弱者の選択 一
魔導弓はとても強力な魔導の兵器システムだ。
魔導機構を組み込んだ本体は『弓の形をした魔導杖』であり、張られた弦を引く動作で以て、詠唱及び魔法儀式の代替となるように作られている。
そもそも魔導杖は魔法行使の媒体として最適化された、汎用的な機能を持つシステムであり、魔法の専門家である魔法士だけではなく、市井に生きる人々も、その日常の中で使っている。
だが魔導弓は汎用性を捨て、攻撃に特化するように設計されている。
治療魔法のような精密な制御が必要となる魔法には使えないが、威力と発動の速さを重視する類の戦闘用の魔法には、普通の魔導杖よりも大きな効果を発揮するのだ。
更には保有する魔力が少ない者でも、魔晶石を使って作られた
魔法が才能に大きく左右される技術である以上、優れた魔法の専門家である魔法士に成れる者の数は限られたのもになる。
一般的な兵士でさえ訓練を施して、魔獣との戦いや戦争で使えるレベルになるまでにはそれなりのコストが掛かる。
況んや魔法士の育成ともなると、教材や専用施設等の必要性もあり、下手すると兵士百人分以上の予算が軽く消費されしまう。
それだけのコストが要りながら、しかし魔法士の需要は無くならない。
医療や建築等は言うに及ばず、人同士の戦争や魔獣との戦いなど、魔法士を必要とする場所は何処にでもある。
そして武功を上げ、貴族となった魔法士は少なくない。
しかし今の時代には、魔導弓が登場した。
魔法の才能が無く、知識もない平民であっても、魔導弓を手にした瞬間、強力な魔法を使う事ができるようになる。
習熟するには訓練が必要だが、それも普通の兵士程度のものでしかない。
戦闘専門の魔法士並みの魔法を使える存在が、彼らよりも遥かに安く、生み出されるようになったのだ。
ただ魔導弓を握るだけで、平民は戦える人となり、『ロケットランチャーを持った強者』へと変わる。
そして戦場で無才の平民に値段が付けられるようになった結果。
古くより続く『高い魔法能力を持つ、
魔法効果の無いただの鉄の武器では、魔獣に対抗するのは酷く難しい。
たとえ魔獣を仕留めたとしても、その過程で多くの者が犠牲となる。
それによってコミュニティーを維持する力を失い、消えていった村や町、都市や国家は歴史上少なくない。
だからこそ原始社会より、魔獣を葬ることができる強力な魔法の使い手達は崇められ、その血族には貴族等の特権的地位が与えられてきた。
だが、平民は力を得た。
長い歴史の中で悪い貴族がいたかもしれないし、善い貴族もいたかもしれない。
しかしその個々の善悪に関係はなく、自らを守る力を手にし熱狂した平民は、やがては『血の身分』という邪魔な上蓋を吹っ飛ばすために動き出すようになる。
今世の世界ではまだ『血の連なりによる特権的地位に在る者』達が、その政治的軍事的役割の多くを担っている。
しかしそれは、魔導弓を
下位の身分に置かれた人々の政治への参画は、戦場で戦う力を得た事から始まると、どの世界の歴史も語っているのだから。
……。
……。
思考が遊んでしまった。
(さて、この状況をどうしようかね……)
助けた者達の仲間らしき男が、その手に構える魔導弓に番えた魔導矢の切先を、俺の方へと向けている。
猛禽類のような鋭い焦げ茶色の瞳が刺すように睨み、カバーの外れた火錬玉は活性の証である赤い魔力洸を灯し、魔導矢の
鉄板で覆われた装甲馬車でも、あの魔導矢が当たれば木っ端微塵になるだろう。
「お前は何者だ?」
非常に剣呑な声で男が尋ねてきた。
慢心は見えず、荒ぶる外観に反した適度な警戒の気配があり、歴戦の戦士である事を伺わせる。
(強さは大剣位の上程度か。こいつに少し劣るカルロスを加えて評価するならば、総じて開拓者のB級私部隊といった感じだな)
視線を男に合わせたままで、視界の端々を使って周囲を視る。
巨大な木々の間に積もる落ち葉や雑草、戦いで抉れた地面の上にはバラバラになった死体のパーツが散らばっている。
割と原型を留めた三つの顔には断末魔の表情が刻まれ、彼らの絶望と苦痛を表している。
