弱者の選択 二

~エステバン・ペニエール~


 最初からこの依頼はケチが付いていた。

 

 カルロスが家の関係上、断り切れずに取って来た『風見の森に赴くトシャ伯爵の長男の護衛』。

 豊富な資源があり一獲千金を夢見れる反面、『獣の胃袋』と呼ばれる程に強大な獣や魔獣が徘徊し、危険な地形が散在する開拓者殺しとして有名な風見の森。

 

 俺が住む乾燥した土と埃が風に舞う土地とは違う。

 上を向けば視界の先を木々の枝葉が覆い、濃い緑と土の臭いが冷涼な空気の中を漂う。

 

 死に近い場所と言われながら、俺が住む国の街よりも生命の息吹が溢れている。

 

 胸を突いたのは、捨てたあの荒屋の街の記憶。

 

(ここは、生きることが許されている)


 ただの感傷。

 ただの思い違い。

 

 自然は何よりも弱者を殺す。

 

「おいカルロス。まだ見つからないのか?」


 俺の後ろを歩く依頼者の少年が、カルロスに横柄な声を掛けた。

 

 無邪気で傲慢ごうまん浅慮せんりょで見栄っ張り。

 いかにもな貴族の子弟であるトシャ伯爵家の【ギリェルモ・トシャ】少年は、自身の取り巻きと婚約者を引き連れて、ピクニック気分でこの森へのにやって来た。

 

「いいえ。もう先行した仲間が丁度いい個体を捉えています。もうしばらくすれば誘き寄せてきますので、戦いの準備をお願いします」

「はあ。せっかく本家の俺が、辛うじて分家の端に引っかかってる程度のお前を使ってやってるんだ。もっと効率よく仕事しろよな。俺に恥をかかせるな」

「申し訳ありません」


 カルロスがトシャ家のお坊ちゃんに頭を下げる。

 あいつも計算高く立ち回りの上手い奴だが、貴族の血に纏わる面倒事を捌くには器量が足りない。

 

 貴族の血は美味しい思いにあずかれる反面、収支に合わない厄介事も呼び寄せる。

 

(お飾りにはまだ使えるしな。切るのを考える程じゃない、か)


 遠くから仲間の気配が近付いて来る。

 そしてそれを追う魔獣のぬるりとした、悍ましい気配も。


「さて。仕事を始めるとするか」


 視力を魔法で強化する。

 木々の幹が入り混じり、細められた隙間の先。

 

 鉄色の鱗をした家屋よりも大きなトカゲの姿が見た。

 

 火錬玉を赤く灯す魔導弓に魔導矢まどうしつがえ、木々を砕き倒しながら迫る音の方へやじりの先を構える。

 

『ガア―――』


 咆哮するその足へ向けて弦を放った。

 

「ヒット」


 ズドォン。

 

 紅蓮の爆発。

 鱗を貫き、魔獣の右前足へ刺さった魔導矢が爆炎を上げた。

 

 態勢を崩し、腐葉土と木の根が張り巡る地面をトカゲの巨体が滑り転がっていった。


 * * *

 

 外周部にいる図体はでかいが比較的弱い魔獣。

 俺達が弱らせたそのトカゲに向かって、お坊ちゃんは新品の装飾過剰な魔導剣を元気に振り回していた。

 

 取り巻き達と一緒になって、手負いの魔獣とそれなりの戦いを演じる。

 仮にも貴族、それも王立学院で学ぶ身とあって、彼らの戦い方は学生にしてはよく訓練されたものだった。

 

 それでも万が一怪我でもされたら非常に面倒であり。

 ロヘリオがお坊ちゃん達に防性魔法を掛けたりして、俺達も徹底的に彼らのフォローを行った。

 

「オリャアアアッ」


 元気の良い声を出すお坊ちゃん。

 その両手に握る魔導剣がやっと魔獣に止めを刺した。

 

 トカゲの首から緑の血が噴き零れ、巨体が倒れて地面が揺れた。

 F級開拓者の新人よりましな戦いは、当然の結果としてお坊ちゃんの勝利で終わった。

 

