弱者の選択 四

「……本当に貰っていいのか?」


 そう灰毛頭に問い掛けた。

 

 俺が右手に持つのは黒い輝きを宿す宝玉。

 それは結晶化した土竜の魔獣の瞳。

 

「ああ」


 彼の返答はそっけなく、瞬く間に魔獣を解体した魔導剣を鞘へと納める。

 俺達へと向いた青い瞳には、少し疲れの色が見えた。

 

 俺の理解など及ばない、常人からは遥か隔絶した領域の剣の技が、彼を剣士だと物語る。

 

 だとするならば。

 

 バゾヤ正統王国に拠点を置く二十八のB級評価の開拓者私部隊パーティー、その内では最高の評価を受けていた俺達『白鷲』。

 そして、A級開拓者でさえ歯が立たないであろう、虎と土竜の二体の魔獣。

 

 それらを相手取っても傷一つ負わず、息一つ切らさなかった彼をして。

 得物を失わせ、装備をボロ布のようにまで壊す存在が、この魔境たる風見の森には居るという事実。

 

(今更ながらに、分不相応という言葉を実感するな……)


 右手の宝玉、所謂いわゆる『宝珠』を見る。

 

 生物はその生命活動において自然に在る魔力を呼吸と共に取り込み、体内で自らの行使し得る魔力を生み出し続けている。

 その過程において魔力が体内に蓄積されるが、それは正常ならば適切に体外へと排出される。

 

 しかし、その作用が異常を起こして体内に過剰な魔力の蓄積が進むと、暴走したそれが身体を異形の姿へと変えてしまう。

 

 それを俺達人類は魔獣と呼ぶ。

 

 人も魔獣になる恐れがあるが、田舎の医師でも簡単に治療でき、またその予防と治療のための薬も広く出回っている。

 必然、人の脅威となり、そして同時に資源となる魔獣は野生の中で生まれたものとなる。

 それはまるで、その生物を呑み込んだ力が具現化したように、禍々しくも強大な姿となって暴虐の限りを尽くす。

 

 『宝珠』とは、その魔獣の中でも更に強い個体が持つに至る、体の特定の部位が変化した特別な器官なのである。

 

(この宝珠、協会との仕切価格は最低でも七百金価は付けられるだろうな)

 

 宝珠は高い演算能力を有しており魔導機器や魔導武器の素材として重宝される。

 特に品質の高い宝珠は、錬金術師達がこぞって奪い合うように買っていく。

 

 開拓者協会に卸せば最低でも仕切価格しきりかかくは二百金価を超え、市場に流せばその末端価格は五百金価を超える。

 協会が買い叩いているように映るが、しかし事に宝珠はその希少性から売買に表裏の社会より強い干渉を受ける。ただの開拓者ではまともに捌くことなどできはしない。

 

 偶然宝珠を手に入れて、個人の商いとして高く売ろうとした開拓者や狩人達のほぼ全てが、行方不明や死体になるという末路を辿る。

 

 開拓者協会が適正なルートで、適正な価格で持って流通させるからこそ、『疫病神』として闇の商品となって消える事無く、表の市場の中を安全に流れているのだ。

 

「なあ、俺達は助けてくれたあんたを裏切って殺そうとしたんだぞ。こんなことを言える立場じゃないのは分かっているが……、俺はあんたの考えが理解できない」


 灰毛頭の青年が、世捨て人の聖人であるとは俺には思えない。

 彼が纏う雰囲気は年相応の青年のようであり、人生を悟った老人のようでもある。

 つまり、どこにでもいる見飽きた『人の臭い』を確かに持っているのだ。

 

 だからこそ裏を疑う。

 そもそも俺が口にした通りに、『強盗の命を助けて大金を持たせて帰す』などまともな話じゃないのだ。

 

「俺には必要ないからな。何だったらこの剣の代金とでも考えてくれればいい」


 頭を掻く仕草は『普通の青年』そのもの。

 今の彼を見て、『化け物』という言葉は何処をひっくり返しても出てこないだろう。

 

