては、思い出すのも恥ずかしい。

 まさに、『くっころ』である。


 剣以外はび付いていると思ったが。

 中々どうして、学び続け修練を積み重ねた日々というものは、時間さえも奪えないものらしい。

 

 慢心するつもりはないが、それでも、ただ、ただ、嬉しいと思う。


 風見の森の匂いは今も昔も変わらない。

 木漏れ日に照らされるこの場所は人の心など斟酌しない。


 弱い者は死ぬだけだ。

 

『ただ生きるだけでいい。そうすれば答えは向こうからやって来る』


 風の音に先生の声が重なった。

 

 それが心地良く。

 俺の心の靄が晴れたような気がして。


 少し笑った。


「でも、まあ、本当に失敗しなくて良かった。あの流れでやらかしたら、もう速攻で森の奥に逃げ込でいたな」


 【剣技・理念自在りねんじざい縁起えんぎ】。

 

 【五手乃剣ごてのけん】の六番目の技であり、最秘奥たる第六手。

 第五手たる【水袷みずあわせ】を先生が発展させ新たに生み出したもの。

 

 【水袷】が生物の恒常性ホメオスタシスを超えて自然魔力を無理やり生体魔力に変える技なのに対し、【理念自在の縁起】は自然魔力を生体魔力に変える事無く、魔法に消費する魔力として使う技。

 

 変換を行わないので魔力の運用効率は上がるが、身体の中に過剰な自然魔力を残してしまう為に、様々な後遺症を負う危険がある。

 このリスクは、魔法使用の魔力循環過程において、魔導機構にその起点を移すことによって消す事ができる。

 しかし、その為に使った魔導機構は完全に壊れてしまう。

 

 小級魔法の使用でさえ一つ、中級魔法で三つ。そして大級魔法では五つ以上の魔導機構を使い捨てにする必要がある。

 戦闘中に奥の手として用いるにしても、お財布的に大変に費用効果の悪い技であり、庶民の俺としては今回のような他人の財布が当てになる場面じゃなければ、それこそもう絶対に使いたくない。

 

 なお理とは自然魔力、念とは生体魔力を指す魔導学以前の古典魔法体系の用語である。

 

(道草をかなり食ったし。早く戻るか)


 パフェラナの側にはグロリアがいるので、危険は全くない。

 

(ただ、純粋なパフェラナが悪影響を受けないといいが……)


それだけが心配ではある。


 パシャリ。

 

「ん?」

 

 木々の間からシャッターを切る音が鳴り、一瞬のストロボがひらめいた。

 そちらへと視線を向けると、木の陰から一人の少女が歩いて出て来る。

 

「いや――良い画が撮れました。風見の森の深部、そこで紺碧の輝きの中に佇む謎の剣士。明日の朝刊には十分間に合いますね」


 野外活動に適したカジュアルな服。

 肩口で切り揃え、顔の左右に結わえているのは薄い金色の髪。

 両目は赤の瞳と碧い瞳。

 そして少しだけ長い耳。

 

「おっと、失礼しました。私はフリーの記者をやってます【風筆の歌ふうひつのうた ゲルトルード・アールマ】という者です」


 豊かな胸の前に掲げたのは『龍の円環に交差する剣と刀の紋章』が記されたカード。

 開拓者協会が発行する『国際資格証明書』であり、等級はC。

 

 彼女、ゲルトルードは挨拶から続け様に、甲高いきゃぴきゃぴ(死語)した声を投げ掛けて来た。

 

「お兄さん凄い魔法の腕ですね~、大学の魔法学部出身もしくは有名魔法士のお弟子さんか何かですか? それで今日はどうしました? ここへは何かの学術調査で来られたとか?」


「……俺の恰好を見て『学術調査』って単語を出すなら、『あなたは記者に向いていない』と言ってやるが?」


「あいや―、失礼しました。いやね、大穴を狙ったんですよ。ホントホント。で、真実的に言えば何故なぜに此処に?」


 おまけに呼吸なく放たれる言葉は全て適当なもの。

 

 本気で無視して去りたいが、しかしそうはいかないだろうと考えた。

 このタイプの女との会話は疲れるので、さっさと切り上げる為に言葉をストレートに投げる。


「それはこっちの台詞せりふだ先輩」

「ん~? もしかしてあなたも記者さん?」


 こてんと傾けた頭があざとい。


とぼけるのは面倒だから止めてくれ。で、あんたは第何席なんだ?」


 彼女のノリに付き合う気は無いので、少し強めの殺気を放つ。

 ならば即座に意識を刈り取ることができる、その位の塩梅あんばいで。

 

