森の中で

 バルコフの野郎のせいで飛ばされた場所は猟師小屋からかなり離れていた。

 

 体内を循環する魔力を活性化させ、その作用で以て身体能力を上げながら気配を消して森の中を疾走する。

 この方法は強化魔法程の効果は無いが、消費する魔力の量を遥かに少なく抑えることができる。

 

 周囲に生える木々の高さはどれもが百メートルを超えており、陽の光は生い茂る葉によって遮られ、地面は影に覆われて薄暗い。

 そこかしこに生命の息吹を感じ、危険な獣や魔獣の濃密な気配が途切れることなく漂う。

 

 自然魔力の豊富な森に生息する植物の中には、魔獣化した物も存在し、開拓者や狩人の脅威となる。しかし風見の森で植物系の魔獣を見る機会は少ない。

 それらが持つ特殊な毒や生態等は確かに脅威だが、この地の強大な獣やそれらが変異した他の魔獣には通用せず、逆に彼らの餌食になってしまうからだ。

 総じて魔獣は魔力の多いものを好んで食べる習性がある。

 風見の森ほど魔獣の生息密度が高い場所では彼らの間にある生存競争は激しく、弱肉強食の理が容赦なくこの地に住む者達を支配する。


 ここではは生き残ることができないのだ。

 

 狼の群れの正面を突っ切り、熊の背中を蹴って跳躍する。

 巨大な樹の枝の巣で眠る怪鳥の横を走り、跳躍を繰り返して枝から枝へと進む。


 獣や魔獣達は俺が側を通った事はおろか、触れた事にさえ気付いていない。

 

(これを懐かしいと思うのは、成長した証、なのでしょうか先生)


 先生との最初と最後の修行は風見の森だった。

 心身をすり減らして消耗し、恐怖で眠ることも難しかった一年目。

 そしてこの程度を遊びとさえ感じない六年目と今の俺。

 

 魔獣よりも、人の悪意の方がよっぽど恐ろしいと感じる。

 エリゼとデバソン、その両親達から受けた裏切り。

 それを俺はどう思っているのか……。


 物心付いた時からの付き合いである彼らダーン家には、俺は善意を持って接してきた。

 ダーン家が傾いた時、修行の為にペシエを離れた六年の間も、実家と同様に市場価値のあるものを何度も送った。


 俺の独り相撲というならば、確かにそうだろう。

 でもそれを踏み躙られて抱いた怒りも、確かに当然のものだ。


 悲しい、憎い。

 そして怒りのままに、彼らを血の海に沈めたい。


 復讐の刃を振るい彼らを皆殺しにしてやりたい。


 ……。

 

 しかしそれをすれば、俺の残った大切なものを今度こそ失ってしまう。

 

 世間から見れば、ただの愚かな男が、女とその家族に騙されたというだけの話。

 結婚詐欺という言葉は、前世でも今世でも存在する。

 当事者にはこの世の終わりと嘆く事件でも、社会の中ではありふれた日常に忘れ去られる出来事の一つでしかない。


 国家社会の庇護の下に、法益を享受する市民として生きるのならば。

 法に則りその行状の軽重けいちょうはからなければならない。

 

 刑法のはかりは、エリゼ達が犯した罪の乗る皿の反対に剣を置いてはいないのだ。


 市民として、法廷で勝ち得るものを持って、身に被せられた泥を払わなければならない。

 

 そもさん。せっぱ。

 

「まあ、確かにこんな馬鹿があの【鏖風奇刃おうふうきじん】の後継者だと言われれば殴りたくもなるか」


 半年前のバルコフとの戦い。

 俺はクソ狼に対して、『異名の無いただの剣士』だと名乗った。

 

 心に余裕が生まれた今だからこそ思い返せるのだが。

 先生に対して強い尊敬の念を抱いているあのバルコフにしてみれば。

 ハリス・ローナの強大無比な剣の正統を継いだ弟子が、『ただの剣士』と名乗ることがどれ程の侮辱ぶじょくであったかが分かる。

 

 ただの敵ならば、この話は捨て置けばいい。

 しかしバルコフ、そして魔月奇糸団はもはや利用するだけのものではなく、仲間と呼ぶべき存在となった。


 社会の表裏に根を張る秘密結社であり数多の構成員を擁する魔月奇糸団、その真の意味でのメンバーである十三人。

 言動に気さくさのあるグロリアだが、戯れでその席を与える事は絶対にしない。

 彼女にとっても魔月奇糸団という意味は重く、それを大切にしているのがここ半年の付き合いでよく分かった。


 第四席。

 かつて先生が身を置いていた場所。


 大恩ある彼が唯一誇りとしていたものを、それを継いだ俺が汚すわけにはいかない。

 その意思はあるのだが、まだまだ【鏖風奇刃 ハリス・ローナ】の背中は遠い。

 だから彼のいた場所に座ることに、畏れが無いといったら嘘になる。


(グロリアに押し付けられたという気もするが……)


 それでも迎えてくれた彼女達に対して、俺も未熟者なりに礼は尽くすべきだろう。

 