血や泥で汚れ、損傷で分かり辛いが、どうも彼らは若い世代の男女のようであった。
(十代後半位で、おまけに装備の感じが学生っぽいな。二十代前半のカルロス達との年齢の差を考えると、彼らは依頼者の側か)
上等な新品同然の装備。
砕けた魔導鎧から覗く衣服の生地は一流品。
魔導武器など、それこそA級開拓者が使うような物が転がっている。
(上位貴族の子弟の類だな、これ。そして死体になっているのは殆どが彼らの方。開拓者でB級、つまりベテラン級のカルロス達に被害が少ない事から、この結果は依頼者側の暴走か……)
日常から外れて興奮したかどうかは知らない。
子供が冒険心を掻き立てられて、近所の森の奥へと入って行き、最後は獣の胃袋に収まるというのは珍しい話ではない。
(依頼者の身分が高いとはいえ、ベテランの開拓者達が彼らの無謀を止められなかった事に疑問を覚えるが……。それを考えるのは後でいいか)
俺には魔導弓が向けられ、向ける側も最初の問い掛け以降、積極的に動こうとはしない。
男の意図には時間稼ぎが透けて見えるが、俺も特に動く事はしなかった。
(まあ結局、これが一番手っ取り早い)
そうしている間に木々や茂みの陰に隠れて動いていた二つの気配が止まった。
一人は右後ろの幹の陰に隠れ、もう一人は左上の枝葉の中へと潜んだ。
魔力の流れの感じから、右後ろが魔導弓を使い、左上が魔法を使おうとしている。
俺の正面で魔導弓をこれ見よがしに構える男と、身の隠し方に拙さのある左上は囮。
よって本命は右後ろの魔導弓。
(さしずめ俺を襲撃犯にでも仕立て上げ、依頼失敗のペナルティーと諸々を軽減する為の生贄にするつもりなんだろうな)
命の恩人を害して利益を取ろうというその人面獣心のスタイルは、悪人としては実に優秀な仕事ぶりだ。
(全く以てクソ開拓者のテンプレだがな……)
こいつらのような奴らは年に数回は出てきて、漏れずに開拓者協会の処罰を受けている。
押し並べて協会の監察官は非常に優秀なのだ。
ボンノウは失敗には寛容だが、外道、特に身内の行いに対する処分は苛烈を極める。
これは奴の前世での出来事に起因するが、かくして出自の貴賤を問わない人材の坩堝たる開拓者達、その風紀は常に正され続けている。
だからこそ、強大な戦力を個人で所有する開拓者は、社会に忌憚を抱かれずに受け入れられているのだ。
(得物はあそこに転がっているのを使うか)
ここは森だから良かったが、町の方がクソ開拓者の対処に困る。
喧嘩の跡片付けが面倒で、かと言って通報しようにも俺の方が今はお尋ね者だ。逆に追手を呼び寄せる結果になってしまう。
いつかは指名手配も解除されるだろうが、しかしあの悪夢がどこまでを示すのか解らないので、下手な動きをすればまた『バッドエンド』に捕まる可能性がある。
(ホントに、運命魔法はこういう所が難しいんだよな)
気疲れを覚えながら動こうとしたとき、突如カルロスが声を張り上げた。
「エステバンやめろ!! 彼は俺達の命の恩人だぞ!?」
「だからどうした。依頼者の坊ちゃんはそこで挽肉になってるんだぞ。こいつを生贄にしなけりゃトシャ伯爵の怒りを諸に浴びることなる。そんなのは真っ平御免だ」
「……だが、彼の力は」
「ハッ、この距離で魔導矢を避けられる訳がねえだろ」
エステバンが嘲笑う。
その表情とは裏腹に、目の奥の光には油断は欠片も無い。
「エステバンさんの言う通りです」
「ロヘリオ……」
「それに、彼の魔力はもう殆ど残っていません。疲弊した状態の今ならば、やれます」
魔法士然としたローブを着込んだ青年、ロヘリオがその手に持つ魔導杖を構えた。
……。
合計四つの火砲の口が俺へと向けられている。
緊張する空気に、思わず舌で唇を少し舐めた。
風の中にピリッとした魔力の辛みを感じるが……。
(胡椒一振り分にさえならないな、こりゃ)
潮の匂いは無く。
戦いの気配に、しかし心は躍らない。
さっきの虎にさえ届かない敵達の姿に、始末書を書かされるような気怠さを感じて気が滅入る。