 俺は息絶えた魔獣の骸から魔生石を取り出す。

 心臓を切り開き、血に塗れたそれを水魔法で洗浄した。

 

 木漏れ日で緑に光る、トカゲの血の色をした魔生石をお坊ちゃんに渡す。鼻息荒く受け取った彼は、空へ向かって見せつけるように掲げた。

 

「ウオオオオオオッ!!」


 取り巻き立ちに囲まれて、青臭い雄叫びを上げる。


「やりましたねギリェルモ様」

「流石は武名高きトシャ伯爵家を継ぐ御方です」

「風見の森の魔獣討伐など、学院の誰にもできないことですよ」


 途切れない賞賛の声に、お坊ちゃん本人は非常に悦の入った表情をその顔に浮かべた。

 

(満足しただろうからこれで終わり、としてもらいたいがね……)


 大盛り上がりの学生共。

 ここから踵を返せば、十四時には町へと帰れるだろう。

 

 それに風見の森程の場所で足手纏いの御守ができるのは、俺達B級開拓者パーティー【白鷲しろわし】にはここら辺が限度なのだから。

 

(こんな森の端でさえ濃密に漂う自然魔力。奥に進めばどんな化け物が出て来るか分かったもんじゃない)


 お坊ちゃん達に倒させた魔獣も、下の人里に現れれば領主が即座に派兵を決定する程のものだ。

 それがこんな森の外れで隠れるようにして生きている。

 その異常を、曲がりなりにもバゾヤ正統王国の王立学院の学生であるお坊ちゃん達には理解して欲しいと期待する。


(ま、このクソガキのような人種は下からの意見など聞きゃしないがな)


 何度も経験してきたことだ。

 

(逆にへそを曲げて深部に向けて突撃する恐れさえある)

 

 疲労困憊のお坊ちゃん達へ、俺の仲間達が治療魔法を施し、体力と魔力の回復の為の薬理酒を配る。


「それではギリェルモ様、町へとお戻りになられますか?」


 おもねるようにしてロヘリオが尋ねた。

 ここが引き際だという、遠回しな修辞の表現。

 

「いや」


 薬理酒の入った小瓶から口を離し、眦を上げたお坊ちゃんの顔が上を向いた。


「おいカルロス。この程度の魔獣じゃ俺の実力をサリタに見せる事ができないだろうが」


 婚約者の娘の名を出して、そしてあろうことか深部への進行を催促した。


「ギリェルモ様!!」


 その言葉には流石のカルロスも顔色を失う。

 必死に言葉を尽くして、お坊ちゃんに愚行ぐこうへの翻意ほんいを訴えた。

 

「ならん!」


 しかしお坊ちゃんは、カルロスの忠告を聞き入れようとしない。取り巻きのバカ達も騒ぎに便乗して、猿のようにはやし立てる。

 

「私も進むのは反対よ」

「サリタ!」


 押し切られそうなカルロスを、お坊ちゃんの婚約者である【サリタ・ニカラン】が援護した。

 

「ここでは私達はただの素人なのよ。開拓者のカルロスさん達の意見をこそ尊重すべきだわ」


 しかし結局、お坊ちゃんは自分の意見を曲げることなく押し通し。

 有力貴族の威光を持ち出された俺達は、森の奥へと足を進めてしまった。

 

 ……。


「申し訳ない」


 後ろでカルロスがニカラン嬢に謝罪する。

 

「カルロスさんが気にしないでください。意固地になったギリェルモが悪いんですから」


 クスクスと玉を転がしたような笑い声。

 

「私達の方こそごめんなさい。帰ったらお渡しする報酬を多めにするよう、父にきつく言っておきますから」

「ははは、それはありがたい」


「おい! ちんたら歩くな!」

「……すんません」


 お坊ちゃんが俺に怒声を浴びせ、勇むようにしてその歩みを速める。

 

「トシャ様、俺の前に出ないでくださいませんかね。これじゃ不測の事態に対応できないんで」

「うるさい!」


 不機嫌なお坊ちゃんは、俺の注意を全く聞こうとはしない。

 