「そうだな。これもけじめ、だ」


 枝から飛び降り、触れた水面みなもを蹴って川の上を走る。

 滝の傍らの剥き出しの岩肌を駆け上がり、その先のV字谷の底を流れる川の上をまた走る。

 

 途切れることなく続く深山幽谷しんざんゆうこく

 悩ましい事はまだあるが。

 この奥深く美しい雄大な景色は、それを見る俺の心を静かに鎮めていってくれた。

 

 * * *

 

 戦いの臭いを嗅いだ。

 潮の匂いは無く、剣戟けんげきの音も遠い。

 

 魔獣一匹と人の臭いが十四。

 人の血の臭いに混じる死臭から、その内の五は人死んでいると分かる。

 

 風見の森の深部に近いこの場所まで来ることができた、だから相応の手練れである、はずなのだが……。

しかし感じる彼らの魔力の波動は、ここを歩くには、はっきり言って弱すぎる。


或いは俺のような人物達という可能性もあるのだが、それは血の臭いが否定する。

 

「道に迷ったのか、それとも慢心して進んだのか。何れにせよ、結果として手に余る魔獣に出会ったということか。……哀れだな」


 一応は追われる身であるが、鬼はカグヤがすると言った。

 

 ペシエにいる八人のS級開拓者達、その中の最強であるカグヤの発言力は大きい。

 それにあいつの性格上、俺に着せられた汚名と、嵌めたダーン家の件を片付けてから動くだろう。

 

 他に動きそうなS級の奴に心当たりが一人いるが、それでもスス同盟国を出る為の時間に余裕はある。

 

(まあ、仕方ないか)


 川を離れ渓谷を駆け上がる。

 切り立った崖の切れ目を蹴って宙を翔け、さらに枝を蹴って空をぶ。

 

 焦げ落ちた枝が作る森の切れ目。

 その濃い血の臭いの立つ場所へと突っ込んでいく。

 

『!?』

「「な!?」」


 音も無く着地した荒れた地面の上。

 

 俺へと視線を向けるのは満身創痍まんしんそういの開拓者達と、雷をまとう有角の巨大な虎。

 対峙する両者の間にできた戦いの空隙くうげきが生んだ静寂、その機を逃さずに一人が魔獣への死角へと移動する。

 魔導弓に番えた矢を引き、一瞬の赤い魔力洸と共に魔獣へと放つ。

 赤い魔力洸に輝く魔導矢まどうしが魔獣の横腹に命中して爆発した。

 

「やったか!?」


 彼らの一人が快哉かいさいを上げた。

 

 かつてネット動画で見た対戦車ミサイルに数倍する威力の爆発。

 紅蓮の炎が爆ぜ、膨大な煙が立ち昇っている。

 

 俺にとっても至近であり、遮る物は無く、爆炎と爆風が容赦なく襲って来た。

 しかしこの程度で傷を負うようならば、バルコフとの戦いでは一秒と持たず、灰も残さずに消えている。

 

 炎と風を掌に捉えて上空へと流す。

 俺でも無詠唱で使える簡単便利で魔力の消費も少ないこの魔法。

 しかし俺が剣を抜いて戦う相手には全くもって通用しない。


(こうして思うと、俺の当たる敵ガチャは悪すぎないか)


 煙に隠れている魔獣の方も、傷を負っていないようである。

 開拓者達は快哉を上げてもう終わったとばかりにはしゃいでいるが。

 大変に拙い状況じゃないかな、と思う。


「キャアッ!?」


 煙の中から無傷で現れた魔獣の顎門あぎとに少女が悲鳴を上げた。

 そこに生える太い杭の如き犬歯が彼らの防御結界を容易く噛み砕く。

 

「え、ウソ……」


 彼らはまともに反応することができず、悲鳴を上げた少女に魔獣の顎門が覆い被さっていく。

 そのコマ送りのような瞬間、俺は地面を蹴って走り、魔獣よりも先に獲物となった少女を助け出した。

 

 魔獣の顎門が閉じるのと、少女を抱えた俺が振り返るのは同時だった。

 

『グルルル』


 魔獣の目が俺をにらみ、その細められた瞳孔には苛立ちが溢れんばかりに猛っている。

 遊びを邪魔されて獲物を横取りされたことが、魔獣の勘気かんきに触ったようだった。

 

「さて、俺も時間が無いからな。とっととケリを付けさせて貰うぞ」


 腕の中の少女は気絶し、他の無事だった開拓者の殆どは走って逃げて行った。

 剣と杖を構えている男が二人残っているが、その顔は恐怖に引きつり、剣と杖の先が震えで定まっておらず、戦える状態ではない。

 

『ガアッ』


 魔獣がその身に纏う雷を放つが、それは俺には容易たやすく見切れる程度のものでしかない。

 六発目の雷をかわしたとき、魔獣が七発目と同時にその牙を剥けて飛び掛かって来た。

 

