弱者の選択 三

~エステバン・ペニエール~


 生まれ育った町の水はいつも泥の味がした。

 いつも誰かが消えて、誰かの死体がどこかに在った。

 

 廃屋のような家々の連なりに囲まれた汚水交じりの道の先は、汚れた厚い壁に遮られていた。

 

 希望という言葉はなく、絶望という言葉もない。

 日常に溶け込んだ諦念が、みんなの体に纏わり付いていた。

 

 男が訪れて来て、いつものように、母に荒屋を追い出された。

 あてども無く、いつものように廃屋の陰に座り込んだ。

 

 鳥の声が聞こえて、曇天の空を見上げた。

 雲の切れ目から光が見えた。

 その先に見えたのは、この汚れ切った世界でたった一つだけ綺麗な……。

 

 ……。

 

 いつかの秋の終わり、雨の降った日に、母は男に殺された。

 

 俺は町の孤児院に保護されて。

 

 そうして、母のいた荒屋よりも生温い地獄を経て。

 

 ……。

 

 俺は開拓者になった。

 

 そしてこの世界の理を悟る。

 

 弱肉強食。

 優しい奴から死んでいく。

 獣だけが生き残り、金と女と名誉を手に入れる。

 

 綺麗なものは残りはしない。

 

 

 これが全て、……だと。

 

 

 * * *

 

 灰毛頭が口を開き、俺の差し出した右手を掴もうとしたとき。

 澱んだ魔力の波動が、地中から噴き上がり。

 地面が大きく揺れた。

 

「舌噛むなよっ!」


 そう叫んだ灰毛頭の声を聞き。


「「!?」」


 次の瞬間には視界に映る景色が変わっていた。

 

 俺と共に、一塊ひとかたまりに集められたカルロス達。

 目の前に立つ灰毛頭は、俺達に背を向けて。

 その手にお坊ちゃんの持っていた魔導剣を握っていた。

 

 コイツに助けられたと理解し、俺達がいた場所へと視線を動かす。


「あ……」


 深緑の開けた中に差す陽の光の中に、千年を超える巨木よりも太い、黒いがいる。


 それから押し寄せてくるのは、澱み濁り切った魔力の莫大な圧力。

 加速する心拍。

体中から止めどなく流れ出す、冷たい汗。

 

「あんなの、勝てる、訳が無い」


 例えるならば。

竜の攻撃さえ防ぐ都市結界を作り出す巨大な魔術装置へと、絶えず膨大な魔力を供給する大型魔力炉を、邪悪な念を込めて捏ね上げれば。

こんな形になるだろうか?


 この魔獣に比べたら、人間が持つ魔力など虫ケラも同然。

 

 砕かれた地面から蛇のように大きく伸びる、黒い毛むくじゃらの、異形の体躯。

 その鎌首がもたげる土竜もぐらの形をした顔の先には、触手の様に広がり蠢く、赤い鼻が付いている。

 

 恐らく、あれはハナモグラから変異した魔獣だろう。

 そいつの黒い瞳は、滴るほどの邪気を湛えて、楽しそうに笑っている。

 

(俺は。今日死ぬ)

 

 その運命を、理解した。

 

 これまで何度も修羅場を潜り、多くの魔獣をほふって来た。

 村や町の人々の歓待かんたいに応えながら、ニヤリと笑って愛弓を掲げた瞬間は、本当にたまらなかった。

 

 抱き付いてくる美しい女達。

 手には溢れんばかりの金。

 

 杯に絶える事無く注がれる極上の酒が見せる夢は、荒屋の景色を押し流すように飲む酒は、美味かった。

 

 俺は強いと、思った。

 俺は弱いと、考える事は無くなった。

 

 服をはだけて汚れた少女は、のどさばかれて息絶えた男の懐から金をあさる。

 

 俺の弓が放つ矢は、凶悪な賞金首や歴戦の猛者達を容易たやす射殺いころし、実績をたたえられ栄誉をかんされて莫大な金を献上される。

 

 疑う事の無かった夢の景色が、すえた臭いによどむ過去の景色が、崩れていく。

 