(チッ、カルロスも控えりゃいいものを……)


 カルロスとニカラン嬢は

 当人から朝一番に、昨日の深夜にやったと聞いた時には、本当に頭が痛くなった。

 

 カルロスは無類の女好きの上に外面が良いので、その周囲に女が絶えることは無ない。。

 依頼者やその関係者の女とできるのはいつもの事だが、このクソガキ共の引率をやっている時位は控えやがれと、思わず苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

 ニカラン嬢がカルロスに向ける態度には、上手く隠しているつもりのようだが、女のつやかすかに混じっている。

 経験の少ないガキには解り辛いものだが、しかしそれでも本能的に感じるものはあったようで、お坊ちゃんの俺達に対する当たりが、どんどん酷くなってきている。

 

(そろそろマジで危ないな)


 さっきから肌がピリピリしっぱなしだった。

 この辺りが限界であり、お坊ちゃんの家とのコネを放り捨てでも止めようと、他の仲間達に目で合図を送る。


(国に帰ってからの後始末は全部カルロスにぶん投げてやる)


 一人だけ貴族の少女ガキを喰って楽しんだんだからな。


 それにそもそも、これはカルロスが断り切れずに持ってきた依頼だ。

 

(外面を気にして必要以上に愛想を振りまくから、肝心な時に強く出られないんだ。俺達は社交を気にする貴族じゃない、開拓者だ。アホな依頼主は張り倒す位で丁度良いんだよ)

 

 右手を開閉しながら考えを纏めた。


 しかし、お坊ちゃんに声を掛けようとしたときはもう、手遅れだった。


 強い魔力の気配が無数に現れて、アホみたいに大きな、魔獣化した狼の群れが襲い掛かって来た。

 

 お坊ちゃん達を守りながら無我夢中で走り、幸運にも見付けた大木のほらの中へと逃げ込んだが。

 そこは魔力の澱みによって生まれた、天然の魔術装置になっており。


 発動した空間魔術に呑み込まれ、俺達は森の何処かへと転移させられてしまった。


 ……。

 

 そして結果はこの有様。


 より濃密な魔力が漂う場所に飛ばされて。

 俺達は見たこともないような強大な力を持つ魔獣、雷纏う有角の虎に見付かって。

 魔導剣を掲げて勇敢にも突っ込んでいったお坊ちゃん達は、仲良く魔獣のエサになってしまいましたとさ。

 

 * * *


(どうすればこいつを殺れる?)


 俺達には必要だった。

 『依頼主の貴族の子弟が死んだ原因』として全ての責任を負わせられる他人が。

 

 そう。

 あの傲慢な武人気取りの、腐った貴族を煮詰めたような豚であるトシャ伯爵、その怒りを俺達の代わりに受けさせる生贄いけにえとする為のが。

 

(どうすればいい?)


 俺達の目の前に佇むのは、灰毛頭の人間の青年。

 

 ボロボロの革鎧。

 ボロボロの衣服。

 

 剣や槍、弓や杖の類の武器は持っていない。

 

 感じる魔力の波動は、見習い兵士の青二才よりも弱々しく。

 整ってはいるが気怠げな内心の疲れを感じさせる顔付きと、覇気の欠片も見えない青色の瞳。

 鍛えられていることは分かるが、ただそれだけの中肉中背の身体。

 

 私部隊パーティーからはぐれ、森の獣達から命辛々に逃げて来た下級開拓者そのままといった風貌の男。

 

(……が、中身はかなりヤバい)


 外面に反する内面。

 圧倒的という表現さえ足りない、隔絶した実力。

 

 男の纏う凡庸ぼんようとした気配も、逆に得体のしれないおぞましさしと感じる。


―― この灰毛頭に手を出す事が、いかに馬鹿な事かは解かっている。


 しかしコイツを殺してにしなければ、責任を問われて莫大な賠償金を支払わなければならなくなるのだ。

 

―― これまで命を懸けて貯めてきた金を、あんなお坊ちゃんゴミの不始末の為に失って堪るものかよ!!