 武の欠片も無い魔獣の襲撃を上へと跳躍して避け、紫電の覆う後頭部に左足の一撃を蹴り入れた。

 

『ゴハッ!?』


 俺の一撃に、魔獣が俺に襲い掛かった勢いも加わって、巨体は水平に飛んで行き巨木の幹に激突した。

 枝葉の中から鳥達が逃げて行き、逃げ遅れた獣や虫たちがボトボトと上から地面へと落ちて来る。

 

『ガッ、ゴホッ、ゴホッ』


 魔獣が咳込せきこみ、ふらつきながらも立ち上がる。

 俺を睨んで来るがその目の中に戦意は残っておらず、怯えの色が見えている。

 

 俺も戦意を消して、目にその意志を込めて伝えると、魔獣は森の中へと去って行った。


 ドサリ、と二つの音が聞こえた。

 そちらを見ると残っていた男達が地面に尻餅をついていた。

 

「大丈夫ですか?」


 反応を見る為に声を掛けてみる。


 杖を持った青年は青褪めた顔に唇を震わせて、ただ強く杖を抱き締め続けるだけ。


 ……。


 剣を持っていた男が、何とか笑顔を取り繕って応えを返してくれた。

 

「……、いや、すまん。貴殿が誰かは知らないが助かったよ」


 手を地面につけて男が立ち上がろうとする。

 彼の膝は笑っており、それでも何とか独りで足を立たせることに成功した。


そして傍らに転がった剣を拾おうと手を伸ばすが、震える右手は柄をうまく掴む事ができない。

三回、カシャンと剣が地面を跳ねた。


 

「失礼します。どうぞ」


 彼の仲間が俺を巻き添えにして放った『矢』の件があり、対応をどうすべきか考えていたが。

 さすがに見かねて剣を拾い、男の左腰の鞘へと納めてあげた。

 

「はは、は。見っとも無い所を見せたようだ」


 茶色に近い金色の髪を刈り揃え、上品な顔立ちをしている。

 泥にまみれているが、身なりもよく整えられ、着こむ魔導鎧は最新の物。

 貴族然とした雰囲気を身に纏いながらも、その赤銅色の目の奥には戦いを日常とする者の熱の色があった。

 

「改めて礼を言わせてくれ。おかげで命拾いしたよ。その君が抱える彼女もね」


 そういえばと、左手に抱える少女を男へと渡す。

 彼の右手が少女の額に添えられる。

 無詠唱で発現した透明な魔法の輝きが少女を優しく包み込んだ。

 

「あれ、私は一体……」


 男の手の中で少女がゆっくりと体を起こす。

 

「カルロスさん……? っ、カルロスさんみんなはっ? あの魔獣はっ!?」


 パニックを起こした少女に男、カルロスは優しく語り掛ける。

 

「落ち着き給え。もう全て片付いているよ。魔獣は逃げ去り我々は無事だ。そこの彼のお陰でね」


 少女の茶色い目が俺を見る。

 そのぼうとした瞳から察するに、まだ思考が現状に追い付いていないようだった。


「あの、ありがとうございます」

「気にしなくていいですよ。偶々通りかかったので、立ち寄っただけですから」

「見た所、君も開拓者のようだけど……、他のメンバーは近くにいるのかい?」


 他のメンバー?

 ……。

 ああ、そうか。

 風見の森に単独で入るなんて、自信過剰で命知らずの新人開拓者でもしないからな。

 特にこの深部付近じゃ、A級でさえ単独行動は控えるのが常識。

 

 俺の今の装いは、ボロボロの革鎧を着て武器さえ持っていない、迷子の下位開拓者といった有様。

 それがあの魔獣を退けたというのは、確かに彼らには不自然に映るだろう。

 

 そう思考が結論を出して、だからカルロスの探るような声音に納得した。

 

「ちょっと離れた所にいるんですがね。俺ははぐれてしまって。だから今そこへ向かっている所なんですよ」


 俺の言葉は状況説明としては苦しいものだが、この言い方ならばカルロスも深く聞いて来ることはないだろう。


 彼らを追い詰めた魔獣を軽く一蹴いっしゅうした俺の素性を必要以上に探っても、藪蛇にしかならない事を彼なら理解できるはずだ。


 万が一にも機嫌を損ねた俺が彼らと敵対した場合、結果は火を見るよりも明らかな事だと、彼ならば思い至ってくれるに違いない。

 

「……、そうか。時間を取らせてすまなかったね。俺達を助けてくれてありがとう」

「いや、お気になさらないでください」


 俺はあなた達が誰かを知らない。

 あなた達も俺が誰かを知らない。

 

 これでこの話はお仕舞。


(面倒事にならなくて良かったか。まあ助けた人に絡まれるなんて、まとめサイトの話だけで十分だしな)

 

 そうして俺がこの場を去ろうと歩を進めたときだった。

 

「待ちな」


 呼び止められた声に振り返ると。

 

 魔導弓を構えた男が立っており。

 

 それにつがえられた、赤い魔力洸を放つ魔導矢のやじりの先が俺へと向けられていた。

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