 視界の端でカルロスも恐怖に震え、後ろでドサリと音がしたのはニカラン嬢が崩れ落ちた音だろうか。

 

聖明せいめいを持って道を図り 勅命ちょくめいを持って障壁を開け」

 

 その中で聞こえたのはロヘリオの詠唱。


 あの魔獣の魔力を前にして動けたのは、二流の魔法士が為の鈍感さ故だろうな。

 

「我が敵を征伐せいばつせよ・【迾飆伐錡れっぴょうばつぎ】」


 詠唱が完成する。

 ロヘリオが唯一使える上級攻性魔法が魔獣へと放たれ、その巨躯きょくへと命中した。

 

 膨大な風が魔獣を中心に渦を巻き、その内側では無数の風の刃が対象へと振るわれる。

 その余波に触れた巨木はあっと言う間に細切れのチップへと変わる。

 

「すげえぞ!! 大金星じゃねえかロヘリオ!!」


 絶賛の言葉と共に振り返る。

 ロヘリオは肩で息をしながらも、疲労に塗れた顔に満更でもない笑みを浮かべた。


「はい。それと言うまでも無い事ですが、これは俺の成果ですからね。帰ったら秘蔵の錬玉核を一個下さいよ」

「おう、一個と言わず二個やるよ」

「こんな時でもヘステバンさんは微妙にセコイですよね。そこは『五個でも持ってけ』とか言わないんですか?」


 プッとお互いに噴き出して、そして笑い合う。

 

 狡猾で卑小。

 だから常に勝機を窺がい、最後まで諦めない。


 その強さはどんな一流にも負けない非凡なもの。

 だからこそ、奴は俺達のパーティーの魔法士なのだ。

 

「は、はは。すまないサリタ。みっともない姿を見せてしまった」


 カルロスがニカラン嬢を助け起こす。

 

「ありがとう」

 

 その声はそっけなく、立ち上がった彼女はパンパンと自分の服に着いた汚れを叩いている。

 

(あ~あ、振られてやんの)


 ま、あんな醜態しゅうたいは女に見せるもんじゃないな。

 ましてや開拓者の男がしようものなら、女の恋は一気に醒める。

 

「ロサとヤナと起してから撤収てっしゅうするぞ」


 灰毛頭にやられて気絶したままの少女二人は、重なるようにして地面に横たえられている。

 治療魔法を掛けてやろうとして、まだ魔獣の方を向いたままの灰毛頭の姿に気付く。

 

「おいどうした?」


 何というか、羊にする気は失せてしまった。

 命を、それも二度も救われたのだ。

 

(見逃してやるか。トシャ伯爵には裏からも手を回すようにしておけば問題ないだろう)


 かなり痛い出費にはなるが、しかし貴族相手に出し惜しみをする方がまずい事になる。

 この業界の話のタネで、根回しを渋ったバカの末路の類は枚挙に遑がない。

 

「出て来るぞ」

「え?」


 その応えに、思わず間抜けな声を出してしまった。

 

『オ―――――――ッ!!』


 叫びが聞こえ、バンッと何かの弾けた音が響いた。

 

 誰もがそこを見る。

 散り去った風の先に、傷一つない姿の、魔獣がいた。

 

『オ―――――――ッ!!』

 

 魔獣の咆哮が続く。

 腐葉土のような魔力洸が走り、一瞬で俺達を取り囲むようにして、凄まじい量の汚泥でできた渦が現れる。

 その渦に触れた木々はすぐに色を失い、溶けるように腐り崩れていった。


「カルロスさんっ、どうにかできないんですかっ!!」


 酷く青褪めた顔で、カルロスの左腕に怯え震えるニカラン嬢が縋り付く。


「あ、え、っ」


 それに負けず劣らず青褪めたカルロスは応えられず。


「あははっは、もう、終わりだ」


 乾いた絶望の笑い声をロヘリオが上げた。

 

 虫や植物が変異した魔獣はその増幅した生来の、或いは後天的に得た身体能力を駆使することを好み、動物が変異した魔獣は魔法を使うことを好む傾向がある。

 