(それでもハメを使う場面としては真っ当な部類か。趣味にはなっていないようだし……)
武器を向けているとはいえ、先程魔獣から助けたばかりの人間達。
斬ったとして、そうすれば態々割いた俺の時間と労力は無駄になる。
(改めさせる余地はある、か。しゃーない)
「ま、お前らを伸してから考えるとするか」
やる気なくはなった俺の言葉にエステバンが反応した。
「
咆哮し、魔導矢を番えた弦を離した。
瞬時に加速、音を裂く赤熱した鏃が俺の胸部へと向かい来る。
同時、左上から放たれた魔法が俺を中心に半径五メートル、地面から腰部までの円柱状の領域に在る空気の粘性を一気に高めた。
(運動妨害のデバフか)
そして背面からは、本命であろう、毒の臭いを纏う矢が飛来する。
少しだけ感心した。
「よく訓練している。良い連携だ」
真面目に開拓者を続ければそこそこ成功するだろう。
「「っ!?」」
エステバン達が驚愕の声を上げ、勝利を確信した表情が愕然としたものへと変わる。
この場にいる俺以外が視線を向けるのは、目の前に掲げた俺の左手。
指に挟んだ二本の魔導矢。
「化け物が、食らえっ!!」
絶叫に近い掛け声をロヘリオが上げる。
その右手に握る、無色の魔力洸を湛えた魔導杖を俺へと向けた。
その射線を避けるように動く素振りをした俺を見て、ロヘリオはニィと口角を吊り上げた。
着込んだローブの陰に隠れた左手が僅かに動く。
パンッ。
乾いた音が響き、硝煙の臭いが流れた。
「はは、ア―――ハッハッハ。やった、やったぞ!!」
その馬鹿笑いを聞きながら、俺は右の親指と人差し指で摘まんだ、硝煙臭い鉛の弾を弄ぶ。
それは俺の右目の前に空間転移してきた物だった。
(この前似た技を受けたが……)
ロヘリオの魔導杖は標的の注意を誘導するための囮。
本命はローブに隠した左手の単発銃、その射出した弾丸を空間転移させることによる奇襲。
通常この程度の鉛弾では、不意を突かなければ中剣位以上の者には通用しない。
しかしこのように策を講じ、不意を突く事ができれば、ある程度の者には必殺となってしまう。
また弾丸の転移のタイミングなどそれなりに難易度はあるので、この青年魔法士のように使って頭が浮かれる程度には強力な小技でもある。
(しかしボンノウに比べると、出来栄えの差は砂糖粒と銀河だな)
指で摘まんでいた鉛玉を、見せつけるように掌に転がす。
ロヘリオの馬鹿笑いが止まり、目がこれでもかと見開かれた。
「うそだ……」
呆然としたその面に向けて、指で鉛玉を弾いてやった。
「っ!?」
直撃。
狙い通りにロヘリオの額を打ち、彼は吹っ飛んで地面を転がり、泥だらけになって動かなくなった。
「クソがっ」
悪態を吐いたエステバンが更に魔導矢を撃ち放つ。
最大で同時に三発、連続四回。
流れる動きに粗は無く、狙いは正確に俺の体を捉えている。
(腕は良い)
けれどもその程度だ。
俺には決して届かない。
全ての魔導矢を摘まみ取り、横に放り捨てた。
「……化け物が」
聞こえた微かな呟き声には震えが混じり。
辛うじて弓を構えているが、汗が顔を伝い、次々と顎の先から落ちて行く。
エステバンの瞳には、はっきりと恐怖と怯えの色が浮かんでいる。
「今降伏してくれれば、危害を加える気は無いんだが。どうだろう?」
背後に疾走し接近する気配が二つ。
抜き放たれた刃物が風を切る音は同時。
少し体を傾けて二つの斬撃を躱し。
「っ!?」
「え?」
エルフと人間の少女の額を、左の人差し指でトントンと叩いた。
指から送り込んだ魔力で体内の魔力の流れを乱し、意識を刈り取る小技。
二人は俺に斬り込んだ勢いのままに飛んで行き、エステバンの傍らの地面を受け身も取れずに転がって行った。
「降伏させてくれないか?」
そう言ってカルロスが剣を納めた鞘を俺の前へと放り捨てる。
エステバンもそれに続いて魔導弓を放り投げ、二人は両手を開いて空へと挙げた。
―― やっと一息だ。
「いいとも」
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