「俺の首はやらないけどな。だからこの魔獣は依頼主との交渉にでも使ってくれ。四回も助けた奴等が不幸になるのは後味が悪し、何より俺が負けた気がする」

「……気付いていたのか」

 

 四回という数字。

 それには降伏した後にも、なお俺が彼を狙ったことを見逃した意味も含まれている。

 

「開拓者として最悪だ。普段なら斬り捨てる」


 青い瞳の視線が鋭くなる。

 その圧力に思わずよろめき、後ろへ倒れそうになった。

 

「しかし俺も最初に助けた手前がある。だから見逃してやるだけだ」


 淡々と語られた警告。


「……すまない」

 

「開拓者をしていれば手を汚すこともあるだろうがな、それでも線引きができるようにしておけ。できないなら廃業しろ」

「ああ」


 それは本当に……その通りだ。

 

 * * *

 

 灰毛頭の青年から譲られた魔獣の素材の量は膨大であったが、それでも俺達は収納庫に辛うじて納めることができた。

 

 俺達の持つ腕輪型の収納庫は最新式であり、被収納物を情報化して亜空間に納める事ができる。

 亜空間とは魔法によって生み出した疑似的な空間であり、その容量は使用者の魔力の量に比例する。

 この情報化という新技術によって、亜空間に収納できる物量は五年前に比べてかなり多くなった。

 

 彼は宝珠だけではなく、魔獣の素材を全て俺達に渡してくれた。

 これだけあれば、違約金を支払って仮に開拓者を廃業しても、当分の目途を立てる事ができる。

 

「お前らの中で転移魔法を使える奴は?」

「自分が……」


 おずおずとロヘリオが手を挙げた。

 

「森の外まで行けるか?」

「……いいえ。この森は自然魔力の量とその流れがあまりに強いんです。小さな物を短距離なら可能ですが、自分達を森の外へとなると絶対に無理です」


 悄然と俯いてそう答える。

 

 その声にニカラン嬢が悲鳴を上げた。

 

「私は嫌よ!! この森を歩くなんて、もう絶対にイヤよっ!!」


 涙を流し、身体を腕で抱き締めて震える。

 

「そうだ!! あなた、あなたが私を守ってよっ!! お金なら帰ったらお父様が幾らでも払ってくれるからっ!!」


 灰毛頭に縋り付き、涙と鼻水を垂れ流しながら懇願する。

 貴族の少女の醜態、しかしその姿を笑う事はできない。

 

 俺達の実力では、ここから生きて帰るのは不可能だからだ。

 

(彼が護衛に付いてくれれば……)


 一瞬浮かんだ考えを頭を振って外に出す。

 

(それは、余りに無様過ぎる)


 しかし、目の前の絶望はどうしようもない。

 苦悩する俺の前に進み出たカルロスが、意を決したように口を開いた。

 

「こんな事を頼める立場じゃないのは分かっているが……、どうにか森の外までの護衛をお願いできないだろうか?」

「「……」」


 沈黙する俺達に青年が溜息を吐いた。


「はあ……。まあ何とかしてやるさ」


 そして地面に散らばる無事だった魔導武器をその手に集め始めた。


「使うぞ」


 俺達はその言葉に頷く。

 

 彼は俺の弓も拾い、そして集めたそれらを地面に突き立ていった。


「これでまあ、やれるだろう」


 地面に突き立てられた魔導武器は、俺達をその中心にした、五芒星の星の形に置かれていた。

 

「心配しなくていい。これは単なる転移魔法の下準備だから」


 その言葉に思わずロヘリオを見る。

 コクリと頷かれ、俺達を害するものでは無いと確認できたことで、ホッと口から息が出た。


 彼がそれを見て少し苦笑したが、次の瞬間には一転して真剣な表情となり、目の前でその両手を合わせた。

 