 そして、魔獣の性質はどれもが残忍だ。

 

 例えるならば。

 掌でもがく虫をバラバラにして遊ぶ、無邪気な子供のように。

 

 獲物の命をなぶもてあそぶ。

 

 恐怖が強大な圧力を持って圧し掛かり、死がその口を開けているのを幻視する。

 耳に響くのは俺自身の鼓動の音で、それを超えて聞こえたのは、灰色頭の青年の声。

 

「仕方ない。これはおごってやるよ」

「……え?」


 灰毛頭の左手の魔導剣、その土錬玉が黄土色の魔力洸を灯す。

 

 気負いなく、ただ無造作に灰毛頭が剣を振り被り。

 その姿が一瞬だけ消えた。

 

「!?」


 再び現れた姿は、その前と変わらず。

 汚れを落とすように振り払われた魔導剣が、ピッという風を切る音を鳴らした。


「これは……」

「……奇跡だ」


 圧倒的な驚愕きょうがくの感情に捕らわれたのは、青年以外の全て。


 魔獣の魔法が消えた。

 

 渦巻く莫大な汚泥の渦は、前後を考えるならば、灰毛頭によって斬られたのだ。


「いつも大外れのクジばかりで死にそうになるが」


 灰毛頭が両手に持った魔導剣を頭上に掲げ、上段の構えを取る。

 

「この程度ならば、そう気負うこともない」


 また、姿が消えて。

 一迅の風が吹き去った。

 

 赤黒い血が噴き上がり、縦に分かたれた土竜の身体が倒れ落ちて。

 地面が揺れて土砂が舞い上がった。

 

 呆然とその有様を見続ける俺達の視線の先、断ち斬られた魔獣のむくろの先で。

 

 灰毛頭の青年が静かにその残心を解いた。


 * * *


// 用語説明 //


【魔法の等級】

 

 小級、中級、大級、上級、超級と上がっていく。

 

 一般市民が生活に使う魔法は小級に当たり、攻性魔法や防性魔法等の戦闘に本格的に使用する魔法は中級以上になる。

 上級と超級の分類は魔導学の登場以後に作られたものであり、要求される魔力と技術は小~大級魔法よりもさらに数ランク上がる。

 

 なお失われた古代文明には、さらに高度な魔導技術が存在していたことが様々な研究や物証から明らかにされている。

 

 ex:

 【灼璃しゃくり】:小級魔法

 

  人間の大人、その拳大の火球を一つ生み出す魔法。

  威力は板壁を焦がす程度だが、使用する魔力の量によって火球の威力と数は増加する。

  護身用として最も普及している魔法の一つ。

  

  

 【迾飆伐錡れっぴょうばつぎ】:上級魔法

 

  効果は、渦状の風の檻の中に閉じ込めた標的を、絶えることなく巨大な風の刃が斬り刻むというもの。

  『標的の防御を、攻撃の回数を積み重ねて打ち破る』という考えによって設計された魔法。

  拠点の防御結界や巨大な魔獣等に行使されることを想定している。

  

  ロヘリオは服の内側に隠し持っている魔晶石と専用に改造した魔導杖を用いて、魔力と演算能力の不足を補う事で辛うじて使うことができる。

  

 

【失われた文明】

 

 今では完全に世界の記憶から消え去った過去の文明群。

 現代文明の一万五千年以上前を指す。

 

 社会一般ではその痕跡は一切が無くなり、市民がそれを目にすることは無い。

 

 ごく一部の限られた者達、研究者がその残滓を手にすることはあるが、過ぎたる力に振り回されて破滅の道を辿ることになる。

 

 特に古代第四文明は他の文明群以上に、完全にこの世界からその全てが消失している。

 歴史的には、時間の連続性の空白、そして僅かに残る伝承の中の伝承というようなものから『あったのではないか?』という推察により『古代第四文明』という『空箱』が置かれている。

 

 パフェラナの持つ運命ドゥーム巧式フォーミュラーは歴史の、そして魔導技術において特大の特異点となる存在である。

 

//

 

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