 俺の金が奪われる事を考えただけで腸が煮えくり返る。

 それに、だ。


機会チャンスはある)


 灰毛頭は間違いなく、残りわずかな魔力しかない。

 魔力の波動、その弱々しさは欺瞞ぎまんではない。


 言うまでも無い事だが、個人の持つ魔力量の多寡たかは、戦いの結果を左右する重要なファクターだ。


 魔力が無くなれば魔法は使えないし、魔導機械の魔術の類も使えない。

 それは戦闘や治療、移動において、手足をもがれたも同然の事を意味する。


 別に魔法や魔導機械の魔術を使わなくてもできる事だが、能率と効果は著しく劣るものになる。


 普段は鋼の剣で斬られても、表皮に傷一つ付ける事の無い卓越した英雄でさえも。

 魔力切れとなり、魔法の防護を失った状態ならば、細い鉄の毒針をその血肉に突き立てることができる。


 魔力切れになっても死地から生還できるという話は、伝説や創作の登場人物達だけなのだ。

 

(使えるのは一回だけ)


 俺は両手の袖口に、ある魔獣の牙で作った針を隠している。

 それらに仕込んだ『臓食ぞうはみの蜜』は、人の内臓の機能だけを壊す効果を持つ、裏社会の商会から手に入れた希少な毒。

 

 思考を巡らす俺の横からカルロスが一歩前に出て、その頭を灰毛へと下げた。


「本当に申し訳なかった。俺がこのパーティーのリーダーだ。メンバーの責めは俺が全て引き受ける」


 真摯しんしに響く声は、裏を知ってる俺でさえも、偽りとは思えない程のものだった。

 だからこそ、それを聞いた灰毛頭が纏う気配も、柔らかいものへと変わった。


「わかった。その謝罪を受け取ろう」

「本当にすまない。助けてもらい、さらに裏切るような真似までした俺達を……」


 気品のある所作で、再びカルロスが頭を下げた。


 こういう時にこそ、カルロスの外面の良さはその威力を発揮する。

 

 本性は女にだらしない没落貴族の長男なのだが、整った容姿と礼儀作法に通じた所作を駆使して、交渉相手の懐に簡単に入り込んでいく。


「俺達はB級認定パーティーで【白鷲】と名乗っている。申し遅れたが俺の名は【ちかいの剣 カルロス・トーシェッタ】。B級開拓者だ」


 灰毛頭とカルロスが握手を交わした。

 それを見たロヘリオも謝罪を口にして、深く頭を下げた。


「先程はすみませんでした。C級開拓者の【戦炎せんえんの杖 ロヘリオ・タチェルト】という者です。バゾヤ正統王国にある王立デン大学の魔法学部で学びました」


「王立大学を出たのか。かなり優秀なんだな」

「ははは、そう言っていただける程の者じゃないですよ。こうしてカルロスさん達におんぶに抱っこで、どうにか開拓者をやれている非才の身ですから」


 一流の経歴に、いかにも怜悧れいりな魔法士の姿。

 しかし性格は狡猾こうかつ卑小ひしょう

 娼館通いが過ぎて借金を負い、王政府から叩き出された過去を持つなど誰が思いつけるだろうか。

 

 カルロスの目が、俺に合図を送って来た。

 それを受けて、俺も灰毛頭の前へと進み出る。


「すまなかったな。俺は【赤羽の弓 エステバン・ペニエール】だ。あんたの深い慈悲に感謝する」


 ま、俺も負けず劣らずのろくでなしだ。

 こいつらとの違いは、クソな内面が顔にもよく出ている事だけだが。

 

 灰毛頭が自分の名を告げようとするタイミングで、俺は右手を差し出した。

 

 握手。

 

 どんなに強くても。

 それがどんな人物であっても。

 

―― ゴミの中で息絶える。

―― 荒屋の中で息絶える。

 

―― 曇天の汚れた泥道の中で、死んでいく。

 

 俺の右手を握った瞬間に、毒針が飛び出て突き刺さる。


(これで終わりだ) 

 

 灰毛頭の右手が動き、唇が開く。

 本当の決着が迫る。

 

「俺の名は……」

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