 パンッという音が響く。

 魔法儀式でもないその動作によって、不思議と空気の澱みが無くなり、澄んだように感じられた。


「この世は全て ありがたく」


 魔法のプロセスが始まり、森に流れる莫大な自然魔力、その流れが変化を始めた。


「思い願うは ありがたし」

 

 風が凪ぎ、そして風が渦へと変わる。

 

 それに俺達は誰もが瞠目し、誰もが畏怖を覚えた。

 

「何だこれ、何が起こっているんだ……」


 呆然とカルロスが呟いた。

 魔導学をかじった程度の俺でも、この光景は異常だと理解できる。

 

 地面に突き立てられた剣と刀、槍と斧、そして弓の錬玉核がそれぞれの属性の魔力洸を灯す。

 それらの錬玉核へと、魔力に満ちた風が流れ込んで行く。

 

「ありえない……。彼、自然魔力をそのまま使って、いや、支配してますよ!?」

 

 緑、青、赤、黄土、そしてまた赤。

 

 錬玉核の輝きは、やがて一つの色へとその光を変える。

 魔導武器のそれぞれを繋ぐようにして線が顕れ。

 

「我が客人を 此方より彼方へ」


 莫大な魔力を湛えた五芒星がその姿を現す。

 その輝きは、青よりも深い……。


「旅路は結ばれる 【天路幽門てんろゆうもん】」

 

 空と、海に満ちるあの色は。

 

(紺碧)

 

「これはっ」

「きれい……」

「ああっ、聖霊よ守り給へ」


 莫大な紺碧の魔力が五芒星の中を循環する。

 

「っ」


 思わず、紺碧の輝きに手を伸ばし。


 幼い日に望んだ、曇天どんてんの先の光の中に見付けた、世界の色を両手に抱く。

 

 ――綺麗なものなど、この手には掴めない。

 

 眼からあふれ、頬を伝って何かがこぼれ落ちて行く。

 弱さと共に捨てた、価値が無いと捨てたはずの何かが。

 

(暖かい)

 

 紺碧の魔力洸に包まれて。

 見えたのは、幼い頃の自分の手。


 ――そうだ、子供の頃の俺が望んでいたのは、ボクは生きている、ボクたちは生きているんだと、腐ったゴミに埋もれる町の中で、ボクの叫びを、この世界に聞いて欲しかったんだ……。

 

 散り散りに想いが溢れる。

 

 輝きの先に、彼が見える。

 灰色の髪、そして今は閉じられた青い瞳を持つ男。

 大河のような紺碧の魔力洸、その源流。

 静かにそれをべる姿に、この常世とこよを超えた幻想を視た。

 

 眩く輝く魔力の奔流に呑まれ、現世うつしよの感覚を忘れ。

 忘我の中で、紺碧の流れへと委ねるように身体を預け、眠るように目を閉じた。

 

 ……。

 ……。

 ……。


 顏を風の感触が撫でて行った。


「あ……」


 開いた視界に、変遷した景色が映る。

 

 魔境たる風見の森、その領域を外れた場所。

 川沿い作られた街道の端で、俺と仲間達は呆然と立ち尽くしていた。

 

 木の枝から鳥の鳴声が聞こえて、空を見上げる。

 風に揺れる深緑、その生い茂る枝葉の間から光が見えた。

 

 その先に見えるのは、瞼の裏に残る魔力の輝きと重なる、世界でたった一つの空の色。

 

 綺麗な……青、いと高き遥かなる紺碧。

 

 大人になって、いつもそこに在り、いつも見ていた色に、やっと気づいた。

 綺麗なものは手を伸ばした場所にいつも、変わることなく、ただ人の世を照らしていて。

 気付けば、いや、気付かなくても俺のような屑にさえ、その光を与えてくれているのだと。

 

 視界がにじみ、両目から止め処も無く涙が零れ出す。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 崩れ落ち、地面に蹲って、泣き叫ぶ。

 これは世界の祝福に気付いた喜び。


 生まれて初めて、本当に泣く事の意味を理解して、そして知った。

 この魂は洗われて、歩むべき人生の道を、確かな確信と共に得たのだと。

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