「………………ふ~ん、ばれちゃってたんだ。ちぇっ」


 ねたように少しほおを膨らませる。

 その仕草だけを見るなら、町の活発な少女というものだが。

 彼女から少しずつ、潮の匂いがただよい始めて来る。


「逆にこの状況でどうしたら誤魔化せると思えるんだろうな。全く俺には理解できない思考だよ」


 知らない何処かのS級開拓者の追手、その可能性もほんの少し考えた。

 だが木陰こかげから出て来たときの彼女からは殺気と緊張感を感じ取れず、その振る舞いは演技としては必要以に、いやあまりにも興が乗りすぎている。

 

 何より、俯瞰的ふかんてきなその視線は狩人というよりも判事のそれに近い。

 

「ではでは。付き合いの悪い君に改めて自己紹介しちゃおっか」


 血の通った人形とでも評すべき、ゲルトルードの整った顔がニヤリと笑う。


「私は魔月奇糸団の第十三席を預かる【封櫃の唄ふうひつのうた ゲルトルード・アールマ】、永遠の十七歳よ。よろしくね【最強無敵】君♪」


 その言葉が終わらない内に潮の匂いが決壊した。

 

(手が早いことでっ)


 ゲルトルードの両手が動く。

 その手指の先から幾つもの輝き、濃淡中程の紫色である半色はしたいろの魔力洸が走る。

 それらは瞬時に薄膜のような覆い布の形へと成り、俺へと被さるように襲って来た。

 

錬金鋼糸れんきんこうしか!!」

 

 精緻せいちに編まれた半色の死神の網。

 

 身体強化魔法を発動させ、土錬玉を輝かせた魔導剣を振り抜いて、錬金鋼糸の網を迎え撃つ。

 

 刃が触れた錬金鋼糸から、鋼とはいえ糸とは思えない硬さと重さが伝わって来る、が。

 

 ――俺の剣を阻める程ではない。

 

「イアァッ」


 円の範囲を摺足すりあしで以て身体を動し。

 魔導剣を振るい、半色の魔力を斬り錬金鋼糸を斬り捨てる。


 俺の剣の領域以外は、全てが半色の斬撃によって微塵みじんに刻まれ粉砕されていく。

 

「五手乃剣」


 ――その第二手たる『物魔貫通技ぶつまかんつうわざ』。


 例えるならば。

 肉眼では真球に見えるゴルフボールは、ミクロの世界の視点では歪な球になる。

 俺達のマクロの世界では平面であっても、ミクロの世界ではグランド・キャニオンのような凹凸の激しい姿を現す。

 

 研ぎ澄ました心眼によってミクロの世界を捉え、間隙かんげきを見極めてそこへと剣撃を通す技の名は。


「【剣技・針通撃しんつうげき】」


 一歩を踏み込み、紺碧をまと諸手突もろてづきを正面へと撃ち込んだ。

 

 ピッ、と攻防の転に捉え切れなかった鋼糸が、俺の右頬に小さな傷を付ける。

 しかし正面を覆う半色の鋼糸のとばりは断ち斬られ、紺碧の輝きの中に散り落ちていった。


「うわっ!?」

 

 開けた帳の先には、ゲルトルードの驚いた顔があった。

 ポタリと、彼女の結わえていた髪の右の一房が、地面へと落ちる。

 

「随分な挨拶だったな、先輩」


 風景から見渡す限りの木が無くなり、遠くの山や空がさえぎるる物無く良く見える。

 

 蒼穹そうきゅうを背に佇む彼女が、その両手を挙げた。

 その左右の手の指先からは錬金鋼糸が伸び、力なく地面へと垂れ下がっている。

 

「まだやるか?」

「いやあ、まいったまいった。よし、私はあなたを認めてあげよう」


 ゲルトルードの姿が消え、一瞬で俺の横に現れる。

 きょを突かれた俺の右頬の傷を、彼女の舌が舐め上げた。

 

「うおっ」


 流石に吃驚びっくりして大きく飛び退すさる。

 頬に熱が集まり、羞恥心しゅうちしんで呼吸が乱れ、出そうとする声が滑る。

 

「っ、なっ、おま、なにっ、してんだ!」

「あちゃ―、童貞だったか。ごめんごめん、刺激が強かった?」

 

 それを見ながらクスクス笑った彼女は、じゃれて遊ぶ猫のように見えた。

 

「それじゃ改めて。今後ともよろしくね」


 パチリと深い色を宿した碧い瞳が閉じられて。


「後輩君♪」


 開かれた蠱惑こわく的な赤い瞳には俺の姿が映っていた。

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