狼と老兵
~バルコフ・ジュノーク~
「痛つつ……」
右掌を腹部に当てて治療のための魔法を掛ける。
獣人である俺の高い治癒能力と治療魔法ならば、本来はこの程度の負傷などすぐに治すことができる。
しかし、クソ野郎から受けた傷の治りは遅々として進まない。
(
呪詛ならばその『
だがこの傷には一切の『穢れ』が存在しない。
むしろ、俺の魔法はおろか、周囲に漂う自然魔力よりも澄み切っている。
(『権能』の力。しかもここまで
団長が奴を欲しがる理由に今更ながらに納得した。
俺自身が見当を付けた理由が、ハリスさんが面倒を見ていたからではない事に、ほっとする。
所詮あのクソ野郎の剣などに価値など無いのだと、そう俺を納得させる。
(そうさ、奴は断じてハリスさんの弟子なんかじゃない)
あんな、まともな魔法も使えない奴なんかが、彼の弟子であって堪るか。
「ツっ」
傷の痛みが強い。
まだ立つのは厳しいか。
(半年前とは剣の腕が段違いだったな)
半年前の奴なら『蠅』で封じ込める事が出来た。
それに俺が倒されたのも奴一人の力ではない。
S級開拓者の【幻宝】と有象無象も三人いた。
確かに俺とあいつは相打ちになり、俺の魔杖は折られてしまった。
それでも、魔月奇糸団第四席【鏖風奇刃 ハリス・ローナ】に剣を学んだ唯一の者が、この程度である事が許せなかった。
しかも娼婦に乞われて、剣を活かさずに、その女の両親に騙されるままに港の荷役夫なんぞやってやがる。そいつ等に娘を結婚させる気など無く、ただ顧客のご機嫌取りの為にクソ野郎をいいように使っていた。
当の娘もまた婚約はしたがクソ野郎と結婚する気など無く、顧客との行為の余興に利用までする始末。
三文劇の登場人物かよと鼻で笑う話。
しかしこのクソ野郎はハリスさんから戦闘術を学び、表裏の社会に影響力を持つ魔月奇糸団が、その最高位たる十三人の幹部の席へ迎えようとする男だという。
だから同じ席の一つを預かる俺は、度し難い怒りを覚えずにはいられなかった。
「クソがあッ!!」
俺の叫びに俺を襲おうと近寄って来た魔獣達の気配が逃げ去って行く。
(ちっ)
ストレスと痛みで頭がおかしくなりそうだ。
俺は、確かに、あのクソ野郎に負けたのだ。
魔杖が無いというのは言い訳にならない。
あいつもご丁寧に魔導剣の安全装置を解除していなかった。
(刃の無い剣を振るわれた屈辱!! この傷が治ったら覚えていろよ……)
ガサリと音がした。
草木を分けて足音が近付いて来る。
「バーフ、無事でしたか?」
「ダナック翁か」
顔を右に傾け、視界の中に鎧を纏う男の白髪を撫で付けた頭が映る。
壮年の少し
少し血の気が多い俺達にとって、温厚なダナック翁は無くてはならない存在だ。
「ヨハンよりもあなたの方が心配でしたので」
「……杖さえあれば負けてねえ」
俺から漏れたのは、苦虫を噛み潰したように出した言葉。
「ふう、まあ若者の気骨は大切ですからね。ただ省みる事は忘れないようにしてください」
ダナック翁は少し困った顔して、俺にそう言った。
「さてと、お疲れ様です。それで……納得してくれましたか?」
「受け入れてやるさ、左遷をよぉ」
ダナック翁と話していて少し冷めた頭に、また熱が戻って来た。
「いやいや、左遷ではないと言っているでしょ?」
俺の傍ら迄歩いて来たダナック翁がしゃがみ込み、俺の目をその灰色の瞳で捉える。
「あなたは強い。傑出した天才だと言っても過言ではありません。私達の中でも戦闘面は特に秀でていると評価できます。ですが、あなたは若い」
「それが何だってんだ」
灰色の瞳は静かに、穏やかな言葉が続く。
「経験を積んで欲しいと言っているのです。あなたも、ヨハンも。合わせ鏡ようのようなあなた達の成長を願う、これは老兵からのお節介です。そして繰り返しますが私達は仲間です。それも忘れないでください」
ダナック翁が俺の負傷した腹に右手を置いた。
そこから灰色の魔力洸が溢れ、治療魔法が発動した。
「さて、これでもう大丈夫です」
ダナック翁の魔法は、あれだけ俺が苦労した傷を、瞬く間に治してしまった。
魔月奇糸団の席次は団長の第一席を除いて、その数の並びに優劣や序列を表す意味はない。
それでも俺達から【調和 ダナック・ポパック】は、第二席としての尊敬を集めている。
「さ、団長も待っています。戻りましょう」
「……ああ」
立ち上がった俺は、ゆっくりと歩くダナック翁の背中を